世の中にはスピリチュアル、霊的知識が豊富な人がいます。ですが、その様な人ほど本当の意味での霊的覚醒(悟りを得る)には遠いのです。なぜなら余計な知識が邪魔をしてしまうからです。

本当は、たくさんの知識を得ることよりも意識を変えることをしなければならないのです。この意識の改革が一番大事です。この意識改革とはどういうことか、捨てるから得ることができるものがあります、また目指すところの霊的覚醒をした人の立ち位置、視点はどこにあるのかについても参考程度に書いてみます。

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悩みを解決するためにスピリチュアルに頼っている

スピリチュアルな方面では潜在的に興味のある人は多いかもしれません。ただ、人によってどこに興味があるかはそれぞれ違いがあります。例えば、これから先の人生が知りたい、幸せな人生を見つけたい、自分に憑いているものは何なのか、奇妙な体験があった、奇跡が起こった、精神的な苦しみから解放されたい、病気を克服したい、今の自分とおさらばしたい、死んだらどうなるのか、身内の死後が知りたい、良い人と巡り合うか、オーラは何色かなど 占いの様な範疇までの願望をこのスピリチュアルに求めています。

そして、自らが興味のあるところからスピリチュアルに参入し、様々な書物やスピリチュアルアドバイザーなどからその答えや解決の方法を学んでいるかと思います。

中には、それらのおかげでタイミングよく自分の悩みを解決できた人もいるかもしれません。

しかしながら、悩みというのは人の数だけ存在するとも言いますが、自分の悩みを解決するにはアドバイスをもらったりスピリチュアルな知識を得たりしますが、本当はその様な受け身的なものだけでは解決できないのです。一時的には解決できても永久的なものではありません。

これはまだ他人に頼っている段階であり、自らが自らの力で良き何かを引き入れる力をもった訳ではありません。

人によっては、相当なお金をスピリチュアルな方面へつぎ込んで、たくさんの知識を入れて自分自身に何か良き変化があるのを期待してるのではないでしょうか。

人の知らないたくさんのスピリチュアルな知識を入れることで満足ができるならば、それは結構ですが、世の中にはこのスピリチュアルに関してはほとんどが間違った知識が蔓延しているところがあります。

知識に偏重すれば間違いに気がつかない

本当は正しい真理知識というのがありますが、その正しさ、間違っているというジャッチができるには自らが仕入れた知識を一旦捨てることが大事です。

なぜなら、間違っている偽知識が邪魔をしてしまい正しい方向に導かれることを阻害しているからです。

間違っているスピリチュアルな情報は、ほとんどがこの世的に良くなることが書かれており、お金が儲かるとか、良き縁ができるとか、仕事が成功するとか、誰でもその願望があるものに対して、欲や興味をそそって書かれているものばかりだからです。もちろん正しい本物の真理知識によってスピリチュアルな世界に参入するならば、結果的にはこの世的なものにも自己実現は可能にはなります。

しかし、あなたが、たくさん詰め込んだ知識の中で90パーセント以上が間違っているとしたらどうでしょうか。(間違っていると言えるのは、商売としてやっている人の動機の問題です。この場合の動機というのはスピリチュアルの分野を利用して商売のためにやっている人たちのことを言います。その動機が間違っていればインスピレーションをもらっている先が怪しいということになります)

ですから、自らが間違った知識を基盤に持っているならば何が正しくて何が間違っているかのジャッチはできないと思います。

それは知識ばかりで「意識を変える」ことをしていないからです。

私たち全てがすでにスピリチュアルな存在

何かをもらおうと受け身的に期待するということは、スピリチュアルが自分とは別のものである、別世界のものであるからという他人行儀な固定観念があるからなのです。

しかしながら、勘違いして欲しくないのは、人間は全てが本質的にスピリチュアルな存在であるということです。霊的存在が私であり、あなた自身であるのです。この世に居ようがあの世に居ようが霊的存在であることには違いがありません。ただ、この世においては、あの世(霊的世界)と環境、状況が違うので、生きるためには肉体という物質が必要なだけであり、本来、霊的存在であることには何も変わりはないのです。

