人生には苦しい時や悲しい時がたくさんあります。

その苦しみや悲しみをひとりで抱え込んでしまう時に自分を追い込んでしまい、「自殺」を考えてしまうことがあるかもしれません。

しかし、死ねば何もかも無くなって楽になると思っているとしたら、それは大きな間違いです。

死ねば何もかも無くなるという事は絶対にありません。本当は「死後の世界」があるのです。

自分自身の命を絶った責任は、自分で刈り取るべき法則があります。「因果応報」という法則からは、誰しも逃れることはできません。

もし、自殺をするならば、さらに苦しみの世界が待ち受けています。その苦しみの境涯からは、簡単には抜け出すことができません。地獄に行くのではなく、本当は自殺者の霊が自身で地獄を創っているのです。

しかし、「救い」があります。この記事を読んでいただければ、これまでの常識が変わるでしょう。

現代の常識が間違っている

死ねば、すべては無くなってしまうという現代の思想はトンでもない間違いを犯しています。この思想の元は唯物論といって精神や心などの根底には物質があり、物質を重要視する考え方です。

そのせいで、脳科学では脳に「心」があるようにいっています。だから、人間が死んだ場合は、脳も肉体も灰になり何も残らないという考えなので人間は永遠の命をもっている存在を否定しているのです。

教育や科学も間違った常識を信奉している

現代日本の教育は唯物論教育が中心になっています。

宗教をあまりよく思わずに、見えない世界を信じることを軽視して証明主義の中で教育に都合のいい方向につくり上げてきています。

そのせいで「そもそも人間とは何か」という問いにも現代の教育では本当の意味で答えることができていません。ましてや、「あの世」は、古い昔に言い伝えられた躾け(しつけ)のための教育ぐらいにしか、捉えていないように思います

間違った風潮が自殺者を助長している

最近では、イジメによって苦しんでいる若者が自殺をする問題も多くなっています。

自殺に踏み切ってしまう原因は、自殺をした死後のことが「死んだら何もかも無くなってしまう」のだから、その苦しみから解放されて楽になるというように思ってしまうからです。

だから、間違った風潮が自殺者を助長しているのです。その風潮こそ唯物論や無神論それに「心」は脳にあるという脳科学にも大きな責任があるのです。

死後に自殺者はどうなっているのか

自殺は一瞬だとおもいますが、死後はカラダ(肉体)から魂が抜けた状態で「霊」としてこの地上に残っています。霊としてのカラダがあるのでまだ、生きていると錯覚してしまうのです。

(筆者は、幽体離脱で経験しましたが手も足もあり、生きている状態と変わらないです

そして、自分自身は死んだはずなのに死んでいない自分に矛盾が生じて生きていた時以上の苦しみに見舞われます。

結局、「心」に苦しみがあるので苦しみは、無くならないのです。この苦しみは、「この世」での苦しみの比ではなく半端ではありません。

その苦しみから逃れたい、解放されたいので何度も何度も同じ自殺をくりかえしてしまうのです。何度やっても、魂(心)は、死ぬことはありません。無くならないのです。

カラダ(肉体や脳)は死んでも、魂(心)は霊としてのカラダをもって生きているからです。

自殺を繰り返している光景をみることができれば、恐ろしいことをしているように観えるでしょう。

地獄は自分自身で創ってしまう

10数年前に焼身自殺をした人(霊)は、その間ずっと、火に焼かれたままで過ごしていました。救いを求めて身内や知人に取り憑いていたのです。

たまたま、話しをする機会があって、自殺者(霊)にあの世があることを教えることができたのでその苦しみを救ってあげることができたのですが、何らかのキッカケがなければ、それからさらに何十年何百年もその苦しみからは解放できないでしょう。まさに、それを地獄というのです。

その自殺者の居るところの情景は真っ暗で寂しいところで、生きている時の苦しみのままカラダが炎に包まれて、焼かれて熱い、痛いと苦しんで「助けて!」と叫んでいたのです。

これは、焼身自殺をした人の場合です。

カラダが炎に焼かれて熱い、痛いというのは焼身自殺をしたからそのままの報いを受けているのです。しかし、「心」の苦しみは無くなりません。「心の苦しみ」と火に焼かれている苦しみの2重の苦しみを受けていることになります。

飛び降り自殺をすれば、何度も飛び降り自殺をくりかえします。「心」の苦しみから逃れたくて、また繰り返します。しかし、死ねないのです。この世の肉体は、無惨な姿になっていますが、霊としてのカラダがあるので、死んでないのです。

