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人として本当に賢い生き方とは <人生を後悔しないために>

ブログの更新に少し間が空いてしまいましたが、読者の皆様はお元気でしょうか。

筆者は還暦を迎えるにあたり、これまでの仕事、ボランティアやしがらみ、持ち家、物を

きれいさっぱり断捨離だんしゃりしてきました。

妻には筆者のほうを断捨離されそうでしたが、、、

30数年住んでいた東京、埼玉から関西の実家にもどることになり、これからが本当の意味

での「第二の人生」であり、使命感をもって全身全霊で霊的真理を広めて皆様の人生にま

ますお役にたてることができるように精進していくつもりです。

 

賢い生き方だったかどうかは死後にわかる

この記事のタイトルのように、正直なところ筆者自身の生き方も賢い生き方かどうかは

100パーセントわかりません。

本当に賢い生き方だったかは、すべての人に共通で死後にしかわからないものなのです。

死後に後悔するか、平凡でも賢い生き方をしてきたかの結果は、三途の川を渡ってから天

入口の反省所のようなところに行かなければ解らないのです。

 

ただ、筆者は霊的なところで最近毎日のように死者とテレパシーで会話をしているのですが、

残念な事に現代の多くの人々が死後に後悔をしているのです。

それはもの凄い数の人々です。とてもではありませんが筆者自身では手におえないという

のが実際のところです。

 

死者の「死の自覚」が第一段階

いわゆる、多くの人達が「成仏じょうぶつ」していないのです。

「成仏」というと何か仏教的な響きがありますが、要は死んだ事に自覚のない人がこの地

家や物や人などに執着をもって幽霊になっているということです。

この死後の第一段階の初歩の悟りである「死の自覚」さえ理解されるには時間がかかるの

です。それは、この世(現代の日本)の人達が宗教というものを敬遠して信仰を失ってい

る代償でもあります。

しかしながら、生前宗教で信仰をもっている人は同じ信仰をもっているお迎えの霊がくる

死を悟りやすく三途の川を渡っていくのです。

 

残念なお坊さんが多い

昨年末、他界した父の月命日に母がお坊さんを呼びました。

そのしきたりはあってもいいとは思いますが、お坊さんの信仰心のなさにはつくづく困っ

ています。

家に来るや否や家族が揃ってもないのに早々お経を上げて、法話もせずに15分くらいでお

布施をもらって帰っています。

しかも法話ではなく「今日は暑いですね、、、、、クリーニングが、、、」と言って茶を

すすっていましたが、この坊さんは何をしに来ているんだろうか、心ここにあらず最低で

す。

飽きれて何も言えませんでした。

以前、この宗派のお坊さんの前に同じ宗派の別のお寺のお坊さんにお願いしていたのです

が、そのお坊さんはもっと最悪なことがあって、筆者はお寺を替えることを母に告げて替

えてもらったのにも関わらず、このようなお坊さんになるとは、現代のお坊さんの地位は

残念ながら低くなっているのはよく理解できます。

中には素晴らしい信仰をもったお坊さんもいらっしゃるかもしれませんが、数多くの葬儀

席した筆者の経験の中では、これまでお目にかかったことがありません。

ちなみに筆者は前にも言いましたが、お経を上げている声でそのお坊さんの信仰、悟りの

ル、引導の力が解ってしまいます。

 

日本の歴史の中で、日蓮、空海、蓮如などが生きた時代は、お坊さんはエリート職であ

り、の政治にも司っているほど、人々に尊敬されていました。

ちなみに奈良の大仏建立にあたり聖武天皇の「信仰で国民を救いたい」という思いで、国

予算の2倍にあたる額を全国から集めた行基などのお坊さんも凄すぎます。

それだけ、歴史に名を残したお坊さんは信仰心があつかったのだと思います。

筆者が学んだところ、やはりこの時代のお坊さんは何らかの形で霊的覚醒をしていたよう

す。

その後、人々のために生きてきたお坊さんでしょうから、死後には賢い生き方を賞賛しょうさんされ

高次元世界に帰っていることでしょう。

それだけ、現代は宗教、信仰というものが形骸化けいがいかされて、いわゆる形のみで心が無い状態

であり、商売のためにだけやっているように見えてしまいます。

 

賢く引導を渡すには愛が必要

最低でも愛、優しさ、思いやりがあれば、葬儀、月命日や法事などのときに死者の魂を目

覚めさせて成仏させて天国(入口)まで導ける(引導)ようになるのですが、

死者の状況も感知せず、お経さえ上げれば終わりみたいなところなので、生前に宗教や信

仰に縁がなかった死者は「このお坊さんは何をやっているんだろう、お教は歌のようにし

か聞こえなくて意味がよくわからない」と思っていることでしょう。

 

