「引きこもり」は、現代の日本の歪んだ社会構造が大きな原因でもある。海外でも「hikikomori」と言う言葉が通用するくらい、日本には深刻な問題として今後も「引きこもり」は増えて行くことに懸念している。これは、日本人全体の意識が変わらなければ、減ることはないだろう。日本の混沌とした政治、不安な経済にも関係しているが、もっと奥には思想的なところが影響をしていると考える。

「思想」というのは目に見えないところで影響をしているので、ほとんどの人は意識して考えていないと思う。しかし、恐ろしいことにこの思想から社会において常識が作られて行くのだ。

その常識自体を、人はどのように捉えるかで社会や各人の生き方が変わってく。

そのように考えた時、現代日本の常識は「人として正しい常識」を生きていると言えるかどうか、また、本来日本に生まれて日本人としてのアイディンティティをもった生き方をしているかどうか。

「引きこもり」を作ってしまう現代日本の社会構造にメスを入れながら、人間本来の正しい生き方は何なのかを考えてみる。

 

優しさより依存心に傾く現代人

「引きこもり」が起こるきっかけとしては人間関係がもっとも多いと言われている。

今問題視されているイジメもまさに「引きこもり」になる要因だ。

たいてい大勢の中に孤立した形になり、疎外感そがいかんが生まれて人と接するのが恐怖になり「引きこもり」に発展する。

しかし、これは「引きこもり」の本人の心が弱いと言うのは簡単だけれども、本当の原因は周りの人の側にある。

子供も大人のケースも同じで「引きこもり」になる原因は、本人よりむしろ周りの人の「心」にある、どちらかと言えば、社会全体が病気にかかっていると言える。

例えば、主婦の井戸端会議やPTAの仲間からハブられたりする話を聞く。

それは、たいてい一対多の構造になった時。では、どちらが本当に常識的で正しい考えをもっているのか考えたことはあるだろうか。

大勢の言っている意見の方が正しいとした時に、一人を枠かららそうとするところに自然に仲間外れを生んでしまうのだ。

大勢の意見の中心人物が、そこで権力を握っていればそれに従う人もいるだろう。その時点で依存というか、迎合げいごうをしていれば自分自身に風当たりがこないことを内心願っているから、深く考えることもなくそれを選んでいる場合が多いのではないか。だから一人がハブられることで自らが注目することなく他へ意識をらすことができる。この陰湿な操作が心の中で自然にためらわずに行われているのだ。だからあえて違った考えを受け入れる面倒くささがそうしているのだ。

他へ依存していれば、自らに非が及ばない安全なところに身を寄せると同時に責任を取りたくないという心の現れとも言える。

優しさとは固定観念を捨てて心を開くこと

では「引きこもり」の人を作らないようにするにはどうすればいいのか、人として「優しさ」が必要だ。何だ、優しさか?と思ったかもしれないが、本当の優しさを実践している人はいるのだろうか?優しさとは自分のことはさておき他人を幸せにしたいという思いやりの心だ。

しかし、現代の風潮は、この純粋な優しさをかっこ悪いものだとする節がある気がする。しかも、ハブられている人に寄り添ってしまえば自らもハブられるという防衛本能が自然に働き、優しくすることを抑えてしまうのではないだろうか。

相手を思いやる優しさが本当にあるならば、周りとは違う意見をもった人の気持ちに寄り添い、理解してあげること、そして具体的に少しでも現実化できるかどうか考慮し検討してみる姿勢がいる。

 優しさとは、まず相手のことをよく知るということだ。相手のことを何も理解していないのに思い込みで判断してレッテルを張ってしまう。自らが相手に接して寄り添って理解してあげる前に、他の人が「彼、彼女はそういう人間なんだ」と言ったのをそのまま鵜呑うのみにしてしまう。そのような固定観念は自らの狭い知識や見識から作られ、相手の考えを枠の外に追いやっている。もうその時点で対象者に対して心を閉じてしまっている。要するに心を開いて接しようとしない。

引きこもりになる人は、どちらかというと純粋に自分の考えを心を開いて表現しているのだが、表現の仕方が他とは違って見えているだけで、病気でも何でもない。

むしろ、周りの人が最初から心を閉じてしまっているのだ。

心開いている人の周りに心を閉ざしている多くの人たちがいた時に、どのような目に見えないプレッシャーがかかっているか分かるだろうか。

引きこもりになる前段階で本人が、そのような目に見えない「心の壁」を感じたことが、引きこもりになる引き金になっているのだ。

この簡単に思える「優しさ」を、本当に実践できている人はいるのだろうか。

優しさの基本は、他人に対して心を開くということ。お互いの心が開いていればこそ理解し合えるからである。

あなたの思い込み、常識は正しいと思うか?

