人は言葉に出さなくても、どのような思考も確実に誰かに届いています。あなたの心の
中がすでに他人に観られているとしたらどう思いますか。
本当は、見えない世界(霊的世界)からすでに丸見えなのです。
特に「この世」に執着のある霊が、あなたの「心の中」を観ているのです。
そのせいで、「この世」に様々な影響が及んでいることを知っていますか?
思考が、あなた自身を創っているのです。
「心の中」でどのような思考をしようが、人に迷惑がかからないから自由だと思っていると
したら、それはかなり危ないですよ。
それは思考の傾向性によって、天と地の180度違ってくるからです。
自分の夢が叶い、ハッピーな人生を送るのも、どん底で死にたくなるような人生を送るのも
すべてはあなたの「心次第」ということなのです。
心理学的には「心の潜在意識」が様々なものを引き寄せているとも言っていますが、
霊的には、あなたの「心」の中は霊的世界からいつでも観られていて、あなたの思考はすで
に届いています。
それは、あなたと思考の傾向と親和性のある霊に届いて指導されているのです。
それが守護霊であればいいのですが、違った霊の方が圧倒的に多いようです。
だから、良く思い描いたとおりの人生にならないこともあるのです。
そのために霊的真理を理解して、あなたが思った通りの人生を歩めるように思考をしている
「正しい心」とは、どのようにあるべきかを知ってください。
筆者の霊的体験
筆者は、霊的覚醒当時に「霊的世界から観られている」という、このタイトルどおりの
霊現象を経験しています。
それは「心」の窓を開いた覚醒後のことでした。
瞑想中に白い壁に「大きなひとつの目」が表れたのです。
20センチくらいの大きな目で黒色か茶色です。
最初は驚きましたが、その目はあまり怖くはありませんでした。
それは、優しい感じでありながら、威厳がある目です。
しかし後に、この目は壁から出て来たのではないことに気がつきました。
筆者の前の空間(別次元)に表れていることを知ったのです。
その後、その目は筆者がまぶたを閉じた時にもはっきり観えていたのです。
最近は、あまり意識していませんが意識すると目を閉じても閉じなくても
観ることができます。
それは「いつも観ているよ」「あなたの思考は知っているよ」という守護霊
の合図でもあると思いました。
思考があなた自身を表している
「思考」というものが、最も重要で大事なものであることを理解している人は少ないので
はないでしょうか。
言葉、文章、絵などの表現されたものが人とのコミュニケーションをとる上で最も重要で
大事だと思っているのではないかと思うのです。
しかし、これらは「この世」において、人へあなたの思いや考えを伝えるための手段で
あって媒体でしかありません。
他人が言葉を聞き、文章を読んで、絵を観ても、最初はそれがあなた自身からのものかどう
かは判断がつきません。他人がいくらでも真似することができるからです。
しかし、実はそのコンテンツにあなた独特の思考が含まれていて、それがあなたか他人かを
区別するものになるのです。
ということは、思考があなた自身であるということになります。
「あなたはどういう人間ですか」と問われた時に、「私はこういう思いをもってこのように
考えている者です」と始めてあなた自身を証明できるのです。
たとえば、就職の面接では、あなた自身を理解させるには、履歴書で学歴や得意なことや実
績を見せますが、面接官は、本当はそれだけでは判断していません。
たとえば、何かの資格をもっているとしても同じ資格をもっている人はたくさんいる訳で、
その資格をどう考えているのか、どのように役立てたいと思っているのかを聞かないとその
人がどういう人かは判断がつかないのです。
筆者は何度も面接をした経験はもっていますが、やはり面接に来られた方の思いや考えを聞
くことを一番の評価対象にしていました。
その時点での思いや考えがその人そのものだから、そこから本人と会社の将来がどうなって
いくかを希望的観点から計るのです。
このように例えると、やはり「思考」が大事であるということが解るかと思います。
「思考」は頭脳ではなく「心」が中心
この思考というのは、頭脳でしていると思い込んでいる人も多いのではないかと思っていま
す。
ところが、この頭脳は思考の中心ではなくて胸の心臓あたりにある「心」が思考の中心であ
り、頭脳は思考を言語に媒体化したり、口や手を動かすためにその信号を送っているデバイ
スと考えられるのです。
頭脳は、この世で学び勉強した様々な知識や言語などが蓄積されているところで、その前に
どうしたいかという思いや考えは「心」が指令を出しているのです。
コンピューターで例えると、頭脳はCPUや記憶装置のハードディスク的な役割をして、肝心
の思考の中心である「心」はキーボードを叩いている人間ということになります。
実は、普段の忙しい生活のなかでは、頭脳が思考していると勘違いしているところがあるの
です。
あまりネガティブなことに執着していない時を見計らって、日常の生活から離れて静かに落
