瞑想による心の浄化によって霊的覚醒(大悟)をした筆者の体験談です。

心の浄化というのは、心を清くして純粋無垢な状態にもどしていくことでもあります

が、では心の浄化によってもたらされるものとは何か。心の浄化とは本当はどういうこ

とか。また、心の浄化が意味するものとは。

瞑想による心の浄化がもたらす奇跡の霊的覚醒について、筆者がつかんだ範囲(悟りの

レベル)でお伝えします。

このブログサイトに何度も訪れてくださる読者様には、筆者のスピリチュアル、宗教的

な哲学に興味もたれているかと思いますので、この哲学をブログ発信するまでに至った

経緯を霊的覚醒直後から社会貢献への導きまで、そして心の浄化による奇跡の霊的覚醒

(大悟)した瞬間の神秘体験明かしていきたいと思います。

これは26年間、誰にも話したことのないシークレットです。

 

この記事によって、瞑想による「心の浄化」がどれほど大切であるのかを理解していた

き、そしてできれば実践して本当のあなた自身に目覚めて幸せをつかんで頂きたいと

っています。そのためのヒント、参考にしてくだされば有り難く思います。

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願いは叶ったが、それ以上のものを得た

(心の浄化でもたらされるものとは何か)

「心」の浄化による霊的覚醒で自己実現、願望が叶ったのです。

→ → → 【心の錬金術】自己実現、願いが叶う理論と実践

上記のブログ記事のとおり自己実現、願望どおり「絵の仕事」に就くことは叶ったので

すが、しかし、もっと思ってもみなかったことが解ったのです。

それは「この世」に生まれる前に計画していた「もうひとつの人生」が、新たに観えた

ことです。

それは願望の職業とかではなく、するべき天職(ベルーフ)が解ったのです。

それは、人は生まれ変わりをして前世もあり来世もあるということを理解した上で

何をするために今の世の中に生まれてきたのかが解ったのです。

 

霊的覚醒(大悟)直後の出会い

筆者が霊的覚醒直後に始めて縁があって、ある人の「苦悩の心」を救う機会がありまし

た。その人は自殺未遂をくりかえすほどの精神的なやまいをかかえていたのです

が、それは悪い霊がたくさんいていたからだったのです。

 

霊的覚醒をしたばかりの筆者は、守護霊、支援霊のサポートで光を強くすること

言霊ことだまに光がある)ができたので、彼は悪しき憑きものが取れて元気になり、その後

筆者と霊的なところで関係が深くなっていったのです。

彼は、もともと純粋無垢な人で、霊的に目が開かれて霊視、霊聴などの霊感も強かった

のです。霊感が磨かれたのは、もともとの素養もありますが、悪しき霊が居る磁場に長

く住んでいた影響があったのではないかと思いました。

 

実は心が純粋無垢な人には、良い霊も悪い霊も憑き易くなるのですが、それを呼び込

むのは、本人の日常の思考の質や心の傾向そして磁場(地縛霊)の影響も多いのです。

 

はじめての高級霊の霊言(啓示)

それからの事、彼は筆者のミディアム(霊媒師)となって筆者の守護霊のお使いの霊や

いつも会議をしているグループ(霊団)と交信ができるようになり、また時々、彼に高

級霊や守護霊が降霊して筆者と会話をする霊言という機会を得ました。

 

高級霊が降霊した時は彼のカラダにスッポリ入り、筆者からは、まるでSF映画のワンシ

ーンを観ているように彼の顔に重なって別の次元から顔が浮きあがって観えました。

その別の顔は確かに高級霊らしく、光り輝く高貴な男性で不思議と懐かしい感じがしま

した。何といっても映画俳優のような男前で年齢は30代後半くらいで言葉はもの静かで

威厳がありますが、愛を感じたのを覚えています。

 

別の日に、今度は高級霊からの啓示があり、筆者の魂の本質、過去と未来(地球の人生を

終えて別の星へ霊的に移住すること)を教えてもらったのです。それを聞いている時に筆

者の霊的意識が宇宙空間に孤独でいる情景が浮かんできました。

しかし、言われた時はそのような話は夢のようで素直には信じることは、できなかった

のです。

そして次に明かされたのは、天上界では着々と地上に霊的真理を弘めるための計画があ

ることを言われ、役割まで決まていたのです。それはミディアム(霊師)の彼もい

っしょに新興宗教的なものを起こすとだったのです。

しかもそれには「選ばれた人である」と言われて、嬉しいような、でもなぜかそれは

筆者のことではなく別の人ではないかと思い、どうも守護霊?高級霊は勘違いしている

のではないかとも思ったのです。

なぜなら筆者自身は、その時はそこまでの悟りに到達していなかったからです。

 

