生きる意味がわからない、知りたい人のために筆者が霊的体験をしてつかんだ「人間の真実」

をわかりやすい哲学でお伝えいたします。

哲学は現代において難解なものになっています。本来は、取っ付きにくいものでもな

く、疑問を投げかけるだけで終わるものでもありません。それは霊的真理を解っていな

いせいであり、哲学できていないだけなのです。

 

ソクラテスやプラトンが解いたものが本当の哲学であって、イデアの世界(死後の世

界)を解けるのが哲学の真髄しんずいです。

実は、ソクラテスやプラトンの時代だけにイデアの世界(死後の世界)が存在したので

はなくて、この現代も普遍ふへんの事実として存在しているのです。

 

科学が進歩し時間や空間認識が変化した現代おいては、インターネットや様々な方法、

形態によって普遍の霊的真理を伝えることになります。

ただ、変わっていないのはソクラテスが言ったように「無知の知」という言葉が現代に

も当てはまることです。

この「無知の知」とは、簡単に言うと霊的真理を知らないということを言っているので

す。いくら、この世で頭が良くて知識をもっていたとしても、「人間とは何か」という

基本的な霊的真理を知っている人がどれくらいいるのだろうか。ということをソクラテ

スは思っていたのです。

ソクラテスは、ダイモンという守護霊と交信していたようです。

 

現代は混沌とした世の中で、雑多な情報が多く何が真実かわからなくなってきていま

す。

その中において、「生きる意味」の納得した回答を得ることは難しいでしょう。

インターネットで調べても的確に自信をもって答えているところはほとんありません

が、経験からくる精神論的な回答は、良いものもあって救われる人もいるかもしれませ

ん。

ただ、このブログサイトでは、そのもっと根本的な深い思想、哲学、宗教的なところを

筆者の霊的経験を通して学んだ知識でお答えします。

読者の皆様がこのブログサイトの記事を真実と確信して、生きる元気が出て頂ければ嬉

しい限りだと思っています。

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「生きる意味」を「人間とは何か」の観点で考える

「生きる意味」というのは、「そもそも人間とは何か」を理解していなければ、本当に

は解き明かすことはできないでしょう。

この「人間とは何か」というテーマは、スケールの大きいものではあるのですが、本来

すべての人はこの事実を知っていなければならないのです。

 

それが解っていないせいで、迷い、悩み、苦しみの中に埋没まいぼつしてしまい、何のために悩

むのか、苦しむのかが解らないから、なぜ生きているのかという疑問に変わってくるの

です。

しかし、「生きる意味」がわからないから知りたいという人は、生きていることすら疑

問に思う事なく過ごしている人より、本当は優れた人達なのです。

 

そもそも「生きる意味」を考えていない人は、現在の人生が好調で経済的にも余裕があ

って、あまり悩みや苦しみをもっていない人達だと思います。

本当はこういう人達にもいずれ長い人生の中で、「生きる意味」を考えさせられる時が

くるでしょう。

なぜなら、人生には、お釈迦様が説いたように「生老病死」という人間には切っても切

れない縁があるからです。

 

「生きる意味」を考える機会を経験

筆者は28歳で難病になり、その病気の影響で脳梗塞のうこうそくになって死にかけて、気がついたら

半身不随はんしんふずいになっていました。

そのとき「生きる意味」を考える機会を得ました。

それまでは、若いからとカラダを気遣うことなく仕事で無理をし、日常生活も乱れて

自暴自棄じぼうじきになっていたこともありました。

その結果が、「大病」「死」「半身不随」というものを実感せざるを得なくなったので

す。

それによって、筆者は「自分」というもの、「カラダ」というもの、「心」というもの

に必然性をもって向き合うことになったのです。

 

人はよく「死」に直面した経験があると、「心」や精神的なものに向き合うといいます

がまさに、それでした。

そして、それから数年後、思ってもみなかった奇跡が起こり、「人間とは何か」という

ことがわかったのです。

 

「生きる意味」は霊的覚醒で理解する

それは見えない世界からの導きによって、霊的体験を含めて6ヶ月間の内省する時期(過

去の間違った心の思い、行動、言葉ひとつひとつを反省)を過ごして霊的覚醒したので

す。

その後も何度か幽体離脱などの霊的体験をして「人間はそもそも霊である」ことを確信

するにいたります。

そして「自分は何者であるか、この世での人生が終わり、死後次はどこへ行くのか」も

理解したのです。(実はこの地球だけが人間(霊)の住んでいる世界ではありません)

