心と肉体は別物なのか、それとも一体なのか?それは、そうとも言えるし、そうでないとも言える。

肉体が自分そのものだと思っている人にとっては、心と肉体は別物だという考えは出てこないと思う。この心を「精神」という言い方に置き換えるならば、その場合は別物のような、一体のような気もするかもしれない。

アスリートは肉体を究極に鍛え続けているけれど、それと並行して精神力というものも鍛えることを知っている。どちらかの片方が優れていても使い物にならないことが分かっている。心(精神)と肉体が一体であるからこそ両方を鍛えねければならないと認識していると思う。これはアスリートに限ったわけではなく、全ての人の持ち場において、この世では心と肉体の関係をどのように感じてきたかが重要であるのだ。肉体は大事ではあるけれど、肉体のみが自分そのものという考えは破棄して、心とは何かに焦点をあてて、肉体との不思議な関係を考えてみてはどうだろう。

オリンピックから感じたこと

コロナウイルスの最中、東京オリンピックが開催されました。また、これからパラリンピックも始まります。アスリートの頑張りでたくさんのメダルや感動を日本にもたらすことができて、コロナパンデミックの暗い雰囲気の中、明るい気持ちにさせてくれました。

始まる前は、コロナの状況から中止した方が良いという意見も多く、賛否両論ありました。その様な中、一年間延期したことでアスリートはモチベーションを維持するのが大変だったでしょう。本当にご苦労様でしたと言いたいです。パラリンピックのアスリートの皆さんにもたくさんのメダルと感動を期待したいです。

今回のオリンピックで、日本を含むアジア人は、西洋人と比べて体格や体力の差を感じなくなってきた様に思います。それだけ体力や精神力を鍛え、またテクニックを向上させる方法が確立し、日本人やアジア人の体力的な弱点を克服できてきたのでしょう。もちろんオリンピックのホスト国は自国のアスリートに相当のサポートをしてきたというのはありますし、無観客でしたが、多くのサポーターによって力を与えられたでしょう。

また、開会式や閉会式は、ホスト国のもつ歴史や文化レベルを表現したり、独自の未来文明の一旦を指し示す役割があります。このような意味でオリンピックはスポーツの祭典ではありますが、世界の文化、文明を押し上げる役目があるのかもしれません。

肉体を酷使すると見えてくるもの

アスリートは、肉体に負荷をかけ酷使して技術レベルを上げる努力をしています。それと同じように肉体行を行っている山伏、ヨガの行者や修行僧も存在します。彼らも究極に肉体をいじめ抜くために、そこから何かが見えてくる、いわゆる心の存在に注目できるようになってきます。断食などもそういう効果があります。肉体を酷使すれば、自分はなぜ生きているのか、その様な疑問が自然に生まれてくるのです。その様なことを通して本当の真理というものに、数は少数ですが出会う人もいます。

一方で、肉体や精神的な苦しみを乗り越えて鍛えるアスリートとは違って、肉体の故障、いわゆる怪我や病気をもった人もアスリートと同じ様に、苦しみの期間に何か別の意識を感じたりすることもあります。これは極端にいうと、心(精神)と肉体がセパレートした瞬間に気がつくからだと思います。

肉体の怪我や病気から気づきがある

筆者は、27歳の時に重い脳梗塞で死にかけた時に右半身麻痺をして、心と肉体は別物であることに初歩的ではありますが、気がつきました。右半身が自分の肉体ではなく、完全に別物に感じた瞬間でした。ここで自分自身の心が麻痺状態に負けてしまったならば、今の自分はありませんでした。

しかし、その時は楽観的でした。肉体は病んで一部の動きをストップしましたが、心は正常に働いていたために「何とかなる、これは動くようになる」という強いイメージがあったのです。その後やはり心の強さが肉体をリードしました。心に向き合ういい機会ができ、それによって病気になった原因が心にあったことが分かったのです。心にあるこれまでのネガティブな思い、言葉や行動を反省し、心を浄化させ、心というものをポジティブに鍛え上げました。

その結果、さまざまな霊的現象を経験し、目に見えない世界に誘われて、本当の霊的真理に出会いました。そして、気づけば、リハビリがまだ必要な右半身が完全に治っていたのです。これは鍛えた心の強さが肉体を回復させたことになります。この時、目に見えない世界からの援助によって奇跡が起きたのも事実です。