思っても見ない展開になっていることを知って、驚きと期待と疑いとで頭は混乱をして

いましたが、冷静ではありました。

 

霊的なことから一旦離れた時期

しかし、いろいろなことがあって数年ほど経ってから、筆者は守護霊に霊的世界から

旦離れることを言われて、デザイナーとしての道に専念するように言われたのです。

その大きな理由は、後に解ったのですが、筆者の社会経験の不足と社会におけるマイナ

ス要因(その後すぐにオウム真理教の事件)があったからです。

 

実は、デザイナーとして会社勤めをしてから7年間、会社では霊的覚醒したことは誰に

も告げずただ、行き帰りの電車の中では霊的真理の書籍をむさぼるように読んでいました。

それは、世界、日本の中で筆者と同じような霊的な神秘体験をした人を探求し、学び

ながら筆者の霊的覚醒の事実確認、確信を深めていきたかったからなのです。

 

時々、様々な書籍から学んだ霊的真理知識が筆者の経験と一致した時は自信をもって何

かの折に霊的な話を社長や仕事先の人に話していました。理解してくれる人、しない人

がいることが解ったのです。

一旦、霊的世界から離れて一般社会にでることを進められたにもかかわらず、筆者とし

はますます霊的真理知識に飢え、吸収し続けていました。

 

守護霊、支援霊と共に歩む(霊的人生)

会社勤め7年と独立して19年間、一般社会に出てから日々、守護霊や支援霊の導きが

本当にわかるようになってきました。

本当に筆者にとって大事で必要なこと、正しいことは導かれて、霊的真理の書籍を読

んでいると「これはこういう意味か」と納得した瞬間、「そうだ」「その通り」と同意

をしてくれます。

反対に間違ったことを言ったりやったりした場合は「心」を締め付けるような感覚を味

あわせてくれるのです。その度に反省をうながされていました。

そのやりとりは、今も当時と変わりません。

守護霊、支援霊との交流はリアルな言葉ではなく、テレパシーというか波動で感じ取る

ようにされています。

特に霊的感覚を磨くためと忘れないようにするために、交霊、病気治し、幽体離脱など

神秘体験の訓練のようなものは時々ありました。

常に筆者を見えない世界から導き、共に歩んでいるという感覚です。

 

それでも、社会に出るといろいろなおつきあいで、アルコールを飲む機会が増えて、筆

者は嫌いな方ではないために、理性が麻痺するアルコールという誘惑に負けてしまった

ことも多々ありました。

そのせいもあって、様々な迷い、誘惑があり家族まで影響が及ぶ恐ろしい霊的体験など

がありました。負けたようなことは何度もあります。

悪魔との対決で救えなかった人には、申し訳ないこともありました。普通に仕事をもっ

て中途半端な立場では、勝てるはずはありません、とても悔しい思いをしました。

 

嘘みたいな話ですが、悪魔に付け狙われて、魔境のようなものは何度も経験したので

す。

その度に守護霊、支援霊に助けられて感謝しています。

 

悪魔にマークされている

なぜ、そんなことがあったのかですが、

霊的覚醒時において、付け狙っていた者(悪魔※)が筆者を堕落させて二度と霊的真理

の道へ入らないようにさせるために攻撃をしかけているのです。

まだ、今でも同じ悪魔が時々邪魔しに来ています。

実際、天上界の計画どおり霊的真理が地上に弘まってしまえば、悪霊、悪魔にとっては

都合が悪いからなのです。霊的真実を知っている人が増えれば、見えないところで悪を

侵すことができなくなるからで、霊的覚醒した筆者は、最初からマークされているので

す。

※悪魔とは、空想、妄想ではありません。

この世と同じで積極的に悪を侵す人は死後、地獄に行き悪魔になるのです。

地上に生きている時にうらみ、憎しみ、名誉欲、攻撃性、排他的、猜疑さいぎ心、執着心など

を強くもっていると死後に地獄の悪魔の世界に波長があって引きずりこまれるのです。

その中でも、社会に大きい影響のある思想や考えで人々を不幸にしている人は

地獄の最深部にいる大悪魔になり、悪魔以下を子分として暗躍あんやくしているのです。

地上にいる人の「心」次第で波長があえば、地上に這い上がってきて、「心」の

傾向と似た人に取り憑いて地上を牛耳ぎゅうじることをするのです。

混沌こんとんとした現代では、非常にそのケースが多く、特に唯物ゆいぶつ主義の広がりによって、悪魔

や悪霊はこの地上が天国なのです。

なぜなら、唯物主義は神を信じず、人権を軽視し、宗教をないがしろにしているから悪魔や悪

霊にとっては都合が良いのです。

 

