あなたは、何のために勉強をしているのですか?と聞かれて

たいていの方は進学のため、就職のため、資格をとるため、夢を叶えるためと

答えると思います。

 

そういう方は、自分の将来のためにしっかりとした目的があると思います。

しかし、老後であっても習い事や英会話などに挑戦する意欲があり

勉強をしている自分に「充実」を感じる人が多いのはなぜでしょうか?

 

実はこの勉強をしている時の充実感、心が知識を欲している時の感覚が

本当の目的として意味のあるものなのです。

それぞれの勉強には目的がある

幼児教育は、成長するに当って人との協調性やルール、しつけを主に学び

義務教育では読み書きから始まって一般的な基礎教育を経て

早い人で小、中学から進学の目的のために勉強しています。

 

受験というのは、将来の自分にとって夢が叶いやすい学校、大学などに

進学する目的のためにあります。

受験先については、本人の希望だけではなく、親の希望が大きい部分も

あるでしょう。

 

将来の具体的な夢に向かって、様々な資格をとるために勉強をし、

就職したら、その会社の中でも研修があったりします。

それから、定年後に個人経営や別の仕事につくためにも勉強をする方

もいます。

 

このように、勉強には目的がありますし、目的があるから勉強する

という言い方もあります。

 

勉強をしている自分に充実感がある

人生の中でこの目的のための勉強、学びの機会というのは生涯ついて

くるものです。

しかし、人生も残りわずかにも係わらず、本を読んだり絵を描いたり

書をたしなんだりする人も多くいます。

 

それは目的がなくても勉強をしたり学んだりして何らかの知識を

インプットして理解し挑戦したいという気持ちがあるということです。

不思議と心に満足感なり充実感があるから、やれるのではないでしょうか。

 

人は成長することに喜びを感じる

勉強したり学んだりして、人より知識を多くもっていると優越感の

ようなものも感じることがあります。

そのように考えたら、人は目先の目的がなくても勉強をしたり学んだり

して知識を得ることにも喜びを感じているのでしょう。

 

もちろん、勉強嫌いの人はいます。

しかし、そのような人でも学校のような勉強ではなく趣味や仕事に

必要なことに関しては何らかのかたちで勉強をして充実感、優越感

を得ているのではないでしょうか。

 

本当のところ、人は勉強をして成長をすることに喜びを感じている

と内心は感じているはずです。

 

人は成長するために勉強をしている

どんな人でも勉強をして、良い成果を上げることを目標にします。

それは自分が今より、より良い自分になりたいという欲求が

あるからでしょう。

それは、成長したいという思いが、心のどこかにあるからなのです。

 

もともと勉強をするのが目的で、そして成長をすることに喜びを感じる様に

創られているのではないかと考えられます。

 

成長をすることに喜びを感じている人が、この世の人生が1回きりで

終るとするならば何のために成長をしなければならないのでしょうか。

 

でも安心してください。真実はそのように無駄なことになっていないのです。

何度も生まれ変わっている中で、人は成長するために勉強をしているのです。

 

それぞれ課題を持って生まれてきている

この世に生まれる前に、それぞれの人は課題を持って生まれてきています。

映画「君の名は」のように前前前世、もっともっと前から生まれては死んで

あの世に戻ってそして、またこの世に生まれる繰り返しをしています。

 

課題の内容は人によりさまざまですが

時代、国、環境、政治状況、人間関係、パートナーなどの違いに置かれて

今回はどのように学んであの世に戻ってくるのかが試されているとしたら

どうでしょうか。

 

自分がもっていた課題は、今回の人生でクリアしたかどうかは

死ぬまでわかりませんが、死んでから人生の清算をさせられる時に

わかるかもしれません。

 

最も尊い学びは真理に目覚めること

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その学ぶための勉強内容は、受験勉強や学問と呼ばれている

ものだけではありません。

人間関係、社会、生活の中における知識や経験をすべて含みます。

「人生のすべてが学びの場である」という認識が必要なのです。

 

その中でも最も尊い学びは、『真理』に目覚めることにあります。

 

この人生は、死んだら終わりだという間違った考えに染まっていたならば

人生を学びの場とした時に、狭い世界でしか認識がなかったことになり

真理を早くから知ったものに比べたら人生の価値観において

天と地ぐらいの差がでてきます。

 

ソクラテスはこの真実に目覚めていたから「無知の知」という言葉がでて

きたのです。

真理を知らない狭い世界の中で最高の知識を誇った知識人がいたとしても、

真理を知らなかったら、その知識の価値はいかほどのものかと。

 

ソクラテスのように真理を知らないという「無知」を知ること

謙虚な学びの姿勢となり、ますます、真理の奥まで知りたいという探究心

がでてきて、人知を超えた世界まで知ることになるのです。

 

学びの本当の目的が、この世を生きやすくするだけの教育であったなら

人間の真の成長には繋がっていきません。

「人間とは何か」という真理まで含めた学問が今の現代になければ

本当に勉強をする目的がわからないのではないでしょうか。

 

勉強をする本当の目的は何か?

なぜ、人は生まれ変わりの中で勉強をして成長していかなければ

ならないのでしょうか。

 

それは、神が人間や動物、植物、自然を創った理念にあります。

神は私たち人間を生んだのですから、親でもあります。

その神でもある親が、子供でもある人間に様々な環境(例えば地球)を与えて

その中で切磋琢磨して魂を成長をさせてほしいと願っているように考えられます。

 

その大きな目的に向かって数々の人生の中で、人は成功、失敗を

くりかえしながら成長していきます。

また、人を取りまく世界、国、社会も同じ様に栄枯盛衰をくりかえすことで

人の魂の成長に役に立っていると考えられます。

 

真理を知ったものは「勉強をする本当の目的」を理解することができ

スケールの大きい人となり神近くに魂を成長させて

神のように愛を与える側の人生を歩んでいくことでしょう。