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【心の錬金術】意識「心」は高次元世界と繋がっている

普段は、「意識」というものをハッキリとは意識しませんが、この意識という中の潜在的能力を我々現代人はそのわずかな範囲でしか認識できず、ほとんど使えていないのです。

現代社会が進化しているように観えているのは、IT社会が発展している外部的要因で、実は人間の潜在的な能力を発揮しているとは言えないのです。その潜在的能力は、AI(人工知能)をはるかに超えているにも関わらず、発揮させることにあまり関心がないようで残念な感じがしています。

この意識というのは、宇宙や高次元の世界に繋がっていて、そちらの世界から我々の生きている世界を観じたときに、広大な宇宙から地球を観るように如何に小さい世界であることが解るのです。これは広く深い意識「心」というものを認識した人には、少なくとも理解できると思うのです。

今、科学や(超心理学)の世界で科学と哲学の融合を目指して研究している科学者は一部存在しているようです。

自分が生きていると認識しているものは何か

日常生活において意識をして自分が何で生きているのかを認識することはあまり無いのではないかと思います。どちらかというと、あまり意識せずに感覚的に生きているのではないかと思います。

それは、ほとんどの人は人間のもっている動物的本能でもある五官ごかん(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に頼り信じて生きているからです。これは自分の感覚と親や他人との感覚の相違そういを小さいころから自然に確かめたりしながら磨いてきたのではないでしょうか。

そこから他人も同じ感覚であるとの認識の上で成り立っている受動的なもので、共通のものを確かめ合いながら、社会を創って生きているところがあります。

人間のもっている感覚は時代に対応しながら変化し続けています。

だから、人はこの感覚を満たすための欲求が生きるための原動力になっているところもあって、生きている実感をここに求めてしまうところもあります。

きれいなものを見たい(視覚)、良い音楽を聴きたい(聴覚)、心地よいものを着たい、(触覚)おいしいものを食べたい(味覚)、リラックスしたい(嗅覚)などです。

このように、普段は自分が生きていることをわざわざ理解して考えることもなく、どちらかというと感覚的に生きているのではないかと思います。

意識という第六感(シックスセンス)がある

しかし、仏教では五官に『意識』というものが加わって「六根ろっこん」と言ったりしますが、この意識のところに人との違い、それぞれの個性あるものが秘めているのです。別名、第六感(シックスセンス)と言ったりします。

※この記事では、「意識」を広義の意識として書いています。

何をしたいのか、どのように生きたいのか。本当はこの意識の部分に、自分が生きているという認識、自分はどのような人間なのかという思考の中心があり、ここに答えがあるのです。

しかし、この意識の思考部分においても普段は「頭」を使って思ったり、考えていると思い込んでいるところがあります。

意識「心」を誤解しているうちは

ただ、これも実は誤解しているところがあって、「頭」で思考しているように思っているようですが、実は心臓あたりにある「心」が思考の本体なのです。

この「心」というものは目にみえる物質ではありません。

「心」を意識といってもいいのですが、この意識というものが人間にとって一番大切、重要なところでこの意識の広がり、深さがその人の認識の範囲でもあるのです。

意識「心」には認識の広がり、深さに違いがある

実は、この第六感である意識「心」は自分自身で気がつく、気がつかないに関わらず、すべての人が使っているのです。

しかしながら、その意識「心」を使っている範囲が「この世」的すぎて狭いために、人によって認識の広がり、深さに違いがあるのです。

それは、自分自身の思いや考えと関係していて「この世」がすべてで「見えない世界など無い」と思っていれば、それ以上の世界に意識「心」は参入することはないのです。※ただし、知らずに意識は別の世界にもっていかれる場合がある。心の悪しき傾向に波長があえば、暗い世界に意識が参入している状態になる。一方、心がいつも穏やかで他人や社会へ貢献したいという思いをもっている人にはそれなりに素晴らしい世界と波長があっていることになる。

まず信じていなければ認識の広がり、深さの成長は見込めません。

たとえば、自分の携帯電話は日本国内しか使えないと思い込んでいるのと同じで、世界まで使えると思っていれば使えるのです。

(これは比喩です、お金や契約する範囲とは関係ない)

筆者の場合、アンドロメダの惑星まで繋がるかも知れないと信じているとしたら、日本国内までと限定した考え方の人とでは、意識の違いが明らかではないかと思います。

一方、世の中にはあまり意識「心」の性質を知らなくても出来ている人もいます、クリエイティブな仕事をしている人はその専門分野において意識「心」の奥からインスピレーションを受けたりしているのがそうなのです。

また、それ以上に普通の人の認識を超えて普通では感じないもの、理解できないものまで感じたり理解する能力をもった人もいます。

サイキックとか霊能力をもった人もいるのは事実なのです。

ただ、意識「心」をどのようにコントロールできるか、認識の広がり、深さにおいては、人によって違いがあるのです。

意識「心」は高次元世界と繋がっている

この意識「心」は臓器や頭脳のどこかの肉体器官に納まっているのではなくて心臓あたりに大きな球体(元は光)20〜30センチが浮いたように存在しているのですが、手に取り出すことや目に観ることもできません。

目に見えないということは、もうすでに別の次元に存在していると言えるのです。

もう少し細かく言うならば、

大きな球体の意識「心」の中にまた別の次元があり、そのまた深いところというようにタマネギのように何層にも段階のある別の次元に分かれていて中心部分に向かって最終的には超高次元世界の神仏と繋がるところまであるのです。そして、その中心部分がまた宇宙のようでもあり、内なのに外というように「この世」の常識では説明できない世界の深さ、広がりをもったのが、