肉体が自分であって自分でない感覚

アスリートは肉体、そして精神力を鍛え上げる実践によって本番で力を発揮しています。これも本人の努力であることは間違いありませんが、本当はこの時に目に見えない世界から本人の努力に応じてサポートがあることもまた事実であるのです。

筆者は、スポーツをやっている時に4回ほどこの様な不思議な感覚に出会ったことがあります。

中学校3年間でバレーボールを一生懸命やっていました。中三の終わりの試合中に、不思議な感覚を覚えたのです。スパイクの時、自分であって自分でない感覚で、この時のジャンプ力とスパイク力が半端ではなかったのを覚えています。また、社会人になって会社の草野球チームで大会のピッチャーに駆り出された時、自分ではない感覚でスピード、コントロールも良く、フットワークも軽く、対戦相手を完封したことがあります。さらに、ボーリングの大会に自分ではない感覚で高得点を出し、優勝したこともあります。

思いもしない肉体の発揮の仕方

その当時は霊的に目覚めていなかったので、それらの意味の分析はできてはいなかったのですが、霊的に目覚めてから一度、ゴルフのコンペでハイスコアで優勝した時にはっきり理由がわかりました。

バレーボールは自分の努力によって、自分ではない感覚を得たのですが、そのおかげで高校や社会人に至るまでバレーボールを楽しく続けることができたのです。しかし、残りの3つについては、思い当たるところを振り返ると、自分の努力はそこそこか、ほとんどしていませんでした。野球にしてもボーリングやゴルフにしてもです。実はこれについては、霊的なところで協力???があったのです。いわゆる憑依現象でした。

気がついていないうちに、筆者の肉体に取り憑いてスポーツを楽しんでいた幽霊がいたのです。

ゴルフの時、コンペ前にバンカーで一人で練習している時に取り憑かれたように感じました。

生きているときにそこそこゴルフの上手かった幽霊がゴルフ場にいたのでしょう。ちょうど良い感じの人間に取り憑いてゴルフができたので楽しめた様です。筆者は肉体を貸したレンタル料を払って欲しいと思ったのですが、優勝させてくれたので文句は言えません。

心と肉体の不思議な関係

自分であって自分でない感覚は、自分が自分のやっていることを客観的に眺めている感覚です。ワンクッション置いて、やっている感じです。おそらく元々霊的感覚が強いせいでこのセパレート感覚があるのかもしれません。

この様に筆者だけではなく至る所でこのような憑依現象を知らずに経験している人は多いと思います。この憑依現象は悪くはないので、おそらく憑依された人は「運が良かった」という言葉で片付けてしまうと思います。でも、見えない世界でこの様なことが行われていることもあると覚えておいてください。

ただ、最近は、筆者の新たな情報から地獄界の様相が変わったために、迷いの霊、幽霊の存在よりも悪質な宇宙人の存在の方が数的に上回っていますので、どのような憑依結果が出るかはわかりません。宇宙人に憑依された野球選手が球速200キロを投げる時が来るかもしれません。(笑)

いずれにしても、自分は自分でありたいもので、努力に見合う結果が出るのが理想です。そのために依存する前に意志を強くもって努力を惜しまずに生きていく、そう言い聞かせるのは自分の心次第ということになります。そして努力をしたならば後は結果に執着することなく「天にお任せする生き方」がベストです。

そういう意味で、心と肉体の関係というのをみなさま自身のこれまでの体験を踏まえて考えてみてはいかがでしょうか。何かしらの不思議な体験、気づきが与えられているはずです。

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これは、2020年11月から半年以上に及ぶ、筆者が経験した地獄界解消や悪質系宇宙人との面会や戦いによる感動の実話である。

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「心」はなぜ重要か? 死とは何なのか? この大宇宙や地球を創造した神の考えは何なのか? 我々人間はどこに向かっているのか?
今世紀の地球人類の使命は何であるのか? この地球はどこに向かうべきなのか? この地球のリセットを回避できるのか?などの疑問が解決する。
 近未来に起こる「地球のリセット」は予言ではなく計画です。これから地球人類77億人が救えるか、その神の計画第二弾が始まったのである。

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