 

それから26年以上経って、霊的確信が深まりやるべき事を悟ったので、やっと読者の皆

様にブログサイトにて霊的哲学をさまざまな角度からお伝えしているのです。

これは、筆者の考えだけではなく高級霊の霊団からの導きによって成り立っています。

 

これによって今まで知り得なかった真実を多くの読者の皆様に明らかにしていくつもり

でいます。それだけにとどまらず、今後、死後の世界の証明をするための交霊会や勉強

会、反省会、奉仕会などのセッションによって、筆者と同じように霊的体験をして真実

に目覚めて、自分ならではの本当の幸せを掴んでいただける仲間を増やしたいと考えて

います。

それととても大事なことは、「人間とは何か」の真実をできるだけ多くの人に知っても

らい、「生きる意味」がそうだったのかと納得してもらい、この世において多くの人達

が、人生での幸せを掴み、死後の世界にストレートにもどってほしいのです。「死後の

世界」が、本当の世界だからです。

 

真実の「生きる意味」を弘めたい

筆者の霊的哲学は、19世紀中頃から始まったスピリチュアリズムというキリスト教をベ

ースにした思想だけではなく、仏教、神道を含んだ日本ならではの現代版「心」の実践

哲学になります。

現代の日本の文化、時代性によって様々な考え方から起こっている不幸な原因を取り除き、

れに影響されている人々の心を救うために、人として基本的に知ってほしい真実の霊的

思想を弘めることを重要視しています。

それによって「この世」での本来の幸せな生き方を取り戻し、実相の世界

(本来の世界)にストレートに戻れるように促していきたいのです。

本当の真実を知っていただければ、「生きる意味」が解らない人はいなくなるからで

す。

現代日本の危機的状況

現在の日本の現状は、霊的に観て大変危険なところまできています。

もうすでに赤信号になっているのです。

多くの人の「心」が唯物主義的な方向へ引っ張られているからです。

これは人間(霊)として大変困ったことで、この唯物主義的な思想を打破して行かなけ

ればなりません。

 

この思想をもっている国の考え方を観てもわかるように、この思想がこの地球に広がっ

てしまえば、人々の「心」がネガティブな方へ引っ張られて、霊的に観て死後の世界

(天国)とこの地上の間に地獄的な空間がおおうようになり、この地球も自浄作用が働

き、大きな天変地異(もう地水火風の異常気象は始まっている)が起きてしまう懸念が

あります。一瞬にして日本列島が海の底に沈むこともあるかもしれません。おおげさな

話ではないようです。

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この世は物質世界で「諸行無常」が本当

人間はそもそも霊であって、「心」はすでに死後の世界に繋がっているのです。肉体を

脱ぎ捨てた時に、霊、魂(心)は死後の世界に戻ります。

この肉体はこの世の物質で創られていますが本来、実体はありません。

このように言うとわかりづらいと思いますが、この世では人は目先のことしか目に入り

ません。この世の人は、相対的な時間の流れの中に生きています。※1

 

せいぜい100年も生きれば、肉体は消費期限を迎えます。

 

人は、多くて100年という寿命の時間でしか肉体やその他の物質を観ることも感じること

もできないのです。だから肉体は実体あるものとして観てしまっています。

しかし、死後の世界は相対的な時間の流れがありません

 

この地球が3億年経っていると仮定したときに、この世のひとりの人間の100年の肉体が

実体あるものと観えるかです。一瞬で生まれては消えていて、しかも時代は、どんどん

移り変わっているのです。

これを実相の世界(死後の世界)から眺めるとそう観えるのです。

 

そういう意味でこの世は「諸行無常の世界」でもあるのです。

物質的なものは、今はあると思っても何年か経てば朽ちるし、腐るし壊れてなくなって

しまうのです。肉体も火葬場で焼かれて灰になって土に戻ります。

(正確に言うと「諸法無我」と言います)

しかし、霊、魂(心)は死ぬことはありません。

 