意識「心」の正体でもあるのです。

意識を研究している科学者に驚く

この記事を書いている時にこの記事のタイトルがどのようにヒットするかを検索してみたら驚く事に「意識は高次元世界と繋がっている」というタイトルを発見しました。このようなタイトルどおりの研究をしているイギリスの科学者もいるようで、筆者は大変びっくりしました。

参考/

https://tocana.jp/2017/02/post_12416_entry.html

筆者は瞑想による幽体離脱によって意識「心」の世界を垣間かいまみて来たのですが、まさに筆者が感じたのが「意識は高次元世界と繋がっている」というこのイメージに近かったのです。

他にもこのような研究をしている科学者がいることを知ってとても興味深いところもあります。

ただ、このような研究も脳科学の方では解明できない感じがあります。脳の中ではなくて、すでに心臓のあたりに見えない次元に意識「心」の中枢は、存在していると筆者は感じているからです。

意識「心」の広がり、深さが非常識を体験する

筆者のこのような体験から「心」は別次元にあり、この意識「心」こそ、その人間の個性の源であり、それぞれの人の思考の傾向がそれにマッチした次元を展開しているものであることが、その後の霊体験を重ねてながら認識が深まってきました。

意識「心」は自由自在に飛べる

今は、別次元へある程度自由に意識を飛ばすことができるようになったために、受信、送信能力が上がってきたように思います。

毎日のように迷っている死者の霊や様々な霊?とテレパシーによって話をしているのですが、迷っている死者の霊はまだ、「この世」にいちばん近い浅い次元にいるような感じで地獄霊、悪霊、悪魔はまたもう少し違った次元のような感じです。

高級霊の場合は、あたたかな精妙な波動が「心」の内外の遠くから来るのが解ります。

たまにうちの家によく観察をしに来ている宇宙人とも会話をすることもありますが、この宇宙人の場合はまた少し違う次元に存在するような気がします。

それらは波動(バイブレーション)に違いがあって、その波動を感じることで誰が来たのか見極めができるようになってきましたが、解りずらい時は支援霊に誰がきたか、何の目的か、何人いるか聞いてみますが、筆者の方でもだいたい受けている感じは近いようです。

意識「心」はコントロールできるようになる

それから不思議なのですが、普段、仕事でデザインをしたり、英語の勉強をしたり本を読んでいる時など何かに集中している時は、あまり邪魔が入りません。

休憩をしたり、何もしていない時や寝る前を見計らって何者かが筆者に何かを言いたくてやってきます。妻が寝たり、いなくなった時を見計らって筆者ひとりになった時がチャンスという感じです。

だから、最近は寝る前の瞑想は避けています。なぜなら相手にしなければならなくなって疲れるからです。

そのせいか、寝る寸前のアピールのためのラップ音や波動がお祭りのように凄い時がありますが、普通だったらノイローゼになるかもしれません。

筆者は、完全に無視をして即寝ますが、最近は朝5時半くらいに起こされることが多くなりました。

それから瞑想したり、横になったまま1時間くらい誰かとテレパシーで話をします。

このようにアンテナが敏感に観じるようになり、思っているところやいろいろな霊と通信ができるようになってくるのです。

自分の方から積極的に意識を飛ばすこともできます。それには距離は関係無いような感じです。しかし、どうも意識を飛ばしたりテレパシーを使うことは非常に疲れるのです。これは体力とも関係しているかもしれません。もう少し、体を鍛えないといけないと思っているところです。

それから、このような力が使えるようになった時、見えない世界だけではなく「この世」での人や社会においての思いや考えをも感知する能力が上がってきます。これは実社会での人間関係や本を読んだり、正しい知識をつける習慣とも関係があります。

あとがき

意識の広がり、深さまたは、高次元世界に繋がることは、誰もが潜在的にもっている能力なのです。

この潜在的能力を引き出す方法をこのブログ内記事100記事以上で包み隠さずお伝えしているのです。

この方法は筆者が霊的覚醒してから、30年近く様々な霊的体験をしながら確信をもってきたのです。これを正しく安全にやることができれば、「この世」でも死後の世界においても本当の意味での幸福に目覚めることができると言うことをお伝えしているのです。もちろん、ブログだけでは足りませんので直接のセッションなどが必要になってきます。それは、ひとりひとりにおいて感じ方もっているものが違うからなのです。

このブログ内の他の記事でオススメしている反省による「心」の浄化がすすめば、「心」は今までの自分の感覚とは違ってくることを感じるでしょう。ただし、人によって様々なものを感知する能力は異なります。

そこで、必要なものが霊的真理知識であり、そこから神仏への信仰心へと繋がってこなければ、深く広い意識「心」の中へ参入することはできません。

信仰心が宇宙や時間を超えた空間に誘ってくれるのは確かだからです。その時にたった一人で行くことにはリスクが伴うので、信仰心が必要になってくるのです。これはある意味、宗教と同じかもしれませんが、高次元世界に繋がるには宗教的な意識が絶対必要だからです。なぜなら、高次元世界は神仏に近い世界だからに他なりません。

そうなった時に自分は何者なのか、何のために今この世に生まれているのか、自分の本質が観えてくるのです。

このようなことを実践、体験した人が増えていくことで、科学や哲学、宗教が手を取り合い、人間のもつ大きな可能性に踏み込むことになって、今の世の中の狭い考えを改めて、未来に理想社会を創ることができるようになると思っています。

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