「生まれ変わり」が無ければ、人生は虚しいと思いませんか。

「この世」に偶然に生まれて、死んで行く命しか無いならば、

なぜ、一生懸命に勉強したり、働く意味があるのでしょうか。

 

何のために生きているのでしょう。

せっかく偶然に生まれて来たのだから、

楽しむだけの人生で良いのですか。

 

しかし、世の中の人が、1回のみの人生を信じて生きているならば

もっと好き勝手にやる人が増えてもおかしくないし、

犯罪者やテロリストだらけになって

世界は、混乱しているはずだと思いませんか。

 

ただ、現実には、犯罪者らは一部の人間であって

他の多くの人は、国のしきたり、慣習、法律を守り

秩序の中に生きているのではないでしょうか。

 

本当は、すべての人は「心」の中では

解っているのに、一部の人間の間違った思想に

洗脳されて、意味のない常識に振回されているのです。

 

「心」を開きさえすれば、真実の目が明らかになって

これまでの常識が嘘で固められていることがわかるでしょう。

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自分で「考えるすべ」を忘れていませんか

人生は「楽しく行かなくっちゃ」なんて言葉を聞いて

納得している人が多いのではないでしょうか。

 

その意味をどこまで、納得しているのでしょうか。

「言葉」は「心」の表現の媒体としてもっとも重要なもので

本当は、言葉には発した人に重大な責任があるのです。

 

しかし、たいてい無責任な言葉が多いというのに

あまり疑う事もせず、考える事もせず

信じてしまうのは、どうなのでしょう。

 

たとえば、「種の起原」のダーウィンの進化論などは、

仮説の段階あるにもかかわらず、

人間が猿から進化したという理論がまかり通っています。

 

この理論を疑わないどころか、前提にして物事を

考えているのではないでしょうか。

 

しかし、このような間違った理論が、誰かの都合や思惑で

常識化されていたとしたら、どうでしょう。

騙されていたことになりませんか。

 

実際、これには時代性があり、スピリチュアル、スピリティズムなど

の神霊主義、霊実在主義が19世紀半ばから流行し始めている時に、

唯物主義者や無神論者らが、自分達にとって霊的なことや

「生まれ変わり」理論は、都合が悪いとして

ダーウィンの進化論を持ち出してきたことが原因のひとつで

あると考えられています。

 

もし、人間が猿から進化した進化論が本当であれば、

なぜ、進化途中のものがないのか、不思議でしょうがありません。

もうすでにDNAでも証明ができるはずなのに

訂正できないのは、都合の悪い科学者や唯物主義者が

そうしているようにも思えます。

 

たいていの人は、このような間違った理論でさえ

疑う事が無く、自分の頭で考えてみると

おかしいと思うのに気が付かないのでは

ないでしょうか。

 

本当は、世の中の常識は、一部の人の都合や思惑で

創られているかもしれないからです。

 

「生まれ変わり」がない方が都合が良い人の考え

もし、「生まれ変わり」がなければ

唯物主義者や無神論者だけではなく、

犯罪者においても、とても都合が良いことになります。

 

「この世は楽しまなきゃ、どうせ死ぬだけだろ」

「神はいるなら、証明してみろよ」

「どうせ死ねば何もかも無くなってしまうのだから、

やりたい事をやるだけだし、バレなければ何をやってもいいじゃないか」

 

「自分さえ良ければ人の事なんか、どうでもいいよ」

「この世は金さえあれば、何でも手に入るし幸せだよ」

「人を騙しても金さえ入れば、あとは逃げれば問題ないよ」

 

「アイツに頭に来た、二度と合わないあんなヤツは死ねばいいんだ」

「面倒癖!なんでこんな仕事しなきゃいけないんだよ」

 

自分以外の人が、こういう考えをもった人ばかりだとしたら

どうでしょうか。

もし、自分が上記の考えをもっている人しかいない「星」で

過ごしているとしたらどう思いますか?

たぶん、人を人と思わない、物を奪い合うような

「地獄の星」だろうと想像つきます。

 

しかし、この日本や宗教をもっている国の多くは、

このような人は、ごく一部の人達なのです。

 

その一部の人達は「生まれ変わり」を信じていないし

無い方が、都合が良いと思っているかもしれません。

 

因果応報の法則からは、誰一人逃げられない

最近、大金が盗まれているニュースをよく耳にします。

 

他人の大金を盗んで成功したとして、その後も一生

捕まらなかったとしましょう。

それで幸福を得たと思っているならば、実際どういうことに

なるでしょうか。

 

死後、行き先は人を人と思わない、物を奪い合うような地獄に

いくだろうと想像がつきます。

たぶん、似た者同士の集まった地獄に何十年何百年も居るでしょう。

自分がその場所が、もう嫌になってそこから逃れたいと

思わなければ、反省へ進まないために出て来れないのです。

 

それと、奪った先の会社や人がそのお金がないことで

倒産したり不幸に陥った責任も付いてきます。

その会社や人が、盗まれた不幸から立ち直って

「心」が解放されるまでの期間も加算されて、

簡単に地獄からは出て来れないのです。

 

そしてまだ、償いは続きます。

地獄から出て来て、反省が終わり天国で暮らしてから

今度は、「この世」に生まれ変わった時に

反対の立場を経験するようになっているのです。

 

