こんなに不幸な運命をかかえて、いつまでたっても幸せになれないのはなぜだろう

か。そう思いながら不幸を抱きしめている人が多いように思います。

しかし、それを運命とは呼ばないのです。

迷いの人生を歩んでいるだけで、本来の人生ではないのです。

本来の人生を歩めないのは、現代の世相に感化されて誤解や錯覚をしているのです。

 

しかし、本来の人生に戻すことはできます。

運命のレールに切り替えることはできるのです。

 

それは、「心」がすでにもっている神秘力を必要としますが、

あなたの思いや考えを根本的に変えていくことで人生が劇的に変わり、

幸せな第二の人生を歩むことができると信じています。

 

人間はロボットにあらず

人間はロボットのような物質の固まりではありません。

そもそも人間の本質は「霊」であり、思考の中心が「心」なのです。

「心」の奥には潜在意識と呼ばれている神秘的で、次元の違う大きな世界に

繋がっているのです。

「この世」に生まれる条件として肉体という物質を着ているのであって

これは、寿命という消費期限があるのです。

しかし、人間は霊(魂)として永遠に成長をし続けて生きている存在であり、

「この世」に生まれる前も死後も「あの世」という世界に生きているのです。

そして人間には自由が与えられていますが、責任もついてくるのです。

 

この根本的なことを信じることで「心」の神秘力の本当の意味を理解する

ことはできるのです。

 

現代人は「心」の使い方を忘れている

頭や肉体は物質で構成されています。

頭や肉体は、死後には焼かれて骨と灰になりますが、

「人間は偶然に生まれて死ねば無になる」と思い込んでいる人達がとても

多いのです。

葬儀では、死者は天国に行って欲しいと願ったりしますが、実際にそれが事実と

して信じている人はどのくらいいるのでしょうか。

 

特に知識人においては、理論的に説明できない死後の話は御法度ごはっとで「霊」などと

いう話はオカルトチックに聞こえて、話すだけでもおかしい人物のように見られる

ので敬遠しているのです。

 

でも真実はまったく反対であって、その考えは「木を見て森を見ず」と同じように世

界観が小さかったことがいずれは解ると思っています。

 

このように科学が発達した現代では、「霊」「魂」などという言葉は昔話の言い伝

えのように、幼稚な人の戯言ざれごとに感じているかもしれません。

 

現代人の多くがこのような考えなのは、唯物主義の台頭により脳科学や「神は死んだ」

というニーチェの哲学などに感化されていることもあります。

特に知識人の多くが、それらの思想に染まっているというのは、頭で理論的に理解する

ことを重要視しているからで、説明のつかないものは蚊帳かやの外においているからです。

 

そのせいで「心」という感性が大事であることに気がつきません。

ある意味「心」がもっている本当の神秘的な力を忘れているのかもしれません。

 

頭脳ではなく「心」が自分自身

そもそも「心」がどこにあるかを解っていない人がいます。

唯物主義の脳科学では、脳に心があるように言っていますが、大きな間違いを侵し

ています。

 

「心」は胸の心臓あたりにあって目には見えませんが、30センチくらいの球体の

ような感じで透明でいている存在であり、生まれた時は純粋無垢じゅんすいむくな状態で光り

輝いていますが、大人なるにつれて曇りや汚れがついてきます。

この曇りや汚れが、間違った思想の影響や人生での数々の過ちなどを放置している

状態なのです。

この曇りや汚れた「心」の表面意識の状態が、その心の奥にある潜在意識と呼ばれて

いる別次元との境界を阻害そがいしているせいで「心」という存在をわからなくしていま

す。だから頭脳で考えることを優先してしまい、頭脳が自分自身だと錯覚していると

ろがあるのです。

 

頭脳というのは死後に焼かれて灰になりますから、逆説的に考えると頭脳が自分自身

だと思っているのなら、「頭脳が無くなるから自分自身も無になる」という結論にも

なってくるのではないでしょうか。

 

ところが、「心」が目に見えないというのは、「この世」の次元に存在していると

言えないのではないかと思うのです。

「霊」も同様に普通の人には目で見ることはできません。

だから、同じように別の次元に存在していると考えられるのです。

 