地上の多くの人達に霊的真理を知られたくないので、筆者のように本当に霊的覚醒して

霊的真理を弘める人間を警戒してマークをしているので、どこかで堕落させて地獄に

引きづりこみたいと思っているようです。

 

社会貢献への導き

それでも26年間、筆者の「心」の中には真理の火は消えておらず、ますます社会的な

知識や霊的真理知識をつけてきました。

 

最近ではまだ、筆者としては社会において大きな組織を動かす経験が足りないために、

3年程前から不思議な縁があって、思ってもみない社会貢献の道へ誘われたのです。

霊的世界とは関係なく、今はボランティアとして町会長や様々な組織の代表などして、

政治の世界まで関わり勉強しているところなのです。(2018年2月時点)

何より、筆者が住んでいる町の人々の声が、リアルに聞けることを嬉しく思っていま

す。

そのような立場に身を置いて、人として「幸せ」とは何なのかということを常々探

求し続けているのです。

「心」の浄化に始まる霊的覚醒後において、筆者の人生は偶然のようにみえて偶然で

はなく、必然をもってその道に導かれています。

実際、この道は苦手だと思っていたら実は得意な分野だったことを悟ったのです。

 

26年目でやっと、再び、霊的覚醒時の天上界の計画から少し別の形に変わって、

日々、高級霊団からインスピレーションを頂きながら、このブログサイト(幸せな

心の錬金術)において霊的真理を伝えることをスタートできたのです。

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奇跡の霊的覚醒体験(大悟)

今から26年前1991年の33歳の誕生日を過ぎた頃、見えない世界からの導きがあって内省

をする期間をもったのです。

それは40日以上の間、毎日長時間による「「瞑想めいそうによる心の浄化」をしていたのです。

このとき、法華経という仏教の経典を手元にしてたのですが、その中でも法華三部経と

言われている「仏説観普賢菩薩行法経ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう」を読経していました。

後になって、これは別名「懺悔経ざんげきょう」ということを知ってたいへん驚きました。

 

この「仏説観普賢菩薩行法経」は、現代語訳されたものではなかったのですが、この内

容が手に取るように理解できて実際にこのとおりにぎょうじさせられたような感じがしたの

です。この最中にはいろいろな神秘体験がありました。

(心の浄化とは本当はどういうことか)

このお経典を読経した後、瞑想によって、筆者自身が生まれてからの人生を洗いざらい

懺悔(反省)をしました。というより自然に反省をせまられました。

妻にたいしてはすべてを発露ほつろ(心に隠していることをすべて吐き出すことハツロとも言う)をし

謝罪をさせられました。その時いろいろあって不思議なことに夫婦の絆が以前より

深まったのです。これについては、別の記事「マンネリ夫婦を恋愛時代の心に戻す究極

の魔法とは」を読んでください。

 

そして、我がままであった自分、親や縁のあった方々にも悪しき言葉、行動で傷をつけ

たことを事細かに思して、心の中で謝罪を繰り返しました。

他人への悪い思い込みや自分自身のネガティブな感情にたいしても、心をしばっていた鎖

を解くように反省して自分の心を許していったのです

 

そのような最中には、部屋の天井には見えない世界から様々な霊(良き霊、悪しき霊)

が、たくさん見に来ていたように感じていました。

2、3週間経ち徐々に、霊的な感覚や霊的な目が開眼してきたので、それが理解できるよ

うになっていました。

どのタイミングだったかは忘れてしまいましたが、20センチくらいの大きな目が白い

から出てきて驚きました。しかし、この目は嫌な感じではなくて「いつも観ている

よ、見守っているよ」という感じの目だということがわかりました。

それは実際には、白い壁から現れたのではなくて筆者の目の前の別次元に観えることが

解ったのです。これは目を閉じても目を開けても観えます。

今でも観ようと思えば観えます。

 

