人は自分や他人をどのように観ているのだろう。

どのように自分や他人の価値を判断しているのだろう。

地位や名誉,身分、肩書き、職業、お金持ちなど

これらの評価が自分より上だから尊敬しているのでしょうか。

 

それとも自分はこれらの評価に当てはまるから

満足しているのでしょうか。

もちろん、この評価に至るまでの努力の過程や結果は

評価されるものではあります。

 

しかし本来「人間の意義」としての価値観の評価は

自分や他人も同じく「日々、思考しているあなたの心がどうか」

というところを基準に判断されるのが本当です。

 

人間は、この世とあの世を貫いて生きている存在であり、

その中で、間違いなくあなた自身と判断されるものは、

「心」しかありません。

「心」を観れば「あなた自身」が何者であるかがわかるのです。

 

「この世」では他人の心はよく観えない

この世では他人の「心」はよくわかりません。

人は、見かけや格好、顔つきなど表面的なところで

判断してしまいがちです。

その次は地位や名誉など肩書きで判断してしまいます。

 

このような基準で判断をすると

詐欺などに騙されることも多いようです。

 

最近では、心を簡単に悟られないように

顔つきや格好では良い人を演じて、

言葉を巧みに操った振り込め詐欺などが横行していますが

悪い人間はまるで「この世の法則」を知っているかのように

心を隠します。

「この世」ではカラダ(肉体)を纏う(まとう)

人間は、この世とあの世を貫いて生きています。

人間は、あの世では、魂(心)として長い間生きていますが

この世の人間はすべてあの世から生まれる時に

魂(心)がある時期に母親の胎内に宿って

カラダ(肉体)を纏い、生まれてくるのです。

 

カラダ(肉体)が「心」を邪魔しているところがある

この世では、人との交流ではダイレクトに「心」は観ることは

できません。

直感的に優れている人は、始めて会った人のイメージを掴むことは

あるでしょう。

いい人か悪い人かをだいたい言い当てる人もいます。

しかし、たいていその後に言葉巧みにされると

解らなくなるところもあるでしょう。

 

この世では、人間はカラダ(肉体)を纏っている

ので「心」が見えづらいのが本当なのです。

 

「この世」にはこの世の大事な法則がある

「心」には波長同通の法則類は友を呼ぶなどがあって

似た者同士は共感、共鳴します。

実際「あの世」では、この法則がリアルにそうなっているようです。

 

天国では、「心」の傾向性が似た者同士が同じような場所に村を創って

住んでおり、以心伝心で幸せな生活をしているようです。

しかしながら、このような環境で長い年月を住んでいると

刺激や軋轢がなく、心を磨く機会がないので

魂(心)の成長が遅いのだそうです。

 

そこで、神は「この世」という3次元の世界を創り

様々な個性の魂(心)が切磋琢磨をして

大きく成長していく場を考えたようです。

何度も生まれ変わって、国や環境、時代の違いを経験して

「あの世」の天国に、成長をして帰ってくるようにしたのです。

 

そのために、あの世では「心」は以心伝心ではあっても、

この世ではカラダ(肉体)を纏い、「心」がストレートに伝わらない

ようにしているのです。

 

その方が千差万別な個性の考えの人達や

似た者同士が住む天国では、会うこともない人達と

ふれあう機会ができるからです。

 

「この世」は仮の世界、「あの世」が真実の世界

この世に生きていると、カラダ(肉体)に支配されているところが

あるので、カラダや頭脳が自分そのものと思っているかもしれません。

しかし、それらは、たかだか80年くらいでガタが来て

カラダ(肉体)や頭脳は焼かれて灰になってしまいます。

 

この世は仮の世界であり、様々な人達とふれあいことで

学びや修行をしているところもあります。

その学びや経験で得た智慧を「心」に蓄えます。

 

死んだら、霊、魂(心)のみがあの世の真実の世界へ

戻っていくのです。

 

死後、あなた自身「心」が評価を下す

あなたが、死後迷うことがなければ「天国」の入口に行けます。

たぶん、死後にあなたの身内か坊さんや牧師のような人が

迎えにくるでしょう。

 