お坊さんが「あの世」に天国があることを信じて愛があるならば、お経さえも波が引

になりますし、法話をすることで死者も残された家族も理解するようになるでしょ

う。

しかし、現実はそうではないようです。実際、このような経験もありました。

筆者の父親の月命日にお坊さんがお経を上げている時に、ここに来る前に他の家の法事

に行ったようで、その他の家の法事先から亡くなった死者の霊を連れてきていたのです。 

お経を上げているお坊さんの後ろと筆者の前でその死者の霊がいでいたのです。

筆者の「何であなたはここにいるのですか?」という質問に「解らない」と言っていました。

筆者が「あなたはすでに死んでいるのですよ」と言うと死者の霊は「それは本当なのですか?」

という話をして最後には引導を渡して成仏したのです。

状況が状況だったので、死者の霊には説得が早く進み、お坊さんがお経を読んでいる間に

成仏が終わりました。今までで超特急でした。

お坊さんがお経を上げている最中に後ろで筆者とは何の縁もない死者の霊の引導を渡し

たのです。その時に「今、お坊さんが上げているお経の意味は解りますか?」と

尋ねたのですが、「さっぱりよくわからん」と言っていました。

 

筆者は、最近毎日のように縁があった迷える死者を天国の入口まで行くように導きなが

ら、れは大変な時代になったことを思い、使命に燃えているところです。

やはり、必要なのは生きている時にどれだけ死後のことを学び、考えて生きているかとい

とでもあります。

「2025年問題」も控えており、高齢化人口がますます増えていきます。

ということは人口の多い世代が一気に他界することも考えられます。

その人々のためにも早く霊性教育というものが今最も必要な時だと思っています。

死後、迷う死者を増やさない教育が必要なのです。

死者は「死の自覚」ができにくい

第一段階の「死の自覚」というのは、死後に悟るのは簡単ではないのです。

それは、ほとんどの死者に話を聞くとわかりますが「自分はまだ死んでいない」と思って

います。

手も足もカラダもあり、実際に家ならその空間にいるのでまだ生きていると錯覚してしま

です。

それは筆者が幽体離脱ゆうたいりだつしたときに解りました。

肉体をもった筆者は寝ているのに、霊としては、リビングで飛び跳ねて軽くて気持ちがよい

と感じながら、手も足もカラダがあることを確認しました。

このカラダのことを「霊体れいたい」というい方をします。

肉体から霊体が抜け出る時は、カブトムシのさなぎ羽化うかする時と同じように同形態が残

っているのと似ています。

 

人間の本質は霊、魂、心で肉体は乗り物

人間は本来は、霊、魂、心など「この世」では目に見えない姿が実像です。

肉体は、「この世」でしか通用しない消費期限付きのものなのです。

しかし、「この世」に生まれると肉体を自分自身と勘違いしてしまうのです。

肉体や物質が本質だと勘違いしてしまうのです。

 

肉体があるから、飲食や衣服が必要なだけで霊、魂にとって、それらは生きて行く時に必

ものではありません。

車を動かすのにガソリンがいるのと同じで、肉体は「この世」で生きて行くときの乗り物

うな物と思ってください。

 

ほとんどの人達は、肉体が自分自身と思っているので、肉体に関わる悩みを多くもってい

ます。しかしながら、死後には肉体や物質は「あの世」にもっていくことはできません。

霊、魂、心しかもっていくことができないのです。

 

だからこそ霊性教育により心の大切さを学ぶことが賢い生き方に繋がっていくのです。

「この世」では最近は脳科学によって唯物ゆいぶつ的な思想が蔓延まんえんしていますが、これについては

やはり大変まずい問題になっているのです。

脳の記憶力や瞬発力などが人として優れているとして、高学歴イコール賢いと思われてい

世の中ですが、「この世」でどんなに優れた人でも霊性の目覚めの度合いによっては死

後に「人生で賢い生き方をした」とはならず、後悔ばかりになってしまうのです。

哀れです。

 

それより、平凡でもお天道様に手を合わせる信仰深い田舎のじいちゃん、ばあちゃんの方

が、死後に今回の人生では賢い生き方をしたことになり、天国へはスムーズに帰ることが

できているそうです。

 

賢くない生き方とは

生前、「あの世」なんて無い、神は信じていない、そのような話は眉唾まゆつばもので胡散臭うさんくさく迷

って興味も関心もない人は、賢くない生き方を自ら選択していると言えます。

そのような人の死後の行き先は、残念ながら天国ではありません。

真反対の生き方を自ら選んでいるので、責任は本人にあります。

 

筆者も霊的覚醒前は、見えない世界にあまり興味、関心はありませんでしたから信じない

人の気持ちはよく解りますが、霊的覚醒してからそれまでの人生を相当後悔しました。

 

しかし、現実として霊的体験を重ねていくと、迷信でもなく時代も関係なく死をまぬがれるこ

とが、できないすべての人間にとっての普遍の法則だったことが明らかに理解できる

のです。

 

天国があることを信じることが大事

筆者は、死者に説得して本人が天国に行きたいと願ったら、死者と縁のある方にお迎えに

てもらい天国へ導きます。

本当は死後の早いうちに死者のところにお迎えが来ているのですが、「この世」にまだ生

きてるからと錯覚を起こして、お迎えの人を疑って断っている死者が多いです。

死者に聞くと必ず「あ、あの時の、、、」「そういえば、、、来たかもしれません」と

いって後悔しています。

 

筆者との縁ができた死者はいいのですが、ほとんどの死者は悟る機会がないので可哀想かわいそう

なりません。

やはり、この地上に霊的真理を弘めて「この世」の多くの人達が人間の本質に目覚めて頂

たいと願っています。

そうなれば、迷っている死者の「死の自覚」が早く進み、迷わず成仏してから天国へ帰る

者が多くなるからです。

迷える死者の救済と生きている人への霊性教育が喫緊の課題でもあります。

 

迷う死者が増えるとどうなるのか?

