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【第二の人生】スピリチュアル人生が、自己実現の道をひらく

スピリチュアル人生は、自分には関係ないと思っている人が、

案外多いかもしれません。

「この世」の常識から離れている特殊な人達が言っているだけで、

自分には何の興味もないと言う人も多いでしょう。

 

しかも、「スピリチュアル人生」ならまだしも「霊的な人生」というと

怪しげでオカルトの世界の話かと思い、引く人もいます。

 

そのような人は、死後は無になると思い込んでいる人が多く、

霊の話は好まないようです。

 

ただし本来、そのような人も霊(魂)であって、

「この世」に生まれる前に、自己実現のために

自分らしいスピリチュアル人生の道

を予定してきているはずなのです。

発展を続ける現代社会と普遍の真理

現代は、100年前では考えられないような発展をとげました。

科学、医療技術などが発達し、インターネットで

瞬時に役立つ情報もあり、様々な方面において

合理的に解決する方法があります。

 

病気にしても最新医療技術でかなり治る確率が高くなって

霊的、精神的な世界から、さらに遠ざかっている気がしています。

 

この現代社会においてスピリチュアル、霊、魂、霊言、霊媒、霊能、神などは、

言葉の印象から、これに携わる人を世間では浮世離れしているように

思われています。

それに霊的な表現や魂などは、昔の道徳や宗教だったと

過去形のように思っているようです。

 

しかしながら、人は気がつく、気がつかないに係わらず

宇宙の真理(神の意識)は大昔から何も変わることは

ありません。

この普遍の真理が、悠久の過去から存在しているのにです。

本当は、現代の常識の方が異常

この普遍的な意味を勘違いしてほしくありません。

 

本来、普遍の真理があるから、人間が生きる世界があり

現代のような発展繁栄が許されているのです。

スピリチュアルや霊的、精神的世界は

古い昔ばなしのように思っているようですが、本末転倒しています。

 

スピリチュアルや霊的、精神的世界が、常識の世界で

現代の発展している社会の考えが、非常識で異常なのです。

 

本来、人間はすべてスピリチュアルなもの

人間は、霊(魂)が本来で「心」が思考の中心になっています。

「この世」ではカラダ(肉体)を纏っているのです。

それは、「この世」が3次元の物質世界だからカラダ(肉体)が

必要になるのです。

 

「この世」での人生が終ればカラダ(肉体)は焼かれて灰になり、

霊(魂)と「心」が「あの世」の4次元以上の世界に

戻るようになっています。

 

生まれ変わりを経験して成長する存在

「この世」の人生は1回限りで、死後は無になることはありません。

神は人間を使い捨てのように創ってはいません。

 

本来は、霊(魂)として天国に住んでいますが、

天国では気のあった仲間が、村や町に住んでいるために

切磋琢磨や軋轢、ストレスなど成長する要素が少ないということで

神は、3次元に物質世界「この世」を創ったようです。

 

「この世」では玉石混合といい、様々な人達が入り交じった世界に

なっています。

それは、地獄から天国へ戻ったばかりの人間(霊)や

神格のある人間(霊)までが同じ3次元の物質世界で

共存するように創られています。

 

本来は霊(魂)がカラダであり「心」が思考の中心なので

天国では、どのような魂であるかは、お互い認識できるように

なっています。そのために波長が会うもの同士が同じ天国に

住んでいるのです。

 

しかし、「この世」の条件では、カラダ(肉体)をまとうように

設計されています。

これは、「この世」の人生を誰もが平等にイチから始めるためで

天国の生活や前世の記憶を消す役割もしているのです。

 

天国から「この世」そして天国へ戻り

何度も生まれ変わりで様々な時代、国において知識や経験をとおして

成長している存在が人間(霊)魂なのです。

 

スピリチュアルに目覚める機会が用意されている

「この世」は異質な物質世界なので、カラダ(肉体)のせいもあって

自分自身が霊(魂)であることを理解しずらいところもあります。

 

しかし、人生のどこかで自分自身の真実に目覚める機会が

用意されているのです。

それは、挫折や失敗,失意の底で悩む時、病気などがあります。

そのときに精神的な方面や神の方に目が向き、目覚めるように用意され

ています。

その目覚めのための材料は、時代精神として各地に大きな宗教が起こり、

哲学ではソクラテス、プラトンなどが真理を残して

19世紀にはハイズヴィル事件以降、心霊主義(スピリチュアル)が

活発になるなど時代に応じて、神の計画として仕組んであるようです。

 

