人に対して心からの優しさや思いやりを発揮できる人は、幸せだと思う。それも自分の見返りも考えることなく、他人の幸せのために生きることのできる人は最高の人生を過ごしていると言える。結果的にはその本人の自己実現がいずれ思いもしない幸せな形で叶うことになる。この原理はどういうことなのか、目に見えない世界でどのようなことになっているのか、その要因は何であるのか「心」と「霊的世界」をとおして説いてみる。

映画『シンデレラ』に霊的真理を見る

昨日、ディズニーの『シンデレラ』がテレビで放映していたので鑑賞した。

子供の頃に絵本や漫画を何度も見ていたのであらすじは頭の中にあったが、新たに実写版の『シンデレラ』をみるとやはり感動した。まだ、観られていない人もオンラインビデオ(Amazonプライムなど)で鑑賞してみることをオススメしたい。

この『シンデレラ』にはシンプルなメッセージが込められている。

誰が観てもわかる「善」と「悪」という両極端から最後は善が勝るというヒーロー映画を観た後のような爽やかな感覚も残る。

この「善」と「悪」に優しさ、思いやりと嫉妬、欲というキーワードが含んでいる。

この映画を観て、単なる道徳のために良い映画だと思っているとしたら、まだ本当に霊的真理を理解していないと思ってしまう。この映画自体が霊的真理を物語っていると言っても良い。なぜなら現実に日々筆者が感じていることが同じように描写されているからだ。

だから、本当の意味で「優しさ」「思いやり」の重要性を真に理解し、日々実践できるならば間違いなくこれまでに思ったこと考えたことのない奇跡を目の当たりにするだろう。

それと反対になぜ、嫉妬の感情や過ぎた欲がいけないのか、この理由を普遍的な真理に照らし合えあせて映画『シンデレラ』と重ね合わせて説いてみる。

本当の優しさと見せかけの優しさ

本当の優しさとは、心の底から自分以外の者に対して出てくる素晴らしい感情である。

これはどちらかというと直感的に行われることがほとんどだと思う。

例えば、電車で超高齢者や体が不自由、不調な人に席を譲る時も、瞬時の状況判断後に自分の都合も何も考えずに「どうぞ」と自然に言えるかどうか。これはいつもその人がその行為が良い事だと心にすでに持っているからできるのだ。

だから、いつも心の中で優しさがスタンバイしている状態になっている。しかし、反対に同じ状況で席を譲るか譲らないかを迷いながら、自分の都合と照らして最後に自分を正当化するものを探して眠ったふりをする人もいるのではないだろうか。

これは優しさのベクトルを他人へ向けるのではなく、自分に向けた例である。

もう一方では、結果的に席を譲ってはいるが、自分の都合と一致したから結果的に席を譲った形になった。これも同じく本当に優しい人と同じなのかどうか。

優しさとは結果が同じ場合、それも本当の優しさに当たるのかどうか。

これは嘘眠りをする人よりは良いが、優しさと自分の都合の一致が相殺される形になる。

それと、そうであっても席を譲ってもらった相手が純粋に席を譲った行為を感謝しているかの度合いに寄るところがある。譲った人、譲られた人の表面行為ではなく心の中に答えがあるのだ。表面的には感謝しながら「あの人は席を譲るのを一瞬躊躇しつつ何か閃いたように席を譲ってくれた、、、」と思っていれば、マイナスとなり優しさが相殺されてしまうことになる。

このように表面的ところ、自分の都合が含まれた部分では真の優しさを発揮しているとは言えないのだ。

だから、最初の例のように躊躇することなく席を譲ることができるのが本当の優しさを実践している人であり、その人は前もって心にその動機をインプットしているからできるのだ。常に他人を喜ばせるために何をしたら良いのか、それを考えて行動することで最初はぎこちなくても自然に振る舞えるようになる。

この心がけが本当の優しさの一歩となるのだ。ただ、家族、会社、社会において様々な人間関係において優しさは発揮できる、人を生かすアドバイス、元気付けてポジティブにすることもできる。優しさにもある意味レベル(段階)がある。

