人間はスピリチュアルな存在であることを自覚できるかどうかが重要です。スピリチュアルと聞くと特別な人の能力のように思われているかもしれません。

しかし、実際は特別とかではなく本質的に全ての人間や生き物はスピリチュアルが本質なのです。スピリチュアルは「霊的な」とか「精神的な」とか言われるように目に見えるものではありません。一方、この反対の言葉としてマテリアル(物質)と言いますが、これは目に見えるものです。

この世界(この世)は、物理の世界でも言われているように3次元物質世界に当たります。ですから、マテリアル(物質)の方に意識がいってしまい、スピリチュアルなところを忘れてしまい易いのです。

今回は、この基本的なところを説いていきます。

 

スピリチュアルに目覚めるには

この世は特殊な世界であることを念頭に話を進めます。

この世は物質の世界ではありますが、基本的にはスピリチュアルな世界の中にこの世の物質世界が重なってあると考えた方がわかりやすいかもしれません。

3次元世界は、スピリチュアルな世界の中に「縦横高さ」という空間が作られて尚且つ、そこで生きられるように肉体という物質が神の計画によって用意されたのです。

その目的は、本体霊的な存在でもある人間が魂としてこの世に生まれて肉体をまとい、この世で様々な経験や知識を得て成長して元に居た世界(天国)に帰るというシンプルなシステム(法則)を作られたのです。

ですから、スピリチュアルは人間の本質的な話なので神の理念抜きでは説明がつかないのです。

 この時点で全てが「偶然に生まれて時間が経てばすべて無くなっていく。自然も人間も偶然に生まれて無くなる存在なのだ」「神とかいう宗教的な話はどうでもいい」と思っている人は、残念ながら今世は人間にとって重要で外すことのできない話には縁がなかったということです。

知らない、信じないということは怖いことで、自らが選んで物質世界の小さな法則の中に閉じこもってしまっているのです。(その結果どうなるかは後ほど説明します)

物質であれば、その通り消費期限や賞味期限など寿命があって無くなってしまうのですが、その物質をならしめている意識というものは目に見えないだけで無くなってはいないのです。

ですから、スピリチュアルに目覚めるには基本的に人間や自然や生き物は本来スピリチュアルな存在であるということをまず、信じることが大事になります。

スピリチュアルに目覚めない方がヤバイ

なぜ、スピリチュアルに目覚めないのがヤバイのか、本来、人間はスピリチュアルな存在であることを自覚する機会がこの世だからなのです。物質世界にいるからこそ、自らの本質を自覚し、尚且つ魂としての力を発揮できる機会がこの世なのです。

あの世とは物理でいう3次元を超えた4次元世界以降にあり、この世とは次元が違うから、我々は簡単に認識できないのです。

ですから、あの世にいた時は肉体という物質を持たない霊、魂として生きています。

その時点ではスピリチュアルな存在は当たり前なのでこの世の物質世界のように他と比較しようがありません。霊存在として天国で生活しているのですが、全てが念いの世界、精神世界、スピリチュアルな世界であり物質を介して学ぶことも、何か他の物と比較して客観視する機会がないために魂の成長がしずらくなるのです。

特にこれは天国でも大多数(この地球人口より多い)の霊存在が住んでいる天国の話です。

例えば、あなたが他の国から何も刺激を受けない南の島の楽園で一生を過ごしたとします。同時に他の人は、戦争を経験し乗り越えて経済発展した国(例えば日本など)で苦しい生活を乗り越えて人生を送っている人と比較した時、死後にはどちらが魂として成長したと言えるかです。

南の島が悪いわけではありません。そのような経験も永遠に生きている魂にとっていい機会にはなりますが、生まれ変わるたびに同じ状況ばかりだと慣れてしまい飽きがきて成長は止まってしまうのではないでしょうか。

まさに天国は南の島のように素晴らしいところなのですが、魂の成長を促すために刺激のあるこの世の3次元物質世界をあえて神は創造されたのです。

ですから、そう考えた時に人間の目的が何であるのか、なぜ生まれてきたのかが、この基本的な知識を信じることで理解していくのです。それがスピリチュアルに目覚めるための基本段階です。

これに反して、スピリチュアルに目覚めることを自らが敬遠してしまっている人があまりにも多いのが現代です。

それは、3次元世界の物質の方ばかりに目がいってしまうために精神的な成長を自分自らが止めてしまっているからです。ですからヤバイといっているのです。

このヤバさは、全ての人が死後に反動として受け入れなければならないからです。

スピリチュアルに目覚めないとどうなるか

これは脅しではありませんが、上記のように自らが閉じられた世界を好み、この世に執着をもっている人の死後は、彷徨える霊、幽霊になります。筆者は数多くの彷徨える霊、幽霊と話をしてきましたから理由はわかっています。