多くの人がそういうものだと思っているその思い込みは、生まれてから生きている間の世の中の常識から作られたものだ。その常識とはいったい何だろうか?

今現在のこの世に焦点を当てれば、いくつかの世代の人たちが生きている。

戦前から生きている人と現在生まれたばかりの人では100歳くらいの差がある。

100歳というと1世紀違う訳で、時代感覚や価値観というものはまさに違っている。

その中間に位置する人たちもいる。筆者はアナログからデジタルへ移行した両方にまたがった時代に生きている。一方、今の子供達は生まれた時からデジタル社会しか知らない。

そのように様々に生きている人たちの時代感覚や価値観の違いの中では共通項を見つけていくのは難しいところがある。

さらに、9年〜12年の長い義務教育で教師や親に何を教わってきたかで大人になってからの考えの基本が全く違ってくる。

例えば、共産主義思想を信奉している日教組の先生、日本に愛国心のある先生、また、信仰心の熱い先生、思いやりや優しさを重視している先生など様々な考えをもった先生に感化されてきているはずだ。

その後、我々はその基本的な考えを基盤に生きてきた中で、多くの良書から学び人間としてネガティブな考えを改善できた人、改善することなく同じ考えをもち続けている人、人それぞれだ。

だからこそ、心を開いた会話なり交流が必要なのだ。

それにもかかわらず、例えば、目上の人や親から子供に対して世代の違う価値観でものをいう場合が多い。親の時代の常識と子供の時代の常識がすでに違っていても親は自分の常識で子供にものを言うことがある。常識に照らし合わせて考えていれば間違い無いと言う変な安心感に依存しているところがあるのだろう。自らがその常識を生きたことで成功したと言う思いも強いのだと思う。

しかし、その常識が正しかったかどうかを考えることなく、日々の人生を過ごしている人がほとんどではないだろうか。常識は時代によって変転していくものではあるが、その常識自体が人間にとって危ういものもある。しかし、たいてい大勢がその思想なり考え方になっていれば誰もそれが人間にとって危ういものであるかを疑うこともなく生きていくこともできている。

でも、真実を知った時に、この世で生きた結果に対して真っ青になっているのが、皆さんが必ず行くであろう死後の世界での話である。

ここでは、話は「この世」に戻すとして、ズバリ戦後から日本の教育が日本本来のアイディンティティを大きく変えてしまった。

これまで教えられた教育は本当に人間にとって必要で、正しい教育だったと言えるかどうか。そこに問題がある。

人間として豊かな「心」を育てる教育が足りないのだ。

戦前までの日本には、儒教に基づく教育や天皇を中心とする日本神道への信仰を大事にしていた。そのおかげで助け合い精神による民主主義的な世の中になり、人間として豊かな心をもった人々が多かった。

しかし、戦争が起こってから戦争に負けるわけにいかないので国民の意思の統一のために軍国主義的な面が出てきたかもしれないが、敗戦後に思想自体が大きく変貌してしまう。その頃、ソビエト連邦(現ロシア)から共産主義の波が日本へ押し寄せていた。その後、日本人の多くは共産主義的思想に傾く、今でも主要なマスコミや教育者にこの思想が受け継がれている。

 

日本人はポピュリズムに流されている

今現在、香港で行われている香港革命(雨傘革命)は、日本人には本当の意味で理解できないのかもしれない。対岸の火事だと思って見ているのではないだろうか。

香港では、死を覚悟してでも大勢の若者たちが抗議活動を続けているのは中国の共産主義および中華思想に思想教育されるからで、自由の保証もなく強制収容所の中で一生を過ごさなければならなくなるために反発をしている。