それなのに、人は目に見える物質の方を信用して重視して、おまけに執着してしまうの

です。「心」や精神よりも物質の方が重要になっているのです。

「生きる意味」とは

裕福に暮らし、りっぱな家や車を持つことが人間としての目的ではありません。これを

持つことが「生きる意味」だとしたら、泡沫うたかたのごとく消えてしまうものを一生追いかけ

てきたことになります。

何が残るのでしょうか。死後に虚しさだけが残るでしょう。

 

そうではなくて、普遍ふへんのものをいかに求め続けてきたか。

人として何を考え、どのように生きてきたのか。

現代のこの時代に、国に環境に人に仕事に巡り会えることは2度とないでしょう。この一

生を一期一会として自分らしく生きてこれたか。自分だけではなく家族や他人に愛をも

って接してこれたか。世の中のために何ができたか。などなど。

その中で知識や経験をどのように智慧として蓄えてきたのか。

これは、死後にあなた自信に問われる内容です。

 

死後は、霊(魂)としての本来の姿に戻りますので「心」が丸裸になります。

「心」の潜在意識に生前の人生の姿、振る舞い(思考、言葉、行動)のすべてが収まっ

ています。これが明らかになってしまい天国か地獄行きが決まるのです。

 

しかし、これがすべての人に対して一度きりの人生の最終地点ではありません。もし、

何十年何百年地獄に行っても失敗はとりもどすことができるのです。失敗してもやり直

しは効くのです。(ただ霊、魂の成長は遅れます)

 

大きな慈悲をもつ神は、人が一度ではなく何度でもチャンスをものにできるように「生

まれ変わり」という法則を創られたのです。

 

 

何のためか、それはすべての人間(霊、魂)が霊性を磨いて成長していくように平等に

機会を与えられているのです。

人間(霊、魂)は不滅です。永遠に生きている存在であり永遠に成長し続ける存在が真

実なのです。

 

まとめ

この世の物質社会が真実の世界であり、死んだらすべてが終わる。という間違った世間

の常識が「生きる意味」をわからなくさせているのです。

現代は、死んでから「死後の世界」にもどることなく、地上に執着をもった迷える地縛

霊がたいへん多くなっています。筆者は機会あるたびに地縛霊に行き先を示し、

説得していますが、もともとの思想の素地の問題が大きいので厄介でもあります。

 

現在では半分以上の人達が天国にもどれないでいるそうで、他人事ではありません。

そうなってしまったのは、真実を教える教育がないからで、唯物主義の教育、科学の弊

害でもあります。

 

人間とは霊、魂という永遠に成長している存在であり、物質の固まりで死んだら終わり

になるような小さなスケールの物ではありません。

この地球のみで簡潔するような小さなスケールでもないのです。

 

「生きる意味」については、この世で簡潔した意識にとらわれてしまうと物質やお金、

裕福な生活、世間体の良い仕事を追い求めることが真実だと思ってしまいます。

そのせいで、勝組や負け組などといった枠組みで比較され、負け組は理不尽な思いを

してしまいます。一回の失敗であきらめてしまう人もいるのではないでしょうか。

この世が一度きりで、死ねばすべてが終わるのが真実ならば、それもわかります。

 

しかしながら、真実はそうなっていません。追い求めるところが間違っているのです。

人間は本来、霊(魂)であり、思考の中心である「心」という存在でもあります。

だからこそ、「この世」に生きているならば唯一この「心」を大事にすることが必要な

のです。「心」はすでに死後の世界に繋がっているからです。

この「心」が真に喜ぶことが「この世」に「生きる意味」でもあるのです。

 

 

※1.この場合の相対的時間は、「この世」は太陽を中心に1日24時間としているので

自身はそれに相対した時間に生きているとする。

反対に「あの世」は、1日24時間というものではなく自身が長く感じたり

短く感じることが絶対時間となる。苦しみのある地獄は長く感じ、楽しい天国は

早く過ぎていくような感じです。

 

「生きる意味」について、この記事では「そもそも人間とは何か」というスケール感で

概略として書いたのですが、次はこれをベースとしてもっと身近な生活編として書く必

要を感じました。

 

ここまで読んで頂きましてありがとうございました。

 

下記の電子書籍(死後シリーズ)をアマゾンより出版しました。

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