人間は「この世」に生まれて、健常者と障害者がいるのは、なぜだろうか。

偶然にそうなっているのだろうか。

神様が存在するとしたら、なぜ平等に生まれることをしないのか不思議に思ったこ

とはないでしょうか。

障害者に対する差別や偏見がいけないことは、子供のころ親や学校から道徳教育を受け

ていて誰もが知識としてもっていると思います。

障害者も同じ人間なのだから、偏見をもって接しないで思いやりをもちましょう。

というように教わったように思います。

 

このブログの記事では、もう少し別の観点(霊的観点)から見た真理で障害者に

ついて触れてみることにします。

この真理を理解できたならば、健常者はもっと積極的に「愛」をもって障害者に接する

ことができると思うからです。

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障害者の定義は

日本の法律(障害者基本法)で障害者の定義とは、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。

 

実は、筆者も国から障害者手帳をもらったことがあります。

筆者は「ベーチェット病」という難病で神経系、血管系の両方で、基本的な症状には

いつも様々な症状に悩まされて苦痛でした。いつ目が見えなくなるかわからない

し、胃や腸にいつ穴が開くか解らないと医者から言われて、不安状態の中、突然の

脳梗塞で瀕死の重体になったのです。

しかし、プロフィールに書いてあるとおり、その後「見えない世界」からの導きで

この難病が完治しました。右半身完全麻痺もすべて後遺症はありません。

そしてすぐに障害者手帳を国にお返ししました。

 

医者は筆者の状態を見て奇跡だと言っていましたが、その後も医者は薬を飲み続ける

ことを進めていました。

そうと言われる前にもうすでに薬は飲むのを辞めていました。

それから26年間は一度も難病の症状である口内炎やリューマチの症状など出ていません。

視力は1.5あり、PCの前での仕事が多いので最近は少し乱視が入ってきましたが、

寝ると翌朝には治っています。

 

何が言いたいかというと、「信仰」の力で見えない世界から治して戴いているという

ことなのです。

 

障害者の「心」は、健常者の「心」を認識している

筆者は、右半身がすべて動かない不自由な状態を経験していたので、車椅子が移動する

のに唯一頼りになりました。

筆者の場合は3ヶ月入院して、2ヶ月くらいから社会復帰のためにリハビリを開始してい

ました。今になって思えば、その頃から見えない世界から自然治癒力を与えられていた

ような気がします。

(それには理由があることが後になって解りました。病気で病んでいる時は自分中心、

自己中に成りがちですが、その時こそ他人の不幸を気遣い、思いやりや優しさを与える

ことができれば、自然と見えない世界から自然治癒力が与えられます。

これは、与えれば与えられるという法則のとおりでした)

 

筆者は、筆者より病気の症状の重い患者の事が気にかかって、よく車椅子で行って、

会話をしたり世話をしていました。

脳が重度の障害にかかり、いわゆる植物状態になって言葉も話せない若い患者さんの

ところへもよく行きました。

筆者はこの時の経験が、「心」の大切さを理解させられた初めだったように思います。

 

と言うのは人と人は言葉でコミュニケーションを取るのが当たり前だと誰もが

そう理解していると思うのですが、実は「心」と「心」で会話が成り立つのです。

テレパシーという言葉がありますが、そのような感じです。

 

相手と会話が成り立っていると解るのは、相手が涙を流す瞬間があるからです。

筆者もその気持ちに感動して涙を流し相手を理解していました。

 

筆者も自覚しましたが、障害者は肉体がいうことを聞かないだけなのです。

話したいけど、脳が指令を出してくれないから声帯から声がでないのです。

もどかしい、むずがゆい感じがするのです。

しかし、「心」で思うことも、考えることも聞く事はできるのです。

介護していたり、接している人の気持ちはすべて伝わっています。

 

「心」と「心」のコミュニケーションが大事

筆者の妻は、目の見えない人達が居る障害者施設で働いていたことがあります。

そこでは目が見えない障害者の人達に歓迎されていたようです。

目が見えない障害者が毎日積極的に妻のところに来ては、コミュニケーションを取って

いたようです。

 

健常者は、普通他人を始めは目で確認し、耳で言葉を聞いて他人を判断しようとします

が、目が見えない障害者は、聴覚が発達していることが多いので耳で聞いて判断してい

ると思います。

しかし、実は人間はこの五感だけではなく、人とのコミュニケーションには「心」で

感じ取っているのが本当なのです。

 