現代はこの彷徨える霊が急増しています。そのせいで天国にまともに帰ることのできない人(霊)が多いのです。要するに人間である自らの本質を知ることなくスピリチュアルな存在を否定してきた人が多いのです。無神論、唯物主義などの蔓延のために科学的な証拠や証明があるものしか受け入れない世界、いわゆる物質中心の世界に固執してしまっているわけです。そのような現代の世の中の大きな流れに飲みこままれてしまい、それが真実であるという錯覚をしている人が多いです。

ですから、知らず識らずのうちにわけのわからない悩み、苦しみ、病気を起こしてしまいます。それは目に見える物質を追いかけているせいで他人との比較や外部との比較によりストレスを溜めて自らの人生を小さいものにしているに過ぎないのです。非常に狭いところでしか物事を考えられなくなり、心に苦しみを持った人が多いと思います。特に若者は日常の生活はほどほどにゲームにはまってしまうのもどこか現実から逃避したいという心の現れがあるのかもしれません。

筆者はそのような現状を危惧してるのです。

なぜなら、スピリチュアルに目覚めないまま、この世を去った時に彷徨える霊、幽霊となりこの世の自宅や好みの場所にしがみつき、あるいは同じ波長の霊たちと地獄を形成していくからです。天国に帰ることもなくです。そして生きている人に多大な迷惑がかかります。

ですから、筆者は多くの人にスピリチュアルに目覚めることを促しているのです。

スピリチュアルに目覚めた人生とは

結論から言うと、スピリチュアルに目覚めると物質世界の狭い考えに固執することなく本来、自らが心の奥深くに潜在的に持っている知識や経験を活かすことができ、尚且つ見えない世界で守護霊との交流が容易になり、思った通りの人生を展開することができるようになります。人生にやりがいが生まれることで幸せを感じるのです。

こんないいことがあるのに、ほとんどの人は気が付いていません。

もったいないと言うか、残念でならないのです。

ネガティブな考えをポジティブな考えに、即コントロールすることができて人生が楽しいものになってきます。悩みや苦しみがないと言うことは病気からも遠ざかることにもなりますし、人との関係も良好になってきます。

すべては嘘のように偶然起こったかのように良いことが起きてきます。

これらは、筆者がいつも日常で感じていることですので、こうなってくると自然と何にでも感謝する生き方ができてきます。不思議ですけど、これが本来人間の持っているスピリチュアルに目覚めた生き方に他ならないのです。

スピリチュアルに目覚める方法は

目覚めるためにはキッカケが必要ですが、あなたはもうすでにこのページまで読まれているのでもう十分なキッカケをもっていると言えます。

次は、このスピリチュアルが人間の基本であることを信じるかどうかです。

さらに様々な霊的な奇跡や霊的な現象によって信じる心を強くしていくのもあります。

一つには筆者が過去にスピリチュアルに目覚めた瞑想という方法があります。

この瞑想は人間はスピリチュアルな存在であることを自覚するには一番良い方法なのです。この瞑想にも様々な方法がありますが、ただ、多くの瞑想が流行っている現在ですが、瞑想を行なっている人に大きな誤解をもっていることに気がつきました。

この誤解が、真にスピリチュアルに目覚めるのを邪魔をしていたのです。

巷の瞑想は、リラックスするためには良いとは思いますが、筆者が言う誤解をといて改善すればかなり違う効果が出てくると思っています。行う本人がどうしたいのかの意志にもよりますが、瞑想と言ってもどれも同じではありませんし、同じ効果は期待できないです。

そこは目的をもって正しい終着駅を知っている人に導かれる必要があります。しかし、なかなか、本当のスピリチュアルな世界に導ける人は世界には少ないと思っています。

筆者はスピリチュアルに目覚めて人生がガラッと良い方向へ変わる方法は知っていますし、自らが体験しているので教えることができます。今それを教えるための準備段階ですが、海外の人と毎日英語で会話している中でやはり正しい瞑想によって人生に良き変化が起こるのを求めていることが本当によく理解できました。ですから、どのような宗教を信仰していようとも、スピリチュアルは人間の本質のことなので受け入れる人が多いと分かったのです。

ただ正直なところ、筆者自身は現在、この世的や霊的なところでもうひとつやらなければならないことがあるのでまだ前に進めないところがありますが、ゴーがでるタイミングを伺っているところです。

ですから、もうしばらくお待ちください。