そして、筆者はこれまでに無知だった自分に、そして「この世」しかないと思っていた

「心」に大きなショックを受けました。

子供の時から今まで自分自身の考えていること、悩んでいること、思っていること、言

葉、行動すべてにおいて、観ていた存在があったことを知って穴があったら入りたい気

持ちにかられました。

「心」が苦しくて苦しくて、いつこの心境から脱することができるか解らない、カラダ

の怪我ならいずれ治るものですが、「心」の苦しみはいつ解放されるかはわかりませ

ん。

これが地獄の境地ではないかと、たぶん、このまま死ねば必ず地獄に堕ちることを悟っ

たのです。

「ここから逃げたら駄目だ」

「これまでの自分自身を許してください」と見えない世界から見守っている神仏に

対して涙ながらに祈りを捧げました。

このような反省行が繰り返し続いたのです。反省では過去のことを一度には思い出せな

いのですべて思い出すには時間がかかります。

それに思い出したことを反省するには、何が間違っているのか正しいのかが、解らない

とどのように改めていけば良いのかわかりません。

それには、何が悪いのか正しさの物差しが必要になります。

その物差しは「自分がされて嫌なことを人にしたことはないかどうか」

それを自分の目ではなくて、客観的に見えない世界から眺める目に置き換えて、厳しく

観ることが必要だったのです。

 

そのようにすると「心」に積もっていたネガティブな思い、言葉、行いなどの汚れた衣

服のようなものが次から次へとがれていくような感じになります。

時間はかかりますが、その度に繰り返し反省、謝罪、許しの祈りを続けていきました。

特に大量の涙は「心」の汚れを落とす重要な役目をしていたようです。

 

それから40日以上が経って、反省しなければならないこと、わだかまいる思い

が心の底から湧出なくなり、心の中がスッキリ磨かれた感覚で、いわゆる「無」とも

言える心境になたのです。

今まで湖の湖面が波立ち荒れていたものが、波一つない鏡のような湖面になってる感

じです。

 

そして、ある暖かい初夏の午後だったでしょうか。

神秘体験、霊的現象が始まる

突然、胸の溝内みぞうちあたりに強く大きな波動を感じました。

その強く大きな波動はある一定のリズムをもって、頭の上方から胸の溝内めがけて入っ

てきて、そして胸の溝内(心)の内部からも外部に向けて波動が出てくるようで、

それがお互いにぶつかる感じです。

心の中からと外からのお互いの波動が心の表面意識と潜在意識の間で激しくぶつかっ

て、その強い衝撃が何度も胸の溝内あたりに走り、その振動が全身まで伝わって体が飛

び跳ねるような感じを受けました。

まるで鶏の卵のヒナが生まれる時のように、親が外から殻を割り、中からヒナが殻を

突いているような感じを受けました。

その感じはとても気持ちがよかったことを覚えています。

結構、一日中続いたので妻もその様子は観ていたと思います。

 

それがその後、「心」の窓が開くときの霊的な物理現象だったことが解りまし

た。

そして、「心」の窓がぶち破られた瞬間、潜在意識下から表面意識を越えて体の外に

光があふ出たのです。

「心」のあたりから光が溢れ出るというのは、なんとも不思議なことなのですが、

人間の本質は霊であり、そもそもエネルギー体だということを後で理解したのです。

今でも瞑想中に胸から光が漏れてくるのを観ることができます。

神の慈悲、愛の感覚を実体験

その後、「この世」の人間としての意識ではなく、暖かい幸せなオーラに包まれた「霊

的な意識」が何日か持続しました。

自分が自分でない感覚、初夏の気持ちよく晴れた日に公園で散歩をしていると、どうも

地面を歩いていない感じがするのです。

自分のカラダが一回り大きくなって、浮いている気がしたのです。

 