しかし、この世で人間として生きているとどうしてもこの肉体にこだわりをもってしまうために物質が本質の様に思ってしまうところがあります。意識がこの世に縛られているからです。

ですから、その様な意識であればスピリチュアルな世界の知識を得ようとしても実感できる物差しがないので何が正しくて何が間違っているかがわからないのです。

受け身になっている意識を変えることが必要

それには、自らが本質的にスピリチュアルな存在であるということを信じることがまず大事なことです。周りの情景を観ている自分、日常生活を送っている自分。仕事をしている自分、他人と話をしている自分はスピリチュアルな存在であると信じることが必要です。そして、あなたが今思い悩んでいるものについての答えは、スピリチュアル側にあります。ですから、その悩みと悩みを解決する答えも、あなた自身の心の中にあるということなのです。

心の法則や心はどの様なものかについては、書籍『天国の扉』に書いてありますので良く読んでみてください。

その心の中にあなた自身の過去、現在、未来があるのです。

ですから、その心を観察、探求していくことで他人に頼ることなく悩みは解決できる様になっていきます。それだけではなく、他人や社会の悩みまで解決ができる智慧というのが出てくる様にもなるでしょう。

捨てることで見えてくるものがある

この心の中、奥に意識を到達させるためには、ただいま現在の自己のこの世的意識の全てを捨てることが大事です。

この世的なシガラミやこだわり、自分の固定観念、これまでの人間関係、知識、欲望、地位、名誉、夢など心にあるワダカマリなど全てを捨てるという覚悟がいります。

全くのゼロの段階までにするということです。

いわゆる心を反省によってクリアにしていき、生まれたばかりの赤子のようなピュアな心を取り戻す努力をする必要があります。

結果的には、今、突然死んでも何もこの世には未練もない状態、いつでも死ねるし怖いものはない状態(自殺以外)になれるかということです。

宗教の世界で言えば、キリストが言っていたことと同じであり、キリストを裏切った弟子たちがキリストの復活後に、キリストのため神のために死ねる、伝道のためには死をも恐れないという境地と同じだと思うのです。(『AD 聖書の時代』というドラマ化されたものがNetflixで見れる)

これが肉体という縛りから解放されて、心即ち己という意識のみが生きていることが実感できる様な状態に到達するということなのです。肉体を脱ぎ捨てて心が裸になる状態までになると、守護霊や支援、指導霊と繋がるようになります。(もちろん他の霊との交流もできてしまうので、心のコンディションの問題になる、これについても別の機会にお話しします)

この状態は、スピリチュアル世界(あの世の次元)に立ち位置があり、この世的視点から離れてスピリチュアルな世界からこの世を眺めている感覚に変わってくるのです。

しかし、こうなるまでは見えない世界からの守護霊や指導してくださる霊の協力が必要不可欠です。

この守護霊や指導霊に導かれる様になるには、どの様な「心」が必要であるかについては、別の機会にお話しします。また、心の意識のあり方によってどの次元に繋がることができるのかについても別の機会にお話しします。結局守護霊や支援、指導霊と常時繋がっているということはどのような人間であるのか、自分は何者かが見えてくるということになります。

ですから、スピリチュアル側に立ち位置があるから、この世の人にとっては常識的ではなく見え、メッセージが強烈だったりするのです。(この世の人から見たら厳しい未来の預言ができるなど)

 

意識改革なければ霊的覚醒には届かない

意識改革をするというのは甘いものではありません。結局は肉体を脱ぎ捨てた死後の意識になるのと同じで、肉体の自分ではなくて「心」そのものがこの世に生きている様な感じです。

