おそらく、「地獄」と聞けば、苦しくて恐ろしいところというイメージをもっていると思う。しかし、地獄というと、そういう場所があるわけでは無い。そもそも「天国に行く」や、「地獄に行く」という言い方が誤解されやすいところもある。結論から言うと、地獄とは、真実の神(23次元根源の神)の創造した広大な天の王国(天国)には、属していないということだ。

地獄の定義

地獄の定義としては、真実の神の世界から外れた霊域を「地獄」と呼んでいるのだ。

詳しく言うと、天の王国の外にあるということではなく、広大な天の王国にポカンと浮かぶ小さな風船や泡のようなもので、その中だけで集結した孤立した独特の世界になっているのだ。

3次元宇宙銀河を俯瞰ふかんした時、ある惑星の地上(3次元物質世界)をところどころに覆っている感じである。一方で、地上からは、それぞれ周波数の違う電波のように、飛び交っているために、どこに存在しているかは特定できない。

ラジオ放送局から発信された周波数の違ういくつかの電波を、どこにあるとは言えないのと同じだ。しかし、ラジオで周波数を合わせれば、声が聞こえる。周波数を合わせない限り、探ることができない。

波長同通の法則が働く

だから、地上に生きている人間の心のネガティブな傾向から発せられる波長と、特定の地獄がもつ周波数が一致すれば、その人間のネガティブな傾向性と似たようなところに導かれるようになる。波長同通の法則が働くためである。

すべては人間(魂)の心のおもむくままの世界(天国か地獄)に引き寄せられる。

心が赴くとは、現時点で何を思い、考えているのか、その動機からどのような言葉を吐き、行動しているのか。その心のあり方がネガティブであれば、地獄へ引き寄せられる。一方で、ポジティブであれば天国に導かれる。どちらに波長が合っているかの問題だ。

地獄に波長があう 例1.

例えば、心が誰かにたいしてうらみを抱えていた場合、すでにそのネガティブな心は天国にはない。同じように恨みをもった霊が集まっている波長のところに引き寄せられているということだ。その霊域が〇〇地獄と言っているだけで、それは場所ではない。

だから、恨みを抱えているのはネガティブな心を維持しているのだから、すでに心は地獄にある。もし、死んだ時には、天国ではなく、同じ恨みを抱えている霊(魂)同士が集まっている霊域に呼ばれるのだ。

地獄に波長があう 例2.

また、地上で法に違反する悪いことをしたり、自己中心的なことをしているならば、それは心をネガティブになっているのだから、当然、心はすでに地獄と繋がっている。そのまま死んだら、同じような法を犯した者たちや自己中心的な者たちのいる領域に、波長同通の法則によって、呼ばれることになる。

そうなれば、地上で犯罪をやっている状況をそのまま死後の世界でも、ほぼ永遠に、繰り返し犯罪を行うことになる。そこに交わってしまえば、その世界の中に心(意識)がのめり込んでしまうのだ。しかし、地上の延長線上で生きている意識のままなので、本人は死んだとは気がついていない。また、本人は苦しくも恐ろしくも感じていない。ただ、犯罪を行うスリリングな感じはそのまま味わっている。

一方で、もし、そのような無頼漢地獄のようなところに、ポジティブな心をもつ誰かが幽体離脱をして観てきたら、苦しくて恐ろしい世界だったというだろう。

地獄に波長があう 例3.

さらに、一方で、自殺をする行為は、自己中心的でネガティブな心をもっていたからだ。もし、焼身自殺をした人は、同じように焼身自殺をした霊たちの霊域に呼ばれるのだ。あちらこちらで焼身自殺をしている光景がある中で、本人もそのまま焼身自殺を繰り返している。この場合は、激しい痛さや苦しみからは、いつまで経っても逃れられない。地上の時のまま、心の苦しみとカラダが焼ける激しい苦痛がほぼ永遠に続いている。

本人は、死んだことを認識していない。気がつくまでがとにかく長い。

唯物論教育の弊害

なぜ、死んだことを認識しないのか、それは、地上の教育に問題があった。唯物論教育の現代社会では、「魂は永遠に生きている」などとは、教えない。「死んだら無になる。終わってしまう」と洗脳されているために、死んだことを認識できないのだ。

宗教の洗脳は恐ろしい

この洗脳というのは、恐ろしいものだ。

洗脳といえば、カルト宗教のイメージに繋がるが、実はカルトであろうが、なかろうが、すべての宗教はアウトである。すべての宗教はすでに地獄にある。天国に宗教は存在していないからだ。

真実の神は祈りを求めていない

そもそも真実の神(23次元の根源の神)は祈りは求めていない。また、宗教には、まったく関係していないのだ。

真実の神は魂たち(神の子)に永遠の命を授けている。それは子供達がたくましく育って欲しいと一番願っているし、それを喜びとしているからだ。すでに、真実の神は自由を与えているし、その責任も与えていると言うのはどういうことか? それはりっぱな大人になって欲しいと言うことである。

それなのに、真実の神は「私に祈れ、祈れば何でも叶えよう」と依存させて、頼れとは言わない。それを言う者は、あがたてまつられる優越感を味わいたいから言うのであって、本当の慈悲、愛の神が言うであろうか。そんな過保護で堕落した育て方をする訳がないだろう。

祈りを求める生き神様 大川隆法氏

祈りを求める者は「神」ではない、ということだ。悪魔や悪質宇宙人が、目に見えない世界から祈っている大勢の信者の前で、優越感を味わっている。

一方、地上でも権力者が宗教の神への信仰形態をよく利用する。金を集めるビジネスとして好都合だからだ。

さらに異常なのは、宗教団体、幸福の科学は生き神様、大川隆法氏・エルカンターレが祈りを求めていた。しかも、ペテンや嘘をついて、根本仏、地球神、創造主、救世主などと詐称してまで、祈りを求めていた。だから、前代未聞の悪魔、独裁者だったのだ。

信者は幸福の科学エルカンターレの洗脳が完全に解けなければ、地獄との縁は切れない。心の中にニセ情報、知識やネガティブな何かが残ってしまうからだ。

そのまま、死後、地獄にある幸福の科学霊域に心の波長によって、引き寄せられて永遠という時を、地上の時と日常は変わりなく、悪魔エルカンターレに祈りを捧げて過ごすことになる。

20241月現在、エルカンターレや幸福の科学霊団の霊人たちすべてを別に惑星に移送済みであるために、彼らはそのまま別の惑星の霊域(地獄)に住んでいる。従って、これから死を迎えた信者は、地球でなくて別の惑星にある地獄の霊域(エルカンターレワールド)に波長同通の法則で引き寄せられることになる。

地獄にいるデメリット

地獄と、天の王国が乖離かいりしていることから、地上の3次元物質世界に生まれてくることができなくなる。原則、天国から地上に生まれ変わって、それを繰り返すことで、魂の成長を見込めるが、地獄にいれば成長する機会を逃すだけでなく、魂の成長度合いが後退するために、無駄な時を過ごしてしまうのだ。

それでもエルカンターレを信じるならば、これ以上、何も言えない。

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