次は、天国の入口であなたが「この世」での一生を

顧みることになります。

大きな映画館で他人も見守る中で、子供の頃から死ぬまでの

あなたの思いや考え、行動すべてがスクリーンに写しだされるようです。

 

そして、あなたはこの世での一生の評価をすることになります。

その判断は、あなたの心の中の潜在意識の良心と呼ばれる部分が

します。

その良心は一切嘘、偽りはつけないので、的確に判断します。

その結果、天国に行くか地獄に行くかに分かれるようです。

 

このパターンは一般的な人のようで

「心」に垢をたくさんつけて曇らせている人は、ここまで来ることもなく

ストーンと地獄に落ちてしまうそうです。

 

この世での地位や名誉は一切通用しない

この世では、地位や名誉,身分が良くお金があって、いくら肩書きが素晴しくても

死後は、そのようなものは評価対象にはなりません。

 

そのようなもので、天国の門は開かないのです。

ましてや、地獄の釜の温度を下げることもありません。

 

あなたが、この世に生きている時に、何を思い考え、行動したか

それがすべて「心」の中に蓄えられています。

 

その「心」が磨かれてきれいかどうか、汚く曇らせていないか

それが一瞬で他人に解ってしまいます。

いわゆる、「心」が丸裸にされる状態になるのです。

 

その時に誰に観られても恥ずかしくない状態の「心」であれば

素晴しいのです。

地位や名誉があっても、それに甘んじることなく

いつも他の人々の幸福を願って、思い、考え

行動してきたかが重要なのです。

 

思考している「心」が、あなた自身そのもの

真実の世界である「あの世」では、魂(心)があなた自身であり、

他人の魂(心)は、あなたを個性ある魂(心)の性質で認識しているのです。

 

しかし、この世ではカラダ(肉体)が邪魔をしているために

人と人の「心」と「心」は、わかりづらいところがあります。

他人を観て誰であるかは、名前や顔、言葉や音声、雰囲気など

で認識します。

その人がどういう人かを判断するのは、地位や名誉、肩書きなどに

なるでしょう。

 

しかし、このような表面的な見方ではなくて、

本当は「あの世」にいるのと同じように

「心」で「心」を観るようなことが、この世でもできるはずなのです。

 

それには、本当の「心」を知る必要があります。

思考している「心」が自分自身であることを悟ることが必要です。

そうすれば、自分自身が悟った分だけ、他人を観ることができるのです。

 

さらに「心」を探求することによって

他人の「心」が手に取るように観えるようになり

その先の行動が読めるようにもなります。

 

それにもっと、意識が大きくなるとその範囲が広がって

社会や世界の人々の「心」が観えてくるようにもなります。

 

このブログの「心の錬金術」による反省行を実践することで

本当の「心」の神秘性、偉大さを実感することをオススメします。

 

まとめ

「あなたは、何者ですか?」

と聞かれてどのようにお答えしますか?

ほとんどの人が名刺を出すか、仕事や趣味などを明らかにして

他人との差別化を伝えて個性をアピールするのではないでしょうか。

 

たとえば、デザイナーという名刺をだして私はこのようなデザインを

やっています。という現状や実績を伝えてアピールしますが

そこに同じデザイナーが3人いたら、どのように差別化するでしょうか。

名前や出身地、住むところ?

 

本当は、人の判断はそこではないのです。

 

いつも心で何を考えているデザイナーなのか?によって

様々に違いがでます。そこはセンスや技術の違いだけではなく

どのような事を考えているかによって、その人の性質や将来も

違ってくるのではないでしょうか。

 

ということは、「あなたは、何者ですか?」の答えは

[思考している「心」があなた自身そのもの]ということになります。

 

この世では、あまりこのような見方をしないかもしれませんが

真実の世界ではお互い「心」が丸裸になっているので

この人がどういう人なのか観えてしまうのです。

だから、そこに嘘があると同じ次元や場所に居られなくなります。

 

このブログサイトの「幸せになる心の錬金術」を信じて

実践できるならば、他人の心の中も解ってくるようになります。

今までは、人にはレッテルというものを貼ってみていたかもしれませんが

今度は、本質が観えてくるようになります。

 

それは、自らの「心」を清らかにして日々磨くことをすれば

自らの「心」を理解する分だけ、他人の「心」も観ることができるようになります。

これは、真実です。