筆者はたびたび、霊と話す機会があります。

霊は筆者のところに目的を持って来ますし、ちゃんと思考をしています。

筆者をおとしめるような悪い考えをもった霊もいますし、迷って助けてほしいと懇願こんがん

している霊もいます。

もちろん、それらを遠くの次元から見守っている霊も存在して、何かあったらすぐ

にサポートしてくれます。

 

頭脳より「心」に従った生き方

このようなことは不思議なことかもしれませんが、普通にあるのです。

では、どうしてこうなったのかと言うことですが、霊的覚醒をして「心」の窓が

開き、頭脳ではなくて「心」に従って生きているからなのです。

「霊的自己」を認識して生きているのです。

だから、すでに頭脳の無い「霊」が思考することが解るのです。

 

筆者も33歳の霊的覚醒前までは、頭脳や肉体生命が自分だと認識した生き方をして

いましたが、様々な挫折や大病というものをきっかけに考え方が一変しました。

その当時は、挫折や大病などで自分の運命を恨むところもあったのです。

自己中心で生きてきた自分の性格も変えることはできないとも思っていました。

 

しかし、運命は、神秘的な「心」の体験によって一変したのです。

「本当の自分らしい生き方に目覚めた」ということの方が正しいかもしれません。

自己変革によって自分らしい運命というレールから外れていたものを

元に戻すことができたのです。

 

運命は共通のルールの上に成り立っている

運命とも言われるレールは「あの世」の始発駅から「あの世」の終着駅まである程度

引かれていますが、元に戻るようになっているのです。

 

「この世」では約80年の長い期間を長距離列車に乗って旅をします。窓からは様々

な風景を観ながら、途中の駅においては様々な知識や経験をして智慧をつけます。

そして終着駅「あの世」についた時に、「この世」の旅はどうだったかを振り返る

のです。

これが「この世」に生まれるすべての人に与えられているルールでもあります。

 

人は、生まれる前にある程度人生を計画してくるようですが、

人はそれぞれ、生まれ変わりを経験している中で、個性というものを身につけて

います。それに傾向性というカルマ(業)を背負っているのです。

それに、時期や場所や人間関係(親子、友人、仕事仲間など)、仕事などをある

程度決めているようです。

 

しかしながら「この世」に生まれてからはすべての人に共通で、生まれる前の記憶

を消されているのです。

「あの世」の始発駅から母親の胎内までのトンネルを抜けると、すべての計画が

思い出せないようにされていて、

まっさらな状態で人生を始められるようにしているのですが、「心」は輝きのある

無垢な状態であり、「心」の奥の潜在意識に「この世」の旅の計画地図が隠されてい

るのです。

 

不幸な運命を抱えてしまう原因

窓に映る風景や駅においては様々な考え方や文化や思想を学び、長旅の途中では、

レールが分岐点にたびたび差し掛かります。

その分岐点では、過去の知識や経験をもとにどちらに行くかの選択をしていきます。

 

始めは、「心」に曇りや汚れがなかったので、うっすらとした「心」の計画地図に

よって行き先が解っていたのですが、旅の途中でわがままな感情や言葉で他人を害し

たり、様々な過ちや間違った思想を信じることによって「心」を汚すことをしてきた

のです。それによってますます「心」の奥の潜在意識にある計画地図を観ることが

できなくなっているのです。

そのおかげで現時点、どのレールを走っているのか、どこの駅に到着しているのか

が解らなくなっているのです。

 

解らないから、人に聞いたり駅員に聞いたりするのですが、本当の行き先は誰も解ら

ない状態にあります。これが現代の世相でもあります。

(無心論、唯物論、不可知論の影響で真実が解らなくなっている)

 

自分自身がどの列車に乗っているのかどこに向かって走っているのか検討がつかな

い状態です。だから時々占い師に相談したりします。

占い師は、途中駅からみれば終着駅に向かうまでのパターンが読めるところはあり

ます。だから大枠は当たっているのですが、迷いの原因を指し示し正しい道筋まで

教えることはできないのです。

このように迷っている状況の人が、実は不幸な運命を感じて、運命のせいにしている

のです。

 