例えば、大きなお金を責任もって預かっていたのに

盗まれてしまい、「心」にたいへんな痛手を負う経験をします。

 

前世では、盗む側だったのに今世では盗まれる側の

気持ちがわかるまで、何度でもそのような業(カルマ)は

つきまとうのです。

働いたお金ではなくて、盗んだお金で自分さえ幸福になれば

人はどうでもいいと思っているから、

結果が、とんでもない不幸になるのです。

 

殺人なども同じように、地獄から反省して出てきて

天国へ行きそして、来世になれば今度は、無惨な殺され方を

する運命というカルマを経験しなければならないようです。

 

それが「目には目を」といい、カルマのことなのです。

 

要するに相手の気持ちになって考えられるように

なるまでの教育の一貫なのです。

「自分がされて嫌なことを人にもするな」

ということです。

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よくも悪くも結果は、原因をつくった必然による

反対に考えると、盗まれる側の結果で苦しんでいる人は

今日、苦しむものは過去における過ちに対する償いを

行っているとも言えます。

全部が全部、ストレートに当てはまるとは思いませんが

もっと複雑な絡みがあるだろうと推測します。

 

ただ、何事も偶然ではなくて、良い結果も悪い結果も

過去にその原因をつくった必然から起こってくるものなのです。

 

そのように結果から原因を分析してみることは、

自分の「反省」や「希望」に繋がるので、

やってみることをオススメします。

 

「生まれ変わり」があるのは神の慈悲

たとえば、自分のことより、人が喜ぶことや人の為になる物事を

一生懸命に汗水たらして、がんばって創ってきた人が、

若くして突然死んだ場合は、どうなのでしょうか。

 

もし、「生まれ変わり」や因果応報の法則がなければ

その人の人生は虚しくはないですか。

 

それは、一生懸命にやった結果によって

他の人々が、幸せになるような物事を生み出した

場合に、すでに本人は死後何も無くなくなってしまう

というのは虚しくないでしょうか。

 

本人が努力してつくった物事は世の中に実積として残り、

多くの人が、本人を讃えるかもしれませんが、

本人の努力した賜物である「心」が死後に無くなってしまうのは

あまりにも切ないと思うのです。

 

しかし、「生まれ変わり」があれば、

本人の努力の賜物が智慧となり、天国にも来世にも持っていけます。

 

そして、来世に生まれ変わることで、未来社会でも智慧が

花開くことになり、より発展した形で

他の人にとって良い刺激や影響を与えることに繋がります。

 

これは、本人の努力の原因が良い結果を生み出したということで

この原因の結果は、死後に「この世」で花開く場合もありますが、

もし、開かなかったとしても来世に結果として

花が開くようになっているのです。

 

このように、今世に生きた少ない期間のみならず

永遠の時間の中で、神は、魂の成長を見守っているのです。

 

「生まれ変わり」や因果応報の法則そのものは

もっともスケールの大きい神の慈悲というものなのです。

 

誰しも「心の底」では「生まれ変わり」を信じている

本当は、すべての人は、「心の底」では「生まれ変わり」

を信じているはずです。

 

「心」を曇らせているとその真実が見えないだけなのです。

 

神の正義に反している唯物主義者や無神論者それと、

犯罪者はその「心」の曇りが、他の人よりも厚く、黒い分だけ

真実が見えなくなっているのです。

 

しかし、そういう人であっても永遠の「生まれ変わり」の中で

必ず、目覚める時がくることを「神」は信じて

慈悲をもって見守り続けているのです。

 

人は、何度も「生まれ変わり」で多くの智慧を得ている

人は、「この世」に一度だけ、生まれては死んでいき、

無くなって終わりだというのは、

単なる物質と同じ価値しか、もたないということになります。

 

そうではなくて、本当は永遠に生かされている中で

何度も何度も「生まれ変わり」を経験して多くの智慧を

得てきているのです。

その智慧は、あなた独自のものであって

それが社会に活かされる時は、「この世」にも「来世」

にもチャンスはあります。

 

それがいつかは解らないが、必ず世の中のために

あなたの智慧は活かされるようになっているのです。

 

だから、人生は「この世」限りしかないなんて

バカな考えに洗脳されないでください。

あなたが一生懸命に努力した原因は、いつの日か

必ず良い結果として現れてくるからです。

 

まとめ

誰かの無責任な思想や言葉を真に受けてしまうのは

現代の人々が情報化社会の便利さに取り込まれていて

あまり物事を考えないで済んでいる

というのもあるのではないでしょうか。

 

特に、無責任な唯物主義者や無神論者の意見に左右されないように

するべきです。

 

なぜなら、もし、唯物主義や無神論が世界に蔓延して、

ほとんどの人が「生まれ変わり」なんてあるもんか。

という言葉を信じるように

なった時、世界は間違いなく「地獄化」するでしょう。

 

今の所、そうなっていないのは宗教を信じている国が

多いからです。

 

その証拠や本当のことを知りたいならば

 

「心の底」を探求すれば、真実を発見することになり

「自分で考えるすべ」をもつことができるようになります。

 

そして、人は、単なる物質ではなく、魂として智慧を蓄えて

永遠に成長している存在であり、「生まれ変わり」というのは、

神の大きな慈悲であることがわかるでしょう。

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