年末は、どの家庭も大掃除をしますが、心の中も大掃除をしましょう!

新しい年を迎えて、神社やお寺に行ってお祈りをしていますが、

果たして神様や仏様にお祈りは届いているのでしょうか?

 

神社仏閣はご利益信仰になっている

日本人は、日頃の信仰心を問わず、神社やお寺に新年のご挨拶として参拝する習慣が

あります。

とくに親の代から新年に神社仏閣にいくのがあたりまえになっていて、

神聖な場所に行けば、自分自身が清められるし、ご利益も得る事ができる

といった考えがあるように思います。

 

お賽銭を投げて、昨年1年の感謝と今年が幸福でありますように、

商売がうまくいきますように、病気が治りますようにお祈りをしています。

神様が願いを聞き入れてくれている?

神社は、神様をお奉りしている神聖な場所です。

その神様が、新年に一度人々の願いを聞いているとした場合、どうでしょうか?

大勢いる中で誰だかわからない人達のたくさんの祈りを聞いて、

はたして願いを叶えてくれるのでしょうか?

 

例えば明治神宮に毎年300万人が参拝しますが、

神様が願いを聞き入れるのに条件があるとしたら、どのような人を選ぶと思いますか?

それとも神様は、エコひいきはしないと思いますか?

 

自分が神様の立場になって考えてみてください。

心の中にやましいものをたくさん持っている腹黒い人の願いを聞きますか?

人のことよりも自分さえ良い、という自己中心的な人の願いを叶えるでしょうか?

 

判断する基準は「心」を観ている

どこを判断の基準にするのでしょうか?

髪型、格好、顔、お金持ちで賽銭をたくさんくれるから?

そのような、この世的なところで判断をしているのでしょうか。

 

そのような外見よりも、見えない世界に住んでいる神様だから、

判断する基準は当然、『心』です。

穢れがなく清い心の持ち主かどうかを観ています。

 

穢れのない清い心の持ち主が、自分のことより人の幸せや世界の幸せを心から願い、

精進していく人を観ています。

神様が願いを聞いてもよい条件は、少し考えてみればあたりまえのことではないでしょうか。

 

穢れのない清い心の持ち主の祈りは届いている

ではなぜ、穢れのない清い心の持ち主の祈りは神様に届くのでしょう。

 

それには心の法則が働いているからです。

たとえば、穢れのない清い心の持ち主の祈りは、優しい精妙な波長となって神様に

伝わっていきます。

心が澄んでいれば、波長に乱れがありません。

 

一方、心が穢れている人の場合は、心から激しく粗い波長が伝わっていきますが

神様のほうではなく、別の次元へ伝わっているようです。

 

そのように、心は「波長同通の法則」が働いて、同じような波長に親和性をもつ

仕組みになっています。

ようするに同じ波長の信号同士でなければ、繋がらないようになっているのです。

 

鳥居は神聖な場所の入口で敷居が高い

本来は、心に穢れのない清い人しか神聖な場所に入ることは許されないようです。

鳥居は、敷居と同じ意味合いでそこから神聖な場所になるので

誰でも入ることは許されないのです。

 

だから、そのような神聖な場所だからこそ

自分のご利益の目的の為だけに祈る人たちの願いを叶えてくれるはずは

ないのです。

 

心を清くする教えはどの宗教にもある

日本神道では『禊払い』(みそぎばらい)といって、反省の方法があります。

仏教やキリスト教にも懺悔という反省法があります。

 

これらは、同じ様に心の穢れを落として心を清くするための教えです。

だからこれらの教えを実践し、穢れを落とし清い心を目指す人や穢れがなく心が清い人が、

神聖な神社、寺院や教会に入って欲しいという神様の気持ちが慈悲として

人々に伝えられているのです。

 

ぜひ年末は家の大掃除だけではなく、1年を振り返り「心の大掃除」反省をして、

清い心を目指しましょう。

 

そして新しい気持ちで新年を迎え、人の幸せや世界の幸せを祈る気持ちが

心から自然にでるようになったとき、本当に願いが叶うでしょう。