世の中には無関心な人が多い。
特に自分に直接関わること以外は関心がない。
本当は全てにおいて直接間接関わらず、この地球上の全ての出来事は繋がっているのにだ。
「愛」という言葉があるが、それはマザーテレサも言っている通り「愛の反対は無関心」である。
愛がわからなければ、誰かのために正しいと思うことをすることだ。積極的に。
最近つくづく思う。中国、韓国、北朝鮮など隣国は戦後70年以上経ったにも関わらず、いまだに反日を掲げている。それに対して政府は何も反論できない。それどころか、過去の総理の発言が未だに撤回もなく生き続けていることが、大きな原因でもある。
正しい歴史認識を世界に発信するべき時なのに、日本人は言葉の壁を越えてまでそれをしようとしていない。それが「無関心」ということだ。
私は未熟な英語スキルであっても、言いたいことはしっかり言いたい。正しいことを世界に伝えたい。彼らの国の考え方は間違っていることを。
他人への悪口、他人を貶めた者が幸せになるはずがない。
いつも憎しみを抱えているものが幸せになるはずがない。70年以上も根に持っていることが、また国力を上げるために、そのようなネガティブなもので自国民を鼓舞しようとすること自体が馬鹿げている。
全く智慧がないと言える。
国だから、イメージがつきにくいかもしれないが、もし隣人に対して一生憎しみを抱えて生きている人がいたら幸せに見えるだろうか。
誰かが、生き方が間違っていることを教えるのではないか。そんな生き方で幸せにはなれないよ、と。
だから、そのような理屈を日本は隣国に教えることが必要である。
中国、北朝鮮は独裁者の共産主義国、韓国も民主主義を掲げながら、国を率いる者の思考は主義も哲学もなし、はっきり言って国にもなっていない。だから若者は国を離れていく。
日本はどうか、日本もまた、社会主義、共産主義の影響よろしく二枚舌外交の安倍政権がある。
これらは人間にとって何が正しいのか、本当の正義とは何かが分かっていないのだ。
正義がわからないから、無関心を装い何もしないことが美徳であるかのように振る舞い、またそれを正当化する。
「正義」という言葉がわからないのであれば、間違っている国や人に対して優しさ、思いやり「愛」をもって正しい方向に導いて上げること。
そのようなネガティブな考え方を持つのは、もういい加減にやめたらどうだ。国民を幸せにすることが国の使命であって、他国を恨み、そこから奪い取ったものを国民に分け与えるという考え方は、野蛮である。その野蛮な考え方から脱しない限りは、国として真に発展することはない。と。
昨今のシビアな問題は、国のトップの思考に哲学がないことだ。特に日本や韓国。
一方、中国や北朝鮮の共産主義国は完全に間違った哲学を信奉している。
本当は、正しい哲学には「愛」が含まれていなくてはならないからだ。