ち着いて瞑想をくりかえすと「心」が頭脳にはなく、胸のあたりにあるのが感じられるよう
になります。一度経験してみることをオススメします。
最近は、特に脳科学や頭脳教育が流行しているおかげで、頭脳に「心」があって脳の機能の
一部のように言っていますが、これは唯物主義の最たるものであり、今後、人間の尊厳に関
わる大きな問題になっていくでしょう。
この唯物主義の弊害が、サイコパスなど異常な犯罪の多くなる大きな原因だからです。
頭脳が思考の中心というなら、筆者が死者の霊とテレパシーで話したり
守護霊からインスピレーションを頂いていることは、何なのでしょうか。
筆者だけではなく、世界中にそのような人は多いのです。
日本では、人は死後に焼かれて骨をお墓に埋葬します。
頭脳は灰になってしまうのに、死者の霊が迷っている時に霊自身の状況を客観的に諭して、
今後進むべく正しい道を教えてあげたら、理解するのはなぜでしょうか。
筆者自身も幽体離脱により肉体を脱ぎ捨てて霊になりましたが、頭脳やカラダは無くても思
考していました。
「霊であってもしっかり思考していますが、それはなぜなのですか」と、唯物主義の脳科学
者に質問したら「それは、ただの幻覚だ」と言うでしょう。
「心」はすでに霊的世界に存在している
「心」は見えないのに、存在しているということはどういう意味なのでしょうか。
それはお化けや幽霊のように普通は見えないのに気配として存在しているのと似ています。
とすれば、霊的世界に存在しているとも言えるのです。
違う言い方なら、別の次元に存在しているとも言えます。
この3次元世界は物質の世界ですが、これを超えた4次元世界があるとしたらそちらにあると
いうことになります。
しかし、普段「心」を意識したことのない人は、この意味が解らないと思います。
それは、筆者も霊的覚醒前までは「心」を意識したことはなかったからです。
今現在、筆者が霊とテレパシーで会話できるということは、筆者の「心」はその霊と同じ次
元もしくはそれ以上の次元に合わせることができているからではないかと感じています。
すなわち、この3次元の物質世界に「心」がどっぷり浸かっていれば、4次元以降の世界とは
会話ができないのではないかと思うのです。(例外として4次元の一部の地獄は繋がり易い)
霊的覚醒というのは「心」が自由自在に4次元以降の世界へ行けることを意味すると思うか
らです。もちろん、悟りのレベルに合った次元の世界まででしょうが。
思考から思念へ移行したら何が起こるか
普通は、一日中同じ思考をし続けることはしていないと思います。
仕事をしている時と家でくつろいでいる時を比べてみて、同じ思考をしていないと思い
ます。北を探している方向磁石の針のように、思考はあちこちを指し示しているのです。
普段あまりそのようなことを考えていないかと思いますが、一度自らを振り返ってみてくだ
さい。仕事をしている時のあなたは「何を考えているのか」家でくつろいでいる時のあ
なたは、「どんなことを考えているのか」。
そして一日を振り返って「何を考えていた時間が長かったのか」を自問自答してみてくださ
い。「心」の思考というものは、いつも同じところに留まっていないのです。
しかし、この思考が方向性をもって思念へ変わる時があります。
それは、悩みや迷い、こだわりというものを長い時間かかえてしまっていたら
単なる思考が方向性をもった思念へ発展していきます。
そうなれば、常にその思念が同じ場所に居座ることになります。
ポジティブな思考もネガティブな思考と同じように思念に変わると同じ場所に居座るので
す。
その場所とは、天と地くらい次元が違うのですが、細かく言うと神様に近い次元の天国から
地獄の最深部までの様々な霊的世界があります。
仏教で中国の天台大師は「人の心は一念三千」と説きましたが、一つの念いが三千世界に通
じることを言っています。この三千世界というのが天国から地獄まである様々な数がある霊
的世界のことです。
筆者は、ひとくくりで天国と言っているだけで実際は、神に近い高級霊、天使から善人まで
の様々な人格(霊格)レベルでの領域が存在しているのです。
地獄も阿修羅地獄、火炎地獄、色情地獄、無間地獄など様々にあり、人の悪い念いの分だけ
地獄が展開しているのです。
思考はすでに霊的世界から観られている
思考は方向磁石の針のようにあちこちを指し示している時もすでに霊的世界から観られてい
るのですが、思考が思念に変わった時に同じ一点を指し示す時間が長くなります。
その時にあなた自身の「心」は、その「心」の思念の傾向性によって親和性のある世界へ
居座るようになります。
親和性とは、同じような思考同士が容易にくっつき易い性質や傾向があることを言います。
「類は友を呼ぶ」という言葉も同じで、霊的世界は波動や波長の世界でもあるので同じよう
な波長同士が交わり易い「波長同通の法則」が働いているとも言います。
そのように「心」の思考の傾向に、似ている霊に伝わります。