この世に幽霊として存在している死者が増えるとこの世で生きている人に多大な迷惑がか

ります。

死者はそんな事はいざ知らず、知らずに人に取り憑いて悪事を起こしたり、霊的磁場が地

獄化してきて、生きている人の精神状態までおかしくしていきます。

うつ病、統合失調症など霊的な原因でわずらう病気も増えてきます。

それに、さわりを起こす霊は「悪霊」となり、悪魔を呼び込んできます。

迷う死者が多ければ多い程、地獄が拡張するので悪魔はテリトリーが広がるのでとても都

合が良いのです。

なぜ、そういうことが解るかというと、一般の死者を天国に導いて得していると、

悪魔が邪魔をしにくるからです。嘘のようですが、本当の話です。

 

最も、悪想念の霊的磁場が広がっている地域では、殺人事件など凶悪犯罪や事故、病気

それと自然災なども起こり易くなります。

このように霊的なところでは様々なドラマが展開しており、まったく関係ないかというと

うではなくて「この世」と深い相関関係になっているのです。

 

なぜならこの世が3次元世界であり4次元世界の一部(3次元に近いところ)が地獄で3.5次

くらいに迷える死者が存在しているからです。

もっと高次元世界にいくと神に近い領域に高級霊が存在していますが、4次元世界の一部

ら高次元までを広義の天国といいます。

地獄や迷える死者の世界は、「この世」と天国を分断する位置に存在することから、天国

いる守護霊などからの良き指導やインスピレーションが邪魔をされて行き届かなくなっ

てくるのです。これは「この世」に生きている人達の霊性の低さ(唯物主義など)によっ

て起こっているのです。ますますこの領域(霊域)が大きくなっています。(図参照)

日本もこのままの状態では、大変危険なところまできています。

大きな地震、火山爆発、犯罪、病気などさまざまなことが起こり続ける懸念があります。

そのためにも急いで霊的真理の普及活動と霊性教育が重要になるのです。

 

霊的覚醒した仲間を増やしたい

先ほど、地獄や死者の存在する霊域が「この世」の邪魔をしていると言いましたが

それでも「この世」に生きている人が霊的真理を理解して正しい生き方をするならば

そのような人の受信機は磨かれて、天国や高級霊の世界からの良き指導やインスピレーシ

ンはもらえるようになるでしょう。

守護霊とのつながりができて、常に自分自身を高いところから俯瞰ふかんして客観的に観ること

できるために使命に目覚めて人のお役になるための本来の人生を歩むことができるでし

う。

それが霊的人生観をもった生き方であり、「この世」でも死後でも心からの幸福感を掴

むことができて死後には迷い無くストレートに天国や高級霊の世界に帰ることになるでし

ょう。

それが、死後に「人として本当の賢い生き方」をしてきたことになるので

す。

 

人として本当の賢い生き方とは(まとめ)

人間は「この世」のみに完結して生きている存在ではありません。

「この世」がすべてで実相の世界と思っていたら、実は旅先や学校のようなもので

様々なレベルの霊的人格の人達が玉石混淆ぎょくせきこんこうとした世界なのです。

「この世」が終わり死後天国の入口では、「この世」の人生がどうだったかという反省を

る場所があります。通信簿のように進級か落第か現状維持かの判断がくだされるでしょ

う。

それによって天国での行き先が決まり、または地獄の反省所にいくかはわかりませんが、

ずれは又「この世」に再挑戦として舞い戻ってきたり、学びのため、人のお役に立つな

どの目標をもって挑む人達もいるのです。

 

人間は「この世」に生まれては「死ぬ」の繰り返しによって、鍛えられて成長して行くよ

うに神より創造されたのです。

それを信じるかどうかですが、「この世」のみに完結した人生が本当なら、もっと「この

世」はカオス状態となり、好き勝手に生きていく人だらけになっていることでしょう。

 

しかしながら、そうならないのは世界にやはり宗教があるからです。

信仰をもった人々は、本当は心の奥底で誰しもが霊的真実を知っているのです。

本当に賢い生き方を知っているのです。

賢い生き方をするには、世間の風潮に流されず正しい自分らしい生き方を探していくこと

が、賢い人生を選んだことになります。

『死後のことまで見据えた生き方を選ぶ』のか、それとも

『「この世」で完結する生き方(この世しか無い)を選ぶ』

では、どちらが人として賢生き方であるかわかるかと思います。

人生を後悔しないためにも霊的人生観をもった賢い生き方を選択する事

を強くお勧めします。

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