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ギブアンドテイクは優しさにあらず

好意をもっている人や異性に優しくするのはどちらかというと動物的本能に近いかもしれない。相手を自分に振り向かせたいという欲求があるから。だからこれに対する言葉や行為自体を「本当に優しい」とは言えないのだ。

やはりギブアンドテイクを求めているところがあって、相手を自分に振り向かせたいという欲求と優しい行為が相殺されている、だから優しさを利用しているに過ぎない。

この動物的本能は人間としてのコミュニケーションや種の保存に必要なことだと思うのでそれを否定しているのではなく、優しさの定義からいうとするなら、本当の意味での優しさには当たらないと思っている。

それがよくわかるのは、結婚するまでのアタックと結婚成功後でどう心が変化してくるかを見ればわかるところもあるのではないだろうか。本当の優しさとは結婚後にお互いが育み、成長している過程で発揮しあい確かめ合うところで悟るところがある。

この場合、優しさというより「愛」とは何かという大きなテーマに入っているかもしれない。

先ほどから、相殺やギブアンドテイクという言葉が出ているが、これらの言葉は優しさのアンチベクトルのことを言い、ポジティブな行為がネガティブな行為において打ち消されてしまい、本当の優しさが発揮されているとは言えないことを言っている。

もちろんギブアンドテイクもビジネスの世界では通用しているのでこれ自体が悪いことではない。こと優しさに関して言った時にギブアンドテイクのひびきが悪くなるだけだ。

このギブアンドテイクについては映画『シンデレラ』でシンデレラはそのような心を持つことなくいつも謙虚けんきょでいたと思う。自分に対する優しさより厳しさを選び、あえて汚い屋根裏部屋でも不平不満を思うことなくその環境をポジティブに捉えて生きていた。ネズミや動物たちにも屈託のない愛情を示し、同じ生きている仲間と認識しコミュニケーションを大切にしていた。自らの危機的状況においても汚いおばあさんの要求に快く答えたが、魔法使いと知った時も自分の都合を優先せずに全てあるがままに行動していた。実はこの場面で魔法使いがシンデレラを試していたように思う。しかし、何も動じないシンデレラに魔法を使うことに決めたのだ。このシンデレラの爽やかでこだわりのない心が本当の優しさの源でもある。

嫉妬は悪の原因になりやすい

ほとんどの人は少なからず嫉妬の心をもったことがあるのではないだろうか。

嫉妬とは「人の幸せや喜びをねたむ心」でもあり、それが恨みになる時もある。

嫉妬の思いは、自分が人と比べて不利、不幸だと思う時に起こる。自分が人より優位に立っている時は起こらない。

映画『シンデレラ』ではママ母がシンデレラを初めて見た時に美人だと思った。それに元々お金持ちの家に住んでいたことを含めて、この時に自分の生い立ちと比較し、嫉妬心が始まった。

今度は自分や娘の方がシンデレラより優位に立つように仕向けて行ったのだ。シンデレラの父の死後に、それは完全に実行された。しかも、シンデレラを不幸にする方に注がれたのだ。

結局、この嫉妬心というものは裏を返せば自分に対する愛でしかない。

人より優位性を誇示し、優しさを自分に向けて独り占めにする行為でもある。

この嫉妬の心が過ぎた欲と合わさった時に、完全に悪となっていく。

この映画では、ママ母はどんどん欲を膨らませていき、最後には裏工作までして自分の優位性を保とうとした。結局、嘘をついてまで自らの計画通りに進むように仕向けた。これが悪である。