この様になってくれば、覚醒段階によっては様々な日常生活で奇跡や不思議なことが日常茶飯事で起こったりします。その中で自らが霊的経験を通してこれまでの知識をふるいにかけるようになってきます。と同時に正しい真理知識の書籍などに出会える様になります。これまで読んできたスピリチュアル書籍の間違いに気づき、この世的なスピリチュアルな書籍は読めなくなってきます。

霊的意識が高くなればなるほど、正しさのジャッチができる様になってくるからです。

ですから、本当の意味で霊的覚醒(悟りを得る)には意識改革なくしてありえないのです。

たとえ、正しい真理の書籍をたくさん読んで知識を入れてもありえません。

それは、たとえば、頭のみスピリチュアルな世界に突っ込んで心がこの世に縛られたまま傍観者のごとく覗いているのと同じだからです。それを知識のみの頭でっかちになった状態といいます。

ただ、意識改革については全ての人に同じだけの試練や修行が必要な訳ではありませんが、最低限、人間の本質がスピリチュアルである自覚と霊的世界を心で感じる瞬間を味わって欲しいのです。

そのような体験を通して悩みを抱えネガティブだった心をポジティブな心へ180度反転できた実感をして欲しいのです。

ですから、強く言いたいのは何かを貰うのではなくて、自らが切り開いていく、冒険心、挑戦心、独立心をもち、与える側に立つ「愛」がなければダメなのです。言葉を変えれば自助努力の精神が必要だということです。

いつまでも多くの人が貰う側に立っていても新たな未来は開かれないのです。

昨今の世の中は、唯物主義、共産主義またインターネット、スマホの台頭で人々の心が閉じる方向へ向かっています。何もしない現状維持を守りながら自分の事にしか目が向かない、そこに政府から金品を与えられるのを待っている、補助金をあてにしている。政府は政府でバラマキによって選挙で優位性をもてるからこれが都合が良い、このような悪のサイクルが出来上がっているのです。(有事や緊急時のセーフティーネットは別問題)

与えられるのを待つのではなく、自らが世の中の人々の幸せのために何かを起こしていく精神が必要とされているのです。

この与える側に立つことが、死後にあなたが天国の神の側に立てるということになるのです。

貰う側ばかりに立っているというのは、ネガティブな心を維持しているのであり、死後は天国には行けないでしょう。ですから、スピリチュアルな世界は全ての人が戻る、帰る世界ではあるけれども、それはこの世での生き方、心次第になってくるということです。

この大切なことに気が付いて欲しいのです。

「死後の世界」は間違いなくあります。その世界が本当の世界であり、この世はそこへ帰るための修行の場であるのです。だから、ためらう必要も悩む必要もなく、淡々と努力を続けてあなたは世の中のために何ができるかを考えてください。そして行動してください。

そのためのスピリチュアルという知識があるということです。しかし、正しい真理知識をインプットしたら今度はアウトプットしなければ何にもなりません。ただ、その前に正しさとは何かというところを「心」で感じ取る努力は必要です。

それがこの世的意識を捨てることであり、そこから霊的覚醒も可能になるということです。

ですから、そのための方法をお伝えしているのです。信じて行うことによって奇跡は起こってきます。

間違いありません。私は毎日がありえない奇跡だらけであり本当に真の幸せを掴んでいますので、皆様にも味わって欲しいと思っています。

そして改められた心でこの世でも幸せを掴み、その実感を多くの人へ伝え広げて欲しいのです。

それが実現すれば、世界の多くの人が迷うことなく死後にも天国へ帰ることができるからです。

※コロナウイルスは世界の人にとってチャンスでもあります。この時期こそ自らの意識改革に取り組めるチャンスだからです。まずは、瞑想をして過去の自分をよくよく振り返ること、色々なことが湧いてきますのでそれらが全て無くなるように心の中で解決していくのです。詳しくは『天国の扉』の書籍を参考にしてください。

瞑想の効果は内なる声との対話です。これまで外部ばかりに頼っていた自分自身を反省できる良い機会になるでしょう。

Avi ChomotovskiによるPixabayからの画像