たとえば、他人を騙してお金を奪おうと詐欺を考えている者には、生前に同じように詐欺
を働いた者が地獄から観ていて手助けにくるのです。そうやって悪いことが人から霊へ
霊から人へ連鎖をして、死後に地獄の世界に引きずり込み、地獄を拡大しているのです。
反対に、他人や社会のために役に立つことや喜ばれることを思考している人には、天国で
同じように思考している霊が観ています。
そして、応援、インスピレーションを頂けるようになります。
極端な例を出しましたが、大なり小なり良いこと悪いことはありますが、
これらの法則は、良いことにも悪いことにも同じように働くので人間自身の「心」次第とい
うことになります。
思念の傾向性が幸不幸を左右する
日頃、悩み、迷いやこだわりそして他人に対しての怒りや憎しみなどをもち続けていないか
どうか。自分の人生が自暴自棄になり怠惰に過ごしていないかどうか思考を点検してみてく
ださい。
このような「心」に地獄の霊が忍び寄ってくるからです。
反対に悩み、迷いはあるけれどサッパリできているかどうか。
瞑想をして、何も思考しないようにした時に「心」の中から湧き出るように悩みや迷い、こ
だわりがない状態を心掛けてください。
悩みや迷い、こだわりを打ち消す努力は必要です。
その上で良き思い、ポジティブな願望をもつ習慣を植え付けることで守護霊や支援霊
からサポートを得ることができるようになります。
それには、あなたの思考、思念の傾向性というのをしっかり把握することが大事になりま
す。
思考を常にポジティブなところへ発信できるならば、その思念がポジティブな世界に伝
わって同じような思考をもった霊に伝わり、応援を頂けるようになります。
それは、守護霊や支援する霊であれば、自己実現が可能になり、幸せを掴むことになるでし
ょう。
しかしながら、守護霊や支援霊または指導霊と常日頃から交流することは現代では大変難し
くなっているのです。
現代は、物質社会であり霊や見えないものを信じない風潮になっていることも大きな原因で
あり、また、「この世」に執着(こだわり)をもったたくさんの死者が浮遊霊や地縛霊とな
って彷徨っていることで、天国へ通じる道を邪魔しているのです。
それに現代の人達の思考の傾向性が、「この世」のみに完結し「この世」の物質社会に染ま
っているために天国との交流が取りづらくなっていて、どちらかというと、「この世」に一
番近い地獄の世界に思考が伝わり易くなっています。
昨今の鬱病や統合失調症など精神的な病の患者の増加は、これが原因であることも多いの
です。
そういう意味で、思考の傾向性が幸不幸を分けているのも事実なのです。
ポジティブな心をもつように努力しよう
だからこそ、日頃からポジティブな思考をもてるようにすることが大事なのです。
本当にポジティブな思考ができるようになるには「心」の点検から始まります。
「心」がどういうものか、日頃あなたはどのような思考をしているのかを点検することが
重要です。
黒やグレーの汚れた「心」のままでは、良いもの(ポジティブ)は引き寄せません。
できれば、瞑想による「心」の浄化、リセットをしてほしいのです。
それによって、見えない世界を感じることができ、ポジティブな思考に変えていくことが
できるからです。
まとめ
あなたの思っていること考えていることがあなた自身です。
あなたの思いや考えは思念となって霊的世界に届き、そこの住人にいつも観られているので
す。しかし、あなたの思念はどこに届いているかは解らないと思います。
まずは、あなたの思考のタイプが今、大きく分けてネガティブかポジティブであるかの判断
は、わかるようになってください。マイナス思考かプラス思考かということです。
そして、一日を振り返り、どちら側の思考が多かったかを点検することです。
思考している「心」があなた自身ということは、霊的世界から観てあなたを分別するものは
思考、思念だということになります。
いずれ、死後に帰ることになる霊的世界では物質やお金など何も持って帰ることはできませ
ん。その時、あなたをあなた自身だと判断するものは、この「思考」「心」なのです。
だから、「この世」の今までの人生のすべての時間においてあなたは何を思考しているのか
を振り返ってみてください。
●「この世」の思考、思念がすでに霊的世界の地獄に繋がっているとしたら
死後には、その世界に必ず行くようになってしまうのです。
●「この世」の思考、思念が唯物主義や無神論に染まっていれば、すでに地獄か迷いの世界
に繋がっているために死後は必ずそこに行くことになるでしょう。
●「この世」の思考、思念が、自己中心的ではなく社会、他人や家族の幸せに満ちていれ
ば、すでに天国から導きがあり、死後には天国に帰ることになるでしょう。
思考、思念の傾向性があなた自身であり、死後の行き先も決まるのです。
しかしながら、死後の行き先の結果を変えることは可能です。
それは、早い内がいいですよ。なぜなら、本当の幸せをこの世でも味わえて、死後も味わ
える世界に行けるからです。