彼らはすでに思想と言うものが恐ろしいことに気がついていると言うことだ。

間違った思想に感化されれば、人間としての生き方ができなくなるから、死を覚悟してまで抗議をし続けている。

しかし、この流れは次は台湾、その次に日本にも起こる。中国共産党、習首席はすでに日本侵略計画を着々と進めているのだ。

昨日は、ウイグル人100万人がすでに強制収容所で思想教育をされている内部文書をアメリカが入手した。また、中国政府の思想教育に逆らうものは、内臓を抜き取られて多くの人々を粛清しゅくせいしている。大量虐殺というのが後々暴かれる時が来るだろう。

このように共産主義思想、全体主義思想の恐ろしさを日本人のほとんどは知らないのではないだろうか。これは唯物思想といって基本的人権を無視し人間を物扱いにしている。天安門事件でも大勢の若者を戦車で轢き殺したり、大量虐殺をしていた。

今回の香港革命は海外からの注目がある中、長期に渡っているが国際社会がもっと中国に圧力をかけなければならない。特にこの日本がそうするべきなのに、情けない。日本の主要な政治家はすべて切腹ものだと日本神道の神々は起こっているのが筆者にはよくわかる。

もうすでにアメリカ、イギリスや他の国々は中国に対して様々な圧力をかけている。

しかしながら、日本政府はノーコメントであり、さらに来年には習首席を国賓こくひん級のおもてなしで日本に招き入れる。この無神経さは何なんだろう。悪事を侵すものを取り込んでまで日本の経済を発展させたいのか?悪魔に身を売っているとしか思えない。

実際、日本には社会主義、共産主義の感化を受けて着々とこの思想が浸透してきているのだ。

それは色々と形を変えているから気がつかないのかもしれない。

特に日本の政治政党の多くがリベラルと誤魔化しながらこの思想を呼び込んでいる。日本政府も民間に口出しをして国民をコントロールしようと大きな政府を目指しているように見える。国民の平均化、結果平等、自らは責任を取りたくない、責任転換(話題そらし、騙し)、逃げのテクニックこれらが今の政治家の手腕である。

おそらく、このような政治手法に飽きがきた日本人全体の意識がポピュリズム(大衆迎合主義)に流されているのだと思う。

だから、本当のところ何が正しいのか正義というものが分かりづらくなっているからかもしれない。

このポピュリズムは大勢の考えに依存していれば大きくは間違わないだろうという考えがある。ほとんどの人は、その大勢の考えを疑うことも検討することも再考することもなく、ただただ常識的に依存していく。思考停止状態に陥っていく危険性もある。

このようにポピュリズムになったのも先の政治家手腕に加味して、民主党時代のお粗末な政治や現日本政府の二枚舌外交や進まない改憲、人の揚げ足取りによるレベルの低い政治不信が原因になっているのかもしれない。

そういう意味で、多くの人はポピュリズムに逃げているとも言える。

このような風潮の中で、善悪のわからなくなっている人たちが急増しているのだ。

だから、イジメが多くなりや引きこもりになる人を作ってしまうところがあるのではないだろうか。

今の世の中、日本だけではなく「正義」とは何であるのか?が問われている。

この正義を語るには、「心」を語らずには説明がつかない。なぜなら全ての人間には「心」があるからで「心」の奥、深いところに真実があるからである。その真実とは神のことでもある。

この真実に向き合うことができる人が「正義」を理解するのである。

真実は、目に見えないところにある。これが真実。

まとめ

話は大きく飛躍したところはあるが、思想的背景を理解した上で、昨今の「引きこもり」「いじめ」など社会問題にメスを入れなければ、なぜ起こるのかがわからないところがある。

引きこもりに至るのは、引きこもり本人のせいだけではなく、周りの多くの人たちが「心」を閉ざしているからそのせいで引きこもりの人をんでいる。

しかもデジタル社会のせいでインターネットなど一人の世界に逃げ込むことができるので引きこもりが長期化する原因となっている。

現代日本人の多くはポピュリズムに流されている。誰かが正しそうな事を言えば、深く考える事なしに迎合し依存する。善悪の判断が緩み何が正義なのかがわからないのだ。

しかし、全ての人間には「心」がある。その「心」の深いところに答えがあるのだ。

その「心」に向き合う事のできる人が「正義」を理解することができる。

「心」を閉ざしていてはいつまでも正義を手にすることもできず、社会からイジメや引きこもりもなくなる事はない。今こそ、「心」を開き真実をみるべし。