やはり実際には計画地図を見なければ自分自身がどこにいるのか、どこに向かって

いるのかが解らないのです。

各人が「この世」に生まれる前に始発駅でもらった計画地図は、各人の「心」の奥の

潜在意識に隠されてあることに気がついていないのです。

計画地図+アルファの人生を運命という

不幸な運命と感じていたのは、旅の途中の分岐点で選んだ原因の結果が、思っても見

なかったことになり、本来のレールから外れていたのです。

目的もなく、彷徨さまよっていた迷いの人生になっている状態であり、言い換えれば、運命

に逆らって生きていたとも言えるのです。

 

だから「心」の計画地図と見比べることで、本来のレールへ戻せばいいだけなので

す。これを別の言い方で「自己変革」ともいいます。

霊的覚醒まで至った場合、「心」の計画地図には、音声も付いていて目覚めの度合い

では、高いところから守護霊が行き先を示してくれることもあります。

 

最低でも「あの世」の始発駅から「あの世」の終着駅まで戻ってくることが大事

です。

最近では「あの世」の終着駅ではなくて執着しゅうちゃくして、「この世」と「あの世」の

中間にある迷いの世界にとどまっている人(霊)があまりに多いからです。

 

最も大事なことは、早い時期に目覚めて「心」の計画地図を手にすることが人生をよ

り豊かにして幸せな人生を全うできるからです。

 

「心」の奥にしまってある計画地図と+アルファが「運命」といいます。

人はそれぞれ個性やカルマ(業)を背負い、様々な人間関係によってその通りの計画

にはならない部分があるからで、それもひっくるめて「運命」というのです。

 

運命が変わる「心」の神秘力

不幸な運命だと思っているものは、実は迷っていたに過ぎないのです。

迷いの人生であって本来の生き方ではなかったということです。

迷いというのは、自分自身で納得していないということであり

もし、今の境涯が運命どおりであったとしたら、それはそれで納得した人生として

受け入れるはずです。

 

本来の運命、計画地図に描かれていた人生を観るには「心」へ意識を向けなければ

なりません。そのためには、これまでの人生で間違った思いや考えを修正する必要

があります。こうだと思い込んでいた世間の常識から離脱する意志が必要です。

 

誰から何と言われようが、神を信じて見えない世界から救ってくださる愛が充満

していることを感じ取るようにしてください。

生かして頂いていると思い、感謝の心をもって、自分のためだけに生きるのではなく

、他人のため社会のために自分がお役に立てることがないかどうかを常に考えて行動

することが大事です。

そうすれば、見えない世界から必ず応援が来るでしょう。

 

「心」の神秘力が発揮できるようになるには、反省による「心」の浄化、報恩、感謝

などの耐える時間をもつ必要があります。瞑想によって「心」で感じ取る訓練がいり

ます。

それを乗り越える「自己変革」によって、本来の幸せな人生が観えてきて

本来の運命というレールに乗っていることが解るようになるでしょう。

 

まとめ

頭脳が自分だと認識しているうちは、運命に逆らって人生を送っていることが多い

のです。それは「人間はこの世に偶然に生まれて死ねば無になる」という間違った

思想に感化されてひとりで生きていると思っているからです。

死後の世界がないと思うから、最終の目的がわからずに迷子になっているのです。

迷子の状態は、けっして幸せとはいえません。

ひとりで迷った人生は本当の「運命」とは言いません。

 

しかし、「心」の神秘力に目覚めれば、ひとりではなく生かされていることに気が

つくでしょう。

運命を考えたとき、「心」の奥にしまってある計画地図とおりに人生が進むのです。

それは、ひとりではなく高いところから見守っている守護霊からの導きがあるから

です。自分らしい理想の幸せな人生を歩むことができるのです。

それでも、自由、個性、カルマ、人間関係などで計画とズレてくることは、あるの

ですが、これも含めて「運命」と呼ぶのです。