公園のベンチに座ると花壇に咲く花や木々が美しく観えて、チョウチョやトンボが肩に

とまるのです。小さな鳥達も寄ってきました。

何も恐れるものはない「この世」がこんなに美しいのかと、人も花も木もすべてが輝い

て素晴らしく観えたのです。本当に何もかもがいとおしく観えてこれまでに経験したこと

ない幸福感に包まれたのです。

神様仏様の「愛」「慈悲」の心を味あわせてくださったのかもしれないと思いました。

大気圏外への幽体離脱体験

そして、その夜だったでしょうか、瞑想を終えて横になり眠りかけた頃、カラダからも

う一つのカラダ(霊体)が抜け出して大きな丸いトンネルのようなところを超高速エレ

ーターのような感じで大気圏外の宇宙まで出ました。あとでこれが幽体離脱だと知り

した。

大気圏外に出るまでは、筆者の乗っているエレベーターはゴォーという音とともに、

っしょに乗っていたと思われる他の人霊が、スゥッスゥッとパラシュートのリュック

を背中に背負って飛行機から飛び降りるように、背中から手を広げたまま外へ消えて

いく様子を観ましたが、途中で降りていったのかもしれません。

そして、大気圏外に出た瞬間に、青く美しく光っている地球を見たのです。

その後ついに、ゴァーンという銅鑼どらのような音がして、黄金色のまぶしい光が輝く広い

ホールのような空間に到着したのです。

そして筆者は「ここはどこだろう」と思い、そのまぶしく黄金色の光を凝視ぎょうししてみたと

ころ、その空間の中央に大きく黄金に輝いた仏(大日如来または毘盧遮那仏びるしゃなぶつ?)が奈良

の大仏のようなスケールで空間に浮いた状態で鎮座ちんざしていました。

 

その黄金の仏に感動した筆者は、始めて観た美しい光景に目を奪われながら、黄金の仏

の廻りを右の方から左廻りに一周するように、手と体と足を伸ばして静かににゆっくり

飛んでいました。

その空間には美しい音楽が流れ、大きくラウンドをしている周りには、透明感のある

真っ白に大きなひだをもつドレープ(カーテン)が何とも言えないシャンパンゴールド

に光輝いていました。このドレープの美しさは「この世」での比ではありません。

 

「なんて美しいのだろう」「このドレープの向こうには何があるのだろうか」と下心が

出て、ふと手で触りたいと手を伸ばして余計なことをしてしまったために、残念なこと

に別のまぶしい白さの明るい部屋、誰かが住んでいるようなところへ誘導されて、その

後、筆者自身(霊体)は元のカラダに引き戻されたのです。

カラダに霊体が戻り納まるときは溝内あたりにドスンという強いショックがありまし

た。カラダは横になっていても意識ははっきりしていました。

これは、夢や妄想ではなく、現実よりリアルな感じがしました。

筆者は霊的覚醒をしたために、リアルな現実としてアナザーワールドに行かせてもら

ったのだと思いました。

(夢と離脱体験の違い)

普通、よく見る夢はすぐに忘れてしまうものです。

何十年経っても情景を忘れないというのは霊的な経験といってもいいかもしれません。

 

普通、よく人は眠っている時に、肉体から魂が抜け出して霊的世界に行っているそうで

霊的意識を忘れないようにさせる意味があって、皆そのような経験をするようです。

ただ、この世的な意識の方が強く霊的な目覚めをしていないために、他の夢と混同して

いるところもあるのです。

 

筆者は、その後も何度か離脱体験をしています。

カラダから魂が抜けた状態はとても気持ちがいいのです。カラダがある時と変わらず

変な言い方ですが、手も足もカラダもあります。

ただ、身軽いのでリビングルームで何度も飛び跳ねてから天井を突き抜けて外に出たり

天井から自分自身の寝ている姿を観ることができます。

 

霊的覚醒をすると離脱した意識がはっきりしていて、とてもリアルに覚えているのです。

しかし誰もが少なからず、怖い夢や楽しい夢、不思議な夢ではっきり覚えているものは

もっているのではないかと思います。

(心の浄化が意味するものとは)

幽体離脱をしてアナザーワールドに行かせてもらったというのは、実は

筆者の「心」の中の世界のことで、浄化した「心」の中の世界をのぞかさせていただい

たのです。

黄金の仏を観たというのは「心」の中にある仏性ぶっしょうを観たのだと思いました。

それと、光り輝く真っ白なドレープ(カーテン)は、「心」の表面と潜在意識の間

のことで反省によって汚れがきれいにとれて、真っ白になったのです。

ドレープは、いつでも揺れ動く「心」の繊細さを表現しているものだと感じました。

 

人の「心」の中の世界と外の世界は同じ、ミクロもマクロも同じである。

霊的世界は「心」と繋がっている。「この世」の大宇宙も「心」の世界も実は一体な

んだと。なぜなら神仏が創造したからである。

この3次元世界に生きている人間の肉体は物質でできていても、人間は「霊」「魂」

であり「心」が本質だったのです。

これが筆者の悟りです。

「心」が浄化されて磨かれてもともと備わっている黄金の仏(仏性)が姿を現したので

す。これは、すべての人に共通だと思います。

これがいわゆる人は「神の子、仏の子」のあかしなのだと思いました。

 