実例として自殺者の霊と筆者とのやりとりの会話が、下記の電子書籍『天国の扉』でお読みいただけます。

地獄へ行くというのは違う

自殺したから地獄に行くということではなく自殺をした人(霊)が自分自身で地獄を創っているのです。自殺をした霊(心)が苦しんでいるために、その場が地獄になっているのです。そして同じような苦しみで自殺をした人達が波長同通の法則によって、似た様な境遇の人(霊)たちと同じ次元に地獄の世界を展開していくのです。

因果応報という法則がある

この世もあの世も含めた世界には因果応報の法則があります。

それは、良い種を植えれば良い花や実がなりますが悪い種を植えれば、悪い花や実がなるということです。

良いことをすれば、良い結果として帰ってきますが、悪いことをすればそれ相応の責任を取らなくてはなりません。

この世で悪い事をした人は、この世では法律で裁かれなかったとしても因果応報からは、絶対逃れることはできない為にあの世で、地獄を味わい反省をさせられるようになっています。

閻魔様が裁くのではなくて、自分の「良心」が自分自身が悪い事をしたことを悟らせるために、地獄の境涯へもっていくのですだから、悪いことをしたというのを反省できなければいつまでも地獄から解放されないのです。

もし、他人によって「心」が傷つけられて、心が苦しくて自殺して後悔させてやる!と思っているとしたらそれは、意味のないことになります。

自殺をした人も、他人の「心」を傷つけた人のどちらも因果応報の報いを受けるからです。大きな穴は2つあります。それを裁くのは「良心」だからです。

自殺を選ばなければ、傷つけた他人がいずれは報いを受けることになるのです。

地獄の境涯から目覚めることはできる

そして、霊(人)によっては真実に目覚めて反省し、地獄の境涯から天国へ帰ることになります。

地獄にいる霊(人)の目覚めのきっかけは、この世に生きている家族の心掛け次第というのもあり、供養をする家族が正しい生活、人生を送っていれば、地獄にいる霊が、悪いことをしたと自覚して反省が進むこともあるようです。そして、反省が進み「心」の苦しみが少しずつ軽くなった頃にお迎えがくるでしょう。

いずれにしても、何十年何百年後かわかりませんが

自殺する動機やその心境になるまでの心のあり方を隅々まで反省できれば、必ず目覚める時がくるようです。

(ただし、死後に、自殺をする前までの事を思い出して反省するのは至難の業です。なぜなら、肉体がない状態で「心」が丸裸になっているので苦しみの状態が半端ではないからです。この世のように他の誰かが廻りにいれば、気分転換もあり、苦しみから逃れられるチャンスもありますが、たった一人で苦しみの最中にいては自分自身を客観的に観ることができないのです。だから、苦しみの心境から逃れるのに相当な時間を要することになるのです。

たとえ、同じ状況で自殺した苦しんでいる他人(霊)が廻りにいたとしても助けてくれるはずはありません。助けてくれる霊なら、とっくに地獄にいるはずはないからです。自殺するより生きている方が圧倒的に救いがあることを後悔するでしょう

人間は永遠の命をもって成長を続けている存在

人間とは、永遠の命をもった存在が真実なのです。

人間は何度も生まれ変わりを経験しています。

それは時代、国、場所、肌の色、仕事、環境、人間関係などの様々な違いを経験して知識をつけて智慧を蓄えて成長していく存在なのです。

生まれ変わってもまた、試しがある

もしも地獄から目覚めて天国に帰ることができたら、一旦天国で過ごしてまた、この世に生まれ変わります。そのときに前世で自殺をする前に苦しんだことと同じような境遇に合うようになります。

試しが行われるのです。

今度は同じ苦しみや悲しみから立ち直れるかどうかが試されるのです。

クリアできればその「魂」は成長したことになります。

これを別の言い方をすれば、業(カルマ)を刈り取ったという意味です。

カルマとは心の傾向性のことで、マイナス部分の傾向性を悟って乗り越えることで成長していきます。同じ課題(傾向性)をクリアできなければ、何度も生まれ変わりの中でクリアができるまで試しがあるのです。

魂の本質が永遠に成長をする存在であるので、地獄に何百年もいたら、その分だけ魂の成長に遅れをとることにもなってしまいます。

人間は永遠の命をもった存在であることを信じることが大事

人間は何度も生まれ変わりを経験して成長する存在においてあなたが今世、この日本や他の国に生まれたのは偶然ではなくて大きな意味があるのです。

この千載一遇ともいえるチャンスを自殺することで無駄にすることなく生きていくことが素晴しいのです。

 「与えられた命を大事にするべき」というのは、親からもらったカラダ(肉体)を祖末にするなという意味もまさにその通りですが、本当はそれ以上に別の大きい意味があるのです。

