一般的に「善悪」は「良いこと」「悪いこと」や「正邪」のように対比して使いますが

真実は「善」と「悪」は、対比するものではありません。

本来、「悪」は性質であって「善」が本質なのです。

 

基本的には、人は良心をもって生まれてきています。

その良心は、輝くダイヤモンドのようなものですが、

人生で心の葛藤やネガティブな念いや行動によって曇りをつくります。

 

その曇りの上に、悪事を思い行動すると暗雲が立ちこめる状態になります。

暗雲が光をさえぎることによって、

「悪」の性質が「善」の本質を隠すことになるというのが概念です。

 

物質主義、唯物論の弊害による見方

物には良いもの、悪いものという見方があります。

それと同じ感覚で、「人」であっても良い人、悪い人というレッテルを

貼ってみるようになります。

 

顔つき、服装、態度、行動、言葉?

それとも思いや考えでしょうか?

どちらかというと顔つき、服装、態度、行動、言葉で判断する

人が圧倒的に多いかもしれません。

 

それは、表面的なところであって物質を見比べる意識とあまり

変わりがありません。

これが物質主義、唯物論の弊害による見方でもあります。

 

他人の本心は表面的意識では見えない

普通、他人の思いや考えを計るのは、顔つき、服装、態度、行動、言葉

など表面的なところを加味して判断します。

 

しかし、それでは本心が見えないので、当っていることもあるかもしれませんが

ほとんど騙されてしまっています。

それは、ほとんどの人の心が表面的意識でしか見れないからです。

悪い人の心の習性

悪いことを考えたり、行ったりする人は、他人に「心」を

悟られないようにします。

人を騙すために嘘をついて本心を隠したがります。

 

この隠す行為が、自分自身で「良心」を曇らせている証拠なのです。

 

「心」の本質は神の良心でありダイヤモンド

心」の本質は神の良心でありダイヤモンドであることを

強く信じて真理知識をつけて「心」を探求することで

善悪のジャッジが働くようになります。

 

そして「心」を深く掘り下げ、過去の反省や未来を創造する念い

や考えをもつことで、他人の本心を観ることができるようになってきます。

 

悪いことを考えている人の良心に覆い被っている悪の本質が観えてくるのです。

それは、あなたの心が輝きを増して光が強くなることで人や社会の

心の影や闇の部分が浮かび上がってくるのです。

 

例えば、警察が犯人に罪を自白させる時に、照明を当てるのと似ています。

強い光によって悪が浮かび上がってくるのです。

 

本末転倒

神は「正義」であり、絶対善であり、光が本質です。

人間は、神から創造されて生かされている事実があります。

 

しかし現代の唯物論や無神論の蔓延と、脳に心がある

という脳科学のせいで、人間の本質は霊、魂であり

その中心が胸にある「心」であるのを信じる人が少なくなっています。

 

中でも「神は不在」であるかのように吹聴している思想家もいます。

こういう人達を無知や無明(むみょう)といい

ソクラテスを「無知の知」と言わしめた人達なのです。

 

真実はそれとは全く逆で、人間自身が心を曇らせているせいで

神が観えなくなっているだけであって

古い昔から神は普遍であり、雲の上であっても輝いている太陽のように

変わらず、存在しています。

 

世界から正義が失われている

話は変わりますが、

天皇陛下の退位問題においても「正義」という

神の存在を無視して政治家たちの考えだけで判断しています。

終戦後、天皇の人間宣言と唯物論の蔓延のせいで、

現代では政治家の中に強い信念、正しい信仰を

もった人がどのくらいいるのでしょうか。

 

「正義」が失われているのが現代の兆候です。

これは実は、日本だけではなく世界も同じです。

 

アメリカもオバマ大統領が「世界の警察官を辞める」と

言った発言は「アメリカの正義」を放棄したのと同じで

その結果、ISISなどのテロ組織が生まれています。

アメリカ建国の理念がオバマ大統領には、理解できていなかったのでしょうか。

悪が暴かれる時代(因果応報が早くなった)

光が強くなれば、影や闇が浮かび上がってきます。

正義が失われてきたことで、このままでは世界は大変になるという

懸念で、神の光が一段と強くなってきました。

そのせいで悪が暴かれるのが早くなった気がしています。

そして因果応報も早まったのではないかと感じています。

 

最近では、文科省の天下り問題などありますが

やっている本人たちは悪いことだという意味があまり解っていない

ように感じます。

だから、反省よりも規制をかけるところで落ち着いてしまうように思います。

だから時間が経ったらまた、官僚や役人は何度も同じ過ちを繰り返すのです。

 

このようなことに誰も批判、注意をしないのは、自分の立場が不利になる懸念

と反対に自分にその立場が廻ってくるようになれば得する話でもあるので

言わない方がいいと思っているのでしょう。

結局、許認可関係の立場を利用して、個人の欲を満たすためにやっていると

いうことに代わりはありません。

 

生きている内は、心の中は誰にも悟られないかもしれませんが、

死後には必ず、「心」の中が丸裸にされて人生での思いや考えが

隅から隅まで明らかにされます。

 

たとえば、人生ストーリーのように様々な人間関係での思いや考え、言葉や行動

までが詳細に浮かび上がって、大きなスクリーンで大勢の霊達の前で

披露しなければならないようです。

それが、結婚式のように皆から歓迎されるような人生ストーリーであれば

天国にスムーズに行けるのですが、社会的に人から羨ましがられるような人生を

歩んでいたとしても「心」の中の穢れた部分が多い場合は

恥ずかしくて穴に入って隠れたい気持ちになり、天国ではなくて

地獄の反省所に行くようになります。

 

「悪」は必ず暴かれるが正義の見方

悪を犯した人は、この世で暴かれなくてもあの世では、残らず暴かれます。

 

閻魔様が暴くのではなくて、すべての人は良心によって暴かれるのです。

「自己責任の法則」が働いて、言い訳や言い逃れはできません。

場合によっては、地獄から長い年月、出て来れないようです。

 

「この世がすべてだ」「死ねば何も無い」と思っている人の哀れな末路です。

 

ぜひ生きているうちに、反省や清算し、心を磨いて光らせることを

オススメします。

「心の錬金術」を実践すれば、神という正義が必ず味方してくれるでしょう。

 

 まとめ

心の表面意識では、人の本心までは観ることはできません。

だから、本心を隠している人の本当の思いや考えは解らないです。

もともとの良心を真理知識とともに磨いて、心を深く探求することが

できれば、他人の本心も自分の心の深さ同様に観えてくるでしょう。

そして、ダイヤモンドのような良心が光輝いてくることで

人や社会の影や闇の部分が浮かび上がってくるように観えてきます。

唯物論や無神論が単なる影に過ぎず、「悪」は性質だということが

理解できます。

神は正義であり、絶対善です。

「正義」が世界から失われつつある現代において

ますます神の光が強くなってきました。

「悪」は必ず暴かれるが正義の見方となり

信じるものには神が必ず味方をしてくれるでしょう。

 

覆い隠しているものを、剥ぎ取っていく正義の力に勝るものはありません。