死後の予備知識、対策をもっているということは、「第二の人生」では必然のことです。

スピリチュアルな生き方ができれば、世界観が変わって幸福に満ちた人生が送れます。

この記事ではスピリチュアル人生について少しだけ経験を書きます。

ただし、霊的な部分においては個人差があります。

 

スピリチュアル人生に目覚める体験

今の世の中は「霊」というとなんだか怖くて、怪しげなイメージで、

現代では死語のように捉えられているようです。

とくに霊のことを話すのは変な人、頭がおかしいと多分思われていることでしょう。

 

実際、僕も以前は恐怖を感じてあまりそのような話は、

信じてはいないし、信じようと思いませんでした。

 

しかし、あることがきっかけで反省期間に入り、数々の霊的体験をして目覚めることになり

ストレートな言い方ですが、自分が本来「霊」であることがわかりました。

ここから「スピリチュアル人生」が始まっていきます。

肉体を脱ぎ捨てるととても快感

人間の本質は「霊」で、心の目でそれを感じ取っている体験をし、

反省の時期では、心が浄化されて肉体と霊(霊体)が分離しやすくなっていたこともあって、

浅い眠りの時に、ときどき「幽体離脱」を経験しました。

 

霊体が抜けるとわかった時はすでに天井から僕本人が、僕と妻が寝ているのを見ていて

下には僕の抜け殻があることが理解できました。

 

霊体になると飛ぶことや瞬間移動もできていろいろなところへ行けます。

信じられないかもしれませんが、地球を離れた奇跡の経験もありました。

 

肉体には頭の方から戻っていき、肉体に納まる瞬間は胸に衝撃を感じます。

霊体でいる時はしっかり手も足もあります。

肉体という重い服を脱ぎ捨てているので、軽くてとても気持ちがいいです。

(勘違いしてほしくないのが、自殺をした場合は別の記事で書きますが、

このような快感とはほど遠い苦しみの世界が待っています)

 

現代の科学や教育は間違いを犯している

このような経験をしている人は、本当は世界中にたくさんいると思います。

しかし、現代の教育がそのような不思議な事実を蚊帳の外に追いやっているために

人間の本質が霊であることが真実として伝わっていません。

 

それはなぜか、現代の科学や教育が「証明主義」を信奉しているからです。

見えないものは信じない、証明できないものは信じない、

だから間違った考えをもっている科学者や教育者にとっては

説明しやすく、生きやすい、楽な方に逃げているように思います。

 

見えないところで大きな罪を犯している

そのように間違った教育によって、物質主義や唯物論がこの世に蔓延してきています。

人間が偶然にできて、ただの肉の塊のように考え、死んだら何もかも無くなる

といった間違った考えが世の中を不幸にしています。

 

人間の存在は、人間の考えでは創られているはずはありません。

なぜならこの宇宙、地球、自然環境、生き物のどれをとっても、

人間と関わりのある摂理(法則)のひとつでも人間自身で解明できていますでしょうか。

 

すべて偶然だと定義づければ教育もそのほうが楽であるからといった考えがあろうかと思います。

そのせいで、実際に見えない世界でどのようなことになっているのか、

それによってどのような大きな罪を犯しているのか、気がついていないと思います。

 

死後、地上で迷っている霊が非常に多い

どの場所、どこにでも迷っている霊が多いのには、大変困る問題です。

その迷っている霊が、生きている人間に対して大きな罪を犯しているのです。

たとえば、地上にいる人間の心の問題が、迷っている霊を呼び込んで

家庭不和、事故、病気さまざまな不幸なことが日常茶飯事起きています。

 

そのように過った教育の結果、見えないところで大きな罪が生まれているのです。

 

なぜ、迷う霊がいるのか?

迷う霊がいるのは、本人が生きている時に、死んだら何もかも無くなってしまうという

言葉の教育に洗脳されてしまい、真実を聞く機会や聞く耳をもっていなかったからでしょう。

とても悲しい現実があります。

 

僕はホテルや旅館など、どこへ泊まりに行っても

僕がひとりになったのを見計らって、迷っている霊が向うからきて

なぜか、救いを求めてきます。

「そこにいてはイケナイ」あの世の世界へ帰るように説得をしています。

最初は、霊(人)ひとりに付、1時間以上かけても説得できない時もありましたが

最近は、説得が早くなりました。

 

霊(人)も最初は半信半疑なので、ひとりの霊(人)が成仏したのを

確認してから、次から次へと順番に救いを求めにくることもあります。

入れ替わりたち変わりで多いときは一晩中続き、とてもひとりでは手に負えません。

大変、疲れます。相手が霊なので誰からもお金を頂けません。(笑)

 

他に笑い話ではないですが、10年くらい前にゴルフ場に泊まりで行った時は

朝までつき合わされて目にくまをつくって、ゴルフどころではなかったです。

でも別の日に、ゴルフのうまい霊が僕に取り憑いたこともあります。

その時は、嘘みたいにスコアが良かったこともありました。(笑)

 

迷っているのは他にも理由がある

実は、霊本人が死んだことを自覚していないものもいます。

なぜなら手も足もカラダがあるので、まだ生きていると錯覚しているのです。

自分の葬式は出してもらったのに、なぜカラダがあるのが不思議でしょうがないのです。

身近で自分に縁のある霊が、「あなたを向かいに来ていないか」と尋ねてみると、

たいてい「来ていた」と言いますが、信じられなくてついて行かなかったようです。

 

死んだら何もかも無くなるという洗脳教育を受けているせいで

今の自分の居場所が、理解不能に陥っているのだと思います。

 

このように、霊能者や宗教家がやることも時々させられています。

なぜ、僕が「引導」を渡さなくてはならないのか、

もう少し、最近のお坊さんは魂を入れてしっかり働いて欲しいと願っています。