この五感というのは、「心」に正確に伝えるための媒体であって、判断する器官では

ないということです。

「心」と「心」が通じ合うことが大事なのであって、五感が鋭くなってもあまり意味が

ないのです。五感はカラダに付随するマイクやビデオカメラのようなもので、「心」に

正確に伝え録音している感じです。

目が不自由な障害者はビデオカメラを一つ失っているだけであり、「心」は健全に働いて

いるのです。

これは、脳が重度の障害をもった患者さんも同じでした。

 

障害者の「心」は健常者と何も変わらない

障害者は、カラダや五感の一部に支障をきたしているだけであり、実は「心」は健常者

と何も変わらないということなのです。

 

心から自然にでる「思いやり」「やさしさ」などの愛についてはとても鋭く「心」で

認識をします。

これは五感のみに頼っていないから純粋にそうなっているのです。しかし、健常者は

五感ですべてを判断しようとしているところがあるので、「心」というものを忘れがち

になっています。(そう考えた時、反対に健常者の方が五感に頼り、「心」を使っていな

いということは、「心」に障害をもっているともいえます)

 

障害者は「心」が通う人(思いやりや優しさを持った人)と接すると、落ち着くし気分

がよくなるのです。

それは、心で「愛」を感じ取っているからなのです。

 

「心」に語りかけ、「心」の声を聞け

もっとも大事なことは、「心」に語りかけ、「心」の声を聞くことです。

 

障害者施設や介護施設で働いている人達には、この「愛」という観点が

「心」と「心」のコミュニケーションにより成り立っていることを理解して頂きたい

と思っています。

 

しかしながら、実情的に各施設は人手不足の問題や利益確保、施設存続重視のために

合理的な部分が特化しているので、この「愛」の観点が抜けてしまっているように感じ

ています。(民間、公共の施設によって状況に違いがある。民間の施設の場合は他との

差別化のためにサービス精神があるので教育も行き届いているところもあるようです)

 

中には「愛」が一番という思いをもって、介護や福祉の仕事に就きたいと入所した

純粋な人達も実情の世界においては、合理主義、機械的にこなすだけの労働に埋没して

しまい「心」を失ってしまっているように思います。

 

「心」と「心」のコミュニケーションを一番に考えて事に当たらないのであれば、

近い将来はAIロボットに活躍の場が取られてしまうでしょう。

この観点についての責任は国にも現代の社会にもあると思います。

 

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障害者も健常者も「あの世」では同等

人間はそもそも霊であり「心」が思考の中心であって、自分というものは「心」そのもの

であるということが霊的真実なのです。

 

死後は、カラダ(肉体)はありませんが、霊としてのカラダをもっています。

肉体がないので「この世」に生きている時の五感というものを使用するのではなく、

「心」でコミュニケーションをとるのが本当なのです。

いわゆるテレパシーの世界です。

 

テレパシーの世界というと難しく思うかもしれませんが、たとえば、阿吽あうんの呼吸と言っ

て、言葉を交わさなくても意思の疎通ができる状態です。

他人が自分のそばに何をしにきたか、何を話したいのかが瞬時に解る感じです。

普通、身内、家族や近くに居る他人に対しては、自然にそのようなテレパシー的なことは

使っているかもしれません。

 

このテレパシーという能力は、五感ではなく「心」の力、性質を本当に理解している人は

使える範囲が広くなります。

「心」で感じ取る範囲が、広くなってきます。

正しい霊的覚醒者の場合は、会話をしなくても他人の「心」が読めるようになります。

距離は関係ありません。

 

テレパシーというのは、「あの世」は当たり前のコミュニケーション能力であって、

「この世」の物質世界では、難しくなっているのです。

カラダ(肉体)という物質にとらわれている状態では、発揮できないのです。

 

だから、目の見えない障害者の方がよりテレパシー能力があるとも言えるのです。

 

実際、「この世」で障害者と言われている人達は、「あの世」の天国では何も障害も

なく、「この世」の健常者と一切変わらないようです。

反対に「この世」で障害を乗り越えてきた人が天国に還った時は、霊的人格が進歩して

いるようです。

 

※この記事では、一般的に障害者という定義で話をしていますが、実際、健常者の中に

「心ない人」がいるように、障害者の中にも「心ない人」はいると思います。

 

障害者の経験が霊性を向上させる

カラダや知的(頭脳)障害をもって生まれたら「この世」では健常者に比べたら

そうとうなハンディをもっています。

しかし、このハンディがあるから霊性が向上するのです。

 