話は変わるが、この嫉妬心が合わさった時に、この心は国や世界を悪に染める原動力になるのだ。ネガティブな心で最大のものでもある。

昨今の近隣諸国を眺めれば該当するところはあるのではなかろうか。

されたことで恨み心を肥大させ、他国を悪く言い、平気で悪事を隠し、自分の思う通りにしたいという欲求をもっている国もある。

元々の思想がこの「嫉妬心」で始まっているからタチが悪い。

純粋無垢な優しさに奇跡が起こる

結局のところ、優しさとは他人に対するポジティブな思いの結果の行為であり、全く反対なのが嫉妬なのだ。

『シンデレラ』は最終的に思いもしないそれ以上の夢のような実現を手に入れることができた。しかし、ママ母はどん底まで突き落とされたのだ。

この結果から、自分のことより他人の幸せのためにとことん優しかったシンデレラが思いもしない幸せを手に入れた。これには何の策略もなく、ありのままに生きていたシンデレラがいた。その純粋無垢な優しいシンデレラだからこそ、実はその時に見えない世界ではシンデレラに協力体制が整っていた。神が仕向けた魔法使いもしかり、様々な動物も惜しみなく協力した。

しかし、ママ母は、策略や嘘までついて何とかして自己実現を狙っていたが最後にはどん底に突き落とされた。この時すでに見えない世界では悪魔が加担していたと思う。

普遍の法則には善も悪もない

これは単なる道徳ではない。これが不変の真理であり普遍の法則通りになった結果だったのだ。ウォルトディズニーは、この普遍の法則をファンタジーの世界で表現したのだと思う。彼のメッセージがこの『シンデレラ』に含まれている。

これは筆者が説いているところの「心」の法則そのものであり、哲学的、宗教的な真理である。原因結果の法則通り、良い種を植えれば良い実がなり、悪い種を植えれば悪い実がなる。他人を幸せにしたいという思いは自分から他人へ発せられるが、その思いはいつか自分にも返ってくる。嫉妬や欲の思いはいっとき自分が得することはあっても他人へマイナスな思いが発せられているので最後には自分に返ってくる。ただそれだけ。法則がそうなっているだけなのだ。普遍の法則には本来善も悪もない。

この宇宙の法則、普遍の法則を知っていることはとても大事である。

だから、

とことん他人や他の者に優しくなることを目指そう。優しさとは弱々しいことではない。

優しさを発揮することで世間の目を気にすることはない。

それが本当の自分なのだと思えるまで常に他人や他の者に優しくあること。

見返りを求めることなく純粋な優しさをし続けよう。

昨今、イジメが流行っているが、イジメをやった人間が反省なしに将来幸福になることはないかもしれない。この法則通り。

だから、イジメをやる人間にもこの法則を気がつかせる必要があると思っている。

結局、悪口を言ったりイジメをする人間は自らがすでに不幸をもっているに過ぎない。

その不幸から逃れたいから、他のものに八つ当たりをしているのだ。

可哀相である。真理を知らないだけなのだ。

 

自らが都合よく何でも手に入れるがために策略を計っても最後には手に入れることができない。これも真理を知らない人のすることなのだ。

たとえ、この世で手に入れて満足できたとしてもいずれは絶対死から逃れられない。

死後にその真の結果が待っていることも知ってほしい。結果は必ず出ることになっている。

純粋な優しさは天国のサポートスピリッツに届いている

奇跡が起こり、自己実現が叶うのは純粋に心から他人や他の者の幸せを願い、それを実践し続けること。焦ることなく淡々と自らの環境を恨むことなく。本当にシンデレラのような心になるならば、思ってもいない奇跡が起こるだろう。それはすでに目に目ない世界に届いている。いつでもその優しさに惜しみない協力をしたいと思っている天国のサポートするスピリッツが控えているのだ。だから、あなたも世の中のお役に立ち他人を喜ばし心から優しさを発揮できるならば、奇跡は起こるだろう。

筆者は、いつもそれを実感している。『天国の扉』の書籍通りに、常識破りの奇跡の連続であり見えない世界では着々と準備が整い、次のステップが始まる予感。そしてやっと行動し始めるだろう。

まだ、世間には大きく発信はしていない、まだ自己を高める時期を超えるまで、いずれ来る知っている未来のための水面下の努力を惜しむつもりはない。

多くの人が本当の霊的真理を知り、心のあり方を理解し実践、コントロールでき、本来の人間のポジティブな力を発揮し自己実現できるようになるまで、これからももっと世界に向けて発信し続けていくつもりだ。

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