人間は永遠の生命を与えられていることに感謝をして、幸せをつかむ義務があるのです。

生きている時に何度か苦しみを感じることがありますが、それは、あなたに乗り越えられない苦しみは存在しないということです。

あなたなら、必ず乗り越えられます。乗り越えた時の喜びを経験してください。大事なのは、それを信じることです。

ひとつ、苦しみを乗り越え方のヒントを言います。

イヤな時や苦しい時は、早く過ぎていき、いつまでも続かないと信じることです。そして、その後の楽しさを夢観るようにするといいですよ。たとえば、何か自分にとって楽しいイベントなどがあれば、イヤなことよりも、楽しいことを考えるようにするのです。

「心」は、物事を同時に一つしか考えられないという性質を利用するのです。

悪いことを考えるのではなく、希望のある良いことを考えるようにしよう

これは、筆者も実践して楽になっています。

あなたの「心」は、他人やイヤなことに縛られる必要はなく、「心」はもっと自由なのですから。

→       →         →      自殺を選ばない心のもち方

まとめ

「人は死んだら無になる」という無責任な世間の常識や唯物論を信じないでください。

宇宙、地球、自然や生き物、人間やすべてのものは因果応報の法則からは逃れることはできません。

人間は永遠の命が与えられており、生まれ変わりの中で切磋琢磨して魂の成長をしていく存在なのです。

自殺の苦しみからは、反省なくして絶対に解放されることはなく、さらに苦しい地獄の境涯に身を置くことになってしまいます。それにまた、生まれ変わった時にもこの世での苦しみと同じ境遇が、くりかえし試されることになります。

だから、いずれもその苦しみを乗り越えることができなければ永遠に続くということになるのです。しかし、その苦しみは乗り越えられない苦しみではないし、乗り越えられる苦しみだからこそ、あなたにその境遇が与えられているのです。

本当は、あなたは幸せになるべき存在なのです。

幸せになる義務があります。

そのために神様は、人間に永遠の生命を与えているのですから。

→       →         →       【心の錬金術】死にたい気持ちに打ち克つ方法

追記

受験、健康、経済的、恋愛、人間関係、仕事などの失敗や挫折があって、それを思い詰めて生きていることから逃げたいくらい「心」が苦しい時に自殺を考えてしまうこともあるでしょう。

実は筆者は、上記のほとんどの失敗や挫折を経験していて「心」の苦しみは、何度も究極のどん底まで味わっています。

<交通事故に合う、落下事故、大学受験4浪失敗、お店廃業、難病(ベーチェット氏病)、脳梗塞による半身不随、会社倒産やその借金、家族問題、選挙落選などなど>

実は、子供の時に落下事故で一度完全に死んでいたらしいのです。

しかし不思議なことに、見えない世界にその場で命を助けられたのです。

それは、33歳の霊的覚醒時に守護霊に教えてもらいました。確かに、その当時の記憶が前後あいまいで夢を見ているような感じがしています。

このように死の体験をもっている人もいるかもしれません。子供の頃であまり記憶にないこともあるのです。

守護霊という存在が、いつもあなた方を見守ってくれていることを忘れないでください。

自分では気がついていないこと、様々なことでいつのまにか助けられている事はたくさんありますよ。

心を清く正しくすることを心がけてネガティブな心を打ち消して、ポジティブな心をコントロールできるようになれば守護霊と交流ができるようになるのです。

あなたをいつも愛してくれていることが、わかるでしょう。

筆者の場合は、霊的覚醒後の26年間は、もちろん良い事もありましたが、大変な人生で、どん底まで味わいましたしまだ継続中です。もう怖いものはありません。霊的真理知識や守護霊の存在が自分自身を勇気づけてくれているおかげで、すべて乗り越えることができています。そして、心はいつでもポジティブにコントロールできるようになっているので、ありがたいことにとても幸福なのです。

このような経験から今度は「心」の苦しみをもった人達に少しでもお役に立てるように、お返しする人生を歩んでいるところです。

『天国の扉』の書籍を出版しました!!

死後は無いと思っている人が、死後にどうなっているのか?

「天国の扉」を開けることができるのか?

幽霊や地獄霊や自殺霊などとの会話や摩訶不思議な者たちとの交流まで書いています。

この本は、筆者が27年間数々の神秘体験をとおして検証した結果生まれた、スピリチュアル人生哲学であり、本来の「人間の道」を示しています。この本は生きているうちに絶対読んで欲しいと思っています。この世でもあの世でも幸せになれるからです。

これはバイブルです。世界中すべての人に読んでいただきたい本です。なぜなら神に近い高級霊団からのインスピレーションを受けて書いたものだからです。

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