2500年くらい前にお釈迦様が「悟り」を開かれて、現代にいたるまで

宗教学者や研究者などが経典や書物から「悟り」を翻訳、解説をしています。

 

しかしながら、それは「悟り」の体験による解説ではありません。

そのせいで、現代は解説そのものが難解なものになってしまい、

残念ながら、知識レベルの学問で終わってしまっています。

 

「悟り」のことに限らず、世の中のすべての事柄においても

単なる知識レベルを人に伝えるよりも、経験を通して知識を得、

長い期間、実践をして智慧を蓄えた者は、真実味があり

よりやさしく解りやすく語ることができるのではないでしょうか。

 

本来「悟り」そのものは、常識を超えた霊的、神秘的な体験を伴うものです。

それによって世界観や人生観が大きく変わってくるのが本当です。

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「心の錬金術」は悟りの方法

筆者は、初歩の「悟り」を25年前に経験して以来

実社会に揉まれながらも霊的人生観を歩んできました。

このウェブサイトでの「心の錬金術」は、霊的覚醒によって

最初の「悟り」を経験してから25年後に熟成してでてきた貴重な悟りの方法です。

 

この方法を実践すれば「第二の人生」スピリチュアル人生という幸福な道を

歩むためのチケットを得ることができます。

 

そして絶対もつべき羅針盤のようなものが「真理知識」です。

ここでは「賢者の石」ともいいます。

このウェブサイトのいろいろなブログの記事に「賢者の石」を使っています。

 

現代は、情報化社会の中にあって様々な悩みや迷い、不安や苦しみなどを

抱えている方々が多いと感じています。

 

このウェブサイトが心の拠り所となり、できれば初歩の「悟り」を

経験して、幸福へのきっぷを得て欲しいと願っています。

 

初歩の「悟り」は、心の探究から始まる

初歩の「悟り」を得るには、心の探求なしではあり得ません。

 

まずは「心」の存在に気づくことから始まります。

誰しも幼いときは純粋に優しい心、素直な心を持っていたと思います。

その純粋さは、大人になるにつれて濁ってきます。

 

純粋さとは、「心」で物事を素直に感じ取ることができる能力です。

感動する能力が高いといってもいいです。

この純粋な「心」は愛を感じ取る力があります。

 

初歩の「悟り」に大切な要素は、この純粋さになります。

この素直で純粋な心は、最も神から愛されます。

 

現代の常識が心のフィルタを曇らせている

唯物論、無神論が常識になりつつある現代において

心のフィルタを曇らせないで

純粋であり続けることはとても難しいです。

 

その上、「心」が頭脳であるかのような間違ったの脳科学によって

ますます現代人は心の大切さに気づく機会を失っているのでは

ないかでしょうか。

 

反省が初歩の「悟り」へ導く

穢れ(けがれ)のない純粋な「心」に戻す方法があります。

これが「心の錬金術」による反省です。

「心の錬金術」による反省は、これまでの人生の総清算というべきものです。

この機会を思い切ってもつことをオススメします。

       →   →   →【心の錬金術】幸福な第二の人生へ導く魔法

反省とは自分の「心」と向き合い、

過去の思い、考え、言葉、行動などを振り返り

客観的に悪い自分、良い自分を見つめることです。

そして「心」を真理に則した正しい方向へ改善していくのです。

 

心のフィルタの曇りが取れるほどの反省ができた時は

神秘的な体験やこの世の常識が吹っ飛ぶような体験を

するかもしれません。(人によって度合いに違いがある)

暖かいオーラに包まれて至福の経験をするかもしれません。

 

見えない世界があることが真実であることを理解するので

この体験は人によっては、人生がガラッと変わります。

これが第一段階、初歩の「悟り」です。

但し、反省の度合いは善悪の正しい真理知識があるかどうかで違いがでます。

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そもそも「悟り」ってなんだろう

「悟り」とは、自分が何者であるかということを確信することでもあります。

 

すくなくとも、

人は物質ではなく魂、霊が本質で心がその中心であり

あの世があって何度も生まれ変わりを経験しながら

幸福を追求して成長をしている存在。

 

ということを信じることができて、神に生かされていることに

感謝をして人生を歩むならば初歩の「悟り」は得ているといえます。

 

悟りには階梯(段階)がありますが、自分の魂の本質や

自分とはどういう性質の人間なのかが理解できて

守護霊(ガイド)と心が通じ合い、隣人愛から公的愛まで意識が拡大して

日本のみならず、世界で起きている様々な出来事にも関心が

でてきます。

 

そしてこの時代にこの国へ生まれている理由や使命など

が解るところまでいける段階があります。

ただし、この先これで悟りきったという終わりはありません。

 

なぜなら、この世に生きて悟れるものにも限界がありますし

生まれ変わりがある以上、この世に生きての悟りの道は

永遠にあるからです。

 

ただ、この世に生きている人にとって最低限

悟ったほうがいい初歩の段階があります。

初歩の「悟り」は、多くの人に経験してほしいと願っています。

それが人として本当に幸福になるからです。

 

泥沼に咲く蓮の花が「悟り」のイメージ

悟りは本来、「心」の修行の成果であって

いくら体を鍛え、断食を続けようとお経を何万何千回あげようとも

本当の「悟りの道」には入ることはできません。

 

それに「心」の修行だからといって、静かな山に籠って

誰にも会わないように修行の生活をしても「悟り」は遠いです。

 

「悟り」に入る条件としては、現代社会に揉まれている人々の

悩みや苦しみを心で感じ取ることが必要だからです。

現代社会での人々の葛藤などネガティブに汚れた中において

同じく心の葛藤を経験しながら心の真実に目覚めることが

泥沼に咲いている蓮の花のように美しいのです。

 

これが筆者の「悟り」のイメージです。

 

初歩の「悟り」は幸福へのチケット

蓮の気持ちになってみると

泥沼の水中から抜け出して水面の外へ花を咲かせているのは

この世(泥沼)から別の世界へ花を咲かせたことになります。

 

そして、人々の目に触れるだけではなく

見えない世界からも喜びの歓声が上がります。

 

花は観られることに幸福感をもっています。

この幸福感によって花は花であることを自覚して

この先も幸福な生涯を生きていきます。

 

そのように初歩の「悟り」

この世(泥沼)にいるだけが真実ではなくて

本当に花を咲かせる世界があることを確信することになり

これからの人生の本当の幸福へのチケットを得たことになるのです。

 

まとめ

純粋で素直な心は、何よりも愛をキャッチしやすく

心の曇ったフィルタを反省によって取り戻すことが

できます。

「心の錬金術」にある人生を清算するくらいの反省は、初歩の「悟り」

へ導きます。

初歩の「悟り」として、人は物質ではなく魂、霊が本質で心がその中心であり

あの世があって何度も生まれ変わりを経験しながら

幸福を追求して成長をしている存在。

をすくなくとも信じることができるようになります。

蓮の泥沼のような環境の中で切磋琢磨している人にこそ

悟りを得るチャンスがあります。

だからこそ、芸術的な感動があり、その後の人生が

幸福になっていくのです。

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