筆者は、お経(仏説観普賢菩薩行法経)を手に持っての心の浄化が始まったので

仏教色が強い霊的現象になっているのですが、実は不思議なことに、別の日の瞑想中に

「大きな金色のオーラをもつきつねの姿を観てその後すぐに、日本神道の白装束しろしょうぞく

(ヤマトタケルのような姿)を着た神々が並んでいる姿もしっかり霊視で確認しています。

これが何を意味するかは、後に解りました。

 

他にも、「この世」の世界では、絶対ありえない、信じられない奇跡のイリュージョン

でリアルな神秘体験があります。これは今後皆さんの目でも実際に見えない世界の証明

して観ることになるかもしれません。

世界がひとつに繋がっている青いスクリーンに、、、、

 

あとがき

筆者は、瞑想による心の浄化(反省)をとおして、これまで生きてきた上で思い違いや考

え違いをしていたことが解りました。

自分がひとりで生きているのではなく、実は生かされていたことに驚きを感じたのです。

このとき、自然に備わっていた「祈り」の大切さが解り、生まれて始めて「愛」というも

の切実に感じ、「信仰」「信じること」がこんなに素晴らしいものだということを発見し

たのです。この人生の最大の転機によって、生まれ変わった「心」で第二の人生が始まっ

たのです。

霊的覚醒をして「心」の中の仏性(神の性質)を観させて頂き、真の幸福感味あわせて

いただいたことは、今後自分だけのためではなく、多くの人々のためにその真実お伝え

する役目があるのだと悟ったのです。

しかし、この時点でけっして悟りが終わったわけではありません、ここが出発点であり

自らの使命確信がもて、本来の仕事ができるまでは時間がかかるのです。

まだまだ、悟りの道は遠く、奥が深いというのを本当に実感しているのです。

 

人間は単なる物質ではありません。AI(人工知能)技術がどんなに発達しようともそれは人

間のもつ本来の能力の10分の1もないかもしれません。

人間は本来、霊であり「心」が思考の中心だから、頭脳はAI(人工知能)に負けたとして

も「心」のもつ普遍的、精神的なる未知の力には足下にも及ばないでしょう。

そもそも「この世」がすべてであると思っていたならば、孫悟空がお釈迦様(仏陀)の

手のひらで遊ばれていたということになるでしょう。

だから、人は神仏にたいして謙虚になり、神仏を信じることが基本でもあるのです。

それは、どのような人でも「あの世」に帰らなければならないからです。

 

この世の3次元の物質世界においては、神や仏を証明していくことは難解で困難を極める

もしれませんが、人は神仏から与えられた共通「心の中にある神の性質、仏性」が

あることを信て、多くの方に目覚めて実感して頂きたいと思っています。

 

瞑想による「心」の浄化を実践していただくとこれまでと違った感覚がわかるかと思いま

すし、じっくり自分の「心」と向き合う時間をもつことができれば、何かしら神秘体

すると思います。人間にもともと備わっている「心」のもつ神秘の力を感じてください。

表面意識と潜在意識の窓が開けば、霊的覚醒をするかもしれませんし、前世での知識や経

験をとおして得た智慧の部分や天職(ベルーフ)が解るようになることもあります。

 

ただ、霊的覚醒をした場合、注意しなければならない重要なことがあります。

それは「霊的覚醒による正しい人生、間違った人生」のブログ記事を参考にしてくださ

い。

→ → → 【心の錬金術】「霊的覚醒」による正しい人生、間違う人生

 

筆者の場合は、霊的覚醒をしてからすぐに活動はせず、25年間も忍耐強く坦々と待ち続

けました。

その間、悩み、迷い、焦りもありましたが、修行とも言える試練を乗り越えて

霊的覚醒が本物だったかどうかの確信がもてるまで、水面に潜っている潜水艦のよう

に、じっと静かにして、霊的ソナーを鍛えていました。

霊的ソナーとは、自分流の解釈なのですが、感知する能力のことで感じたものに対して

即時対応できる能力をもっていることです。

いつのまにか不思議なことに、霊的覚醒前と比べて格段に意識の高まりと広がりを感じ

るようになり、世界や日本、社会の人々に関心や興味が深まり、何よりも「この世」的

な仕事のスピードや能力も上がってきたように思います。

同時に霊的能力が高まりいつのまにか遠隔治療や病気治しなどもできるようになってい

るのです。

これらは自分の力ではなく、すべては見えない世界からのご加護があってのことです。

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