「この世」は自己実現の世界でもある

人は、何度も生まれ変わりを経験しながら、個性を創っていきます。

 

例えば、「この世」に生きている中で芸術系統に強いあこがれがあれば、

前世や前前世よりもっと前に、そのような関係の勉強をしていたり、

職についていた可能性があります。

そういえば、子供の頃から何となく「心」の中に絵が好きというものがあり

自発的に絵を描いていたということもあるでしょう。

 

そのようなことから、今回「この世」で画家で生活できるようになる

という自己実現の希望とおりの人生計画が、ある程度予定されている

ことも考えられるのです。

 

しかし、その後の人生で、「あの世」で計画してきたとおりになるか

というと様々な環境、状況、親の都合、経済的問題などが絡んで

挫折してしまうこともあります。

 

中には、成功一歩前で失敗してしまう傾向性をもっている人も

いるかもしれません。

それをカルマといいますが、この傾向性を乗り越えることも

繰り返しの人生でする必要があります。

 

そうやって、何十回目の生まれ変わりかは、解りませんが

いずれは自己実現を果たして成功していくことで

この人間(魂)は成長したことになるのです。

 

これは、芸術系統の特殊な個性を例にしましたが、

どんな人でも、いろいろなジャンルを経験して個性を創っています。

 

このように「この世」は、様々な個性の人が切磋琢磨をして

自己実現に励んでいる世界でもあります。

 

スピリチュアル人生が、自己実現の道をひらく

人間は、挫折、失敗や失意の底を経験している時に

精神的なところや神に目が向きます。

 

その機会に「心」と向き合い、本当の自分自身に目覚めることが

できたなら、目覚めの度合いによっては、守護霊との交流が

始まります。(目覚める方法は反省による「心の浄化」が王道)

 

それはダイレクトかインスピレーションかは、人によって様々ですが

何らかの形で支援が働いてきます。

 

これが、本当のスピリチュアル人生といいます。

 

これまで霧がかかって先まで見えなかった道であったのに

スピリチュアル人生によって霧が晴れて

ほぼ予定してきた人生を歩むことが、できるようになり

自己実現の道がひらかれるのです。

 

長生きすることが目的ではない

「この世」の人生は長生きすることが目的ではありません。

人生で一日一日をどのように充実して過ごしてきたかの

中身の密度の問題の方が大きいのです。

 

30歳で早死にしたとしても、自己実現を果たして名を残している人

はたくさんいます。

運命や宿命ということではなくて、

予定していた人生をどのように歩むことができたかが重要なのです。

 

その中身が、どうであったか。

自己実現によって世の中の役にたったか、自分のことで精一杯

だったか、ポジティブかネガティブな中身でも違います。

 

スピリチュアル人生では、死を畏れなくなる

本当にスピリチュアルな人生に目覚めると、死への恐怖は全くありません。

いつでも死ぬ覚悟はあります。

それは日々、見えない世界との交流をとおして

日々やるべきことをやり、いつ死んでもいいという信念をもっているからです。

 

本来、すべての人間はスピリチュアルに目覚めてほしいと

願っています。

「あの世の天国」が故郷で、「この世」には旅に来ている

ことを自覚してほしいのです。

 

そうなれば、自己実現など予定していた人生をやりきり

ケジメによって「この世」に執着することもなくなり

人生の終焉しゅうえんでピンピンコロリの精神で他人に迷惑をかけずに

「あの世」に早く戻りたくなるからです。

 

それにスピリチュアルに目覚める人が増えれば、

福祉にかかる経済的なところで、国も助かると思っています。

 

まとめ

現代社会は霊的、精神的なことから避けていますが

ほんとうに非常識であり異常なのです。

そのおかげで、地獄行きや彷徨う人間(霊)を量産しているのです。

 

人間は本来、霊(魂)であり、思考している本人が「心」そのもの

であることを悟るのが、スピリチュアルに目覚めることでもあります。

 

そして、スピリチュアル人生によって予定とおりの

人生で、自己実現ができるようになるのです。

 

人間は、死後に無になるような

たった一回のみの使い捨ての人生ではなくて、

気の遠くなるような長い期間、何度も「この世」に

生まれ変わって個性を磨き、自己実現をはたして

成長するようになっているのです。

これが神の慈悲でもあるからです。

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