ハンディの意味は、ゴルフのハンディとは違って、負荷をかけるという意味でスポーツ

選手が足腰を鍛える時に重いバーベルやおもりをつけるのと同じで、より霊性を高める

目的があるのです。

 

「この世」に生まれて負荷をかけた上での学びによって、霊性の向上を目指している

のです。

この負荷は、精神的な部分と時間と空間的な意味があります。精神的な部分はすべてにお

いては「苦しみ」です。時間的部分においては「忍耐」で、時間を耐えることを学ぶので

す。空間的負荷は「不自由さ」を学び、いずれもそれらの境遇を乗り越え、克服すること

が目的でもあるのです。

 

中には積極的に身体障害の境遇を選んで生まれてくる人もいるようですが、

カルマの刈り取りとしての境遇で生まれてくる人(霊)の方が多いようです。

 

障害者も健常者も、神様は平等に考えている

「この世」には健常者と障害者がいますが、神様は理由なく不平等にしているので

しょうか。

           【第二の人生】不平等と不公平「神」に責任があるのか

 

人間は「この世」に生まれて死ねば終わりという世界で生きているならば健常者と障害者

がいるのは、不公平で不平等ではないかと思うのも理解できます。

しかしながら、人間は本来、霊(心)が本来の姿であり「あの世」が実相の世界で

「この世」は霊性向上の学びのために用意された学校のようなものだとしたら、

健常者、障害者という与えられた境遇が不公平、不平等とは思えないのです。

 

どうしても同時代、同時間に生きている人達は平衡へいこう、平面的に物事をみてしまっている

ので、健常者、障害者というように比較してしまうところがあります。

しかし、神様は永遠という長い時間の観点から眺めているので、その違いが大きいのです。

 

もし、世の中に健常者しかいなかったら、もし、世の中に障害者しかいないとしたら

どうでしょうか。

実際、健常者の中に一部の障害者がいるこの世界の意味は何なのでしょうか?

その意味は、神様は人間に「愛」の大切さを教えてくれているのです。

健常者は、障害者に対して「思いやり」「優しさ」を与えることを学んでいます。

身内に障害者が居る場合は、家族で「愛」を学ぶ使命があるということかもしれません。

障害者自身もそのことで「愛」を勉強しているのです。

お互い様です。

 

すべての人は、生まれ変わりの中でどちらの境遇(健常者や障害者)も

経験するようになっているのです。

 

中には強制的に障害者を経験をしなければならない時もあります。

それは、健常者が障害者に対して差別や偏見をもち、身体および「心」を傷つけるような

事を平気でするならば、来世は同じ障害者で生まれてくることがあるようです。

それは思いやり、優しさという「愛」が理解できるまで続くようです。

 

まとめ

差別や偏見を無くし、思いやりの心を育てることは道徳でも学んでいると思います。

ではなぜ、思いやりや優しさの「愛」が必要なのか、が理解できたのではないでしょうか。

人間には生まれ変わりがある。

すべてお互い様だから。

その中ですべての人(霊)が霊性の向上を目指して生きている。

「この世」は学びの場である。その学びのひとつが「愛」である。

 

人間とはそもそも霊(心)という観点から健常者と障害者を書かせて頂きました。

 

「この世」で生きていくために肉体は必要です。

障害者の場合は、その肉体の欠陥部分が障害というハンディになっているのです。

しかし、天国には肉体をもった人はいません。霊(心)のまま生きています。

死後に肉体は焼かれて灰になり、肉体にまつわる欠陥も無くなるのです。

しかし、霊(心)(魂ともいう)は、生き続けているのです。

だから障害者は「この世」の寿命を精一杯生ききることが、魂の成長に繋がっていく

のです。

本当は肉体的欠陥より、最もひどい欠陥は「心」の欠陥の方なのです。

これは健常者、障害者は関係ありません。すべての人に共通です。

すべての人において「心」の欠陥が最もマズイのです。

これは死後も「あの世」にもっていくからです。

しかし、「心」の欠陥が最もマズイ事に気がついている人は少ないでしょう。

だからこそ、このブログサイトで啓発しているのです。

ひどい欠陥がある「心」の持ち主は、何十年、何百年も地獄から出てこれないからです。

 

この記事の内容は、筆者の意見だけではなく、見えない世界からの高級霊団からの

インスピレーションを受けて書いています。

 

ここまで読んで頂きましてありがとうございました。

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