スピリチュアル人生哲学『天国の扉』の電子書籍をご購入、お読みくださいましてありがとうございます。読者の皆さまから良い質問を頂きましたのでそれについてメールで回答したものの中から選んで、まだ『天国の扉』を読まれていない方にも公開することにしました。『天国の扉』は、この「幸せになる心の錬金術」ブログの基本書でもあり、筆者が1991年に霊的覚醒をして得た思想ですので多くの方に読んで頂きたいのです。

質問1.彷徨える霊(幽霊)が多くなると何がいけないの?

天国に行けずに彷徨える霊が多くなったと言うことですが、彷徨える霊が増えたら何がいけないのでしょうか?

◇◇回答◇◇

彷徨える霊(幽霊)は、基本的にこの世に生きていた人が死後にまだ、この地上を徘徊していることを言います。原因はまだ本人がこの世に生きていると言う錯覚がそうしているのです。

通常、死を自覚している人(霊)の場合は、正確には導きの霊に会った後、この世にお別れをするためにご挨拶や心残りなところをある程度、諦めがつくまでのわずかな期間を与えられるようです。映画「ゴースト」にもあるようにわずかな期間が済めば正式なお迎えがあり、三途の川を渡って天国の入口まで行くようです。

しかし、彷徨える霊(幽霊)の場合は、そもそも本人が死を自覚していないためにこの世にまだ生きていると思っているために様々な災いを起こしてしまうのです。

特にこの世に生きている人間と波長が会った場合は、その霊が生きている人に憑依をしてしまい、その憑依さえもしていることが分からず、いつの間にか自分自身がその人に成り代わって生きていると言うことになります。そのおかげで憑依されたものは、幽霊の生前の病的症状がそのまま移ることにもなります。

訳のわからない病気、難病などや昨今の鬱病、統合失調症の増加の原因は、目に見えないところでこのようなことが起こっているのです。これは現代医療だけでは救うことはできないでしょう。薬では治らないのです。なぜなら、徘徊している幽霊を自らが引き入れている心が原因になっているために、心の原因を根っこから取り除かない限りは、憑依している霊は離れないからです。薬治療は症状を止めたり、麻痺させるには役立ちますが、根本的治療にはならないです。ちなみにお祓いや霊媒師も理屈がわかっていなければ、一時的効果しかありません。また、再発します。やはり、自らの心を改めることをしない限りは完治は難しいのです。憑依された原因は心にあるのだから、それを本人が理解をして正常な心へ改善していく方法を取るべきなのです。

さらに、この幽霊が人に取り付いて罪を重ねているうちに波長の合った地獄に呼ばれて、別の幽霊や地獄霊が集まるようになって、この世に生きている人の周りに地獄が展開していくのです。そのような人たちが増えてきた時にその地域全体に暗雲立ち込めている状態になり、その地域では病気、事故、殺人事件、火事、喧嘩など人為的な災害も増えてきます。

地球は生きています。なぜなら、地中にはマグマが活動をし続け、この地上の生物を育み続けているからです。そのように考えたときに、この地上表面に暗雲立ち込め、ガンのような病巣ができてきたら自浄作用が働いて治療したくなるのではないでしょうか。人間の体も同じで皮膚表面に病的な何かができたら治療を施すと同じです。それが地球の場合は、自浄作用が働いて治療を施すことが地震など自然災害にもなっているのです。直接、その地域が悪い場合もあるし、連動して別の場所に起こる場合もありますが、何れにせよ、地球から人類への警告だと捉える方が間違い無いでしょう。

地球が?このような考えさえもそんなことある訳ない、証明しろと言う人の方が多いかもしれません。しかしながら、『天国の扉』に書いたように、全ての人間や人間では無い者たちや自然など神が創られたこの世界は心の奥で繋がっているのです。心の奥を見ようとしないでその繋がりを勝手に切っているのが現代の多くの人間です。ですから地獄も人間自らが創っているのです。ただ、素直に純粋に心の奥にアクセスすれば自然との共有ができるにも関わらず、それを拒否しているのです。それに輪をかけているのが神に反発する影の勢力の悪魔だったりするのです。ですから、悪魔に身を売るのか、神を信じるのか、現代はこの二者選択の時が来ているとも言えるのです。

質問2.「神との対話」という本について

自動書記による通信のようですが、スピ系では評価が高いため、最近もう一度読みたいと思い、改めて読み直しましたが、この本の神様は「地獄はない!」と断言しておられ、ヒトラーは天国に居る、とまで仰っています。この本を読んだ人たちの多くが、自分は地獄には落ちないと確信したと思います。もし、かみむら様が「神との対話」をお読みになったのであれば、この神様が仰る地獄はない、という見解についてどのように解釈なさるか是非お聞きしたいと思いました。

◇◇回答◇◇

「神との対話」は昔読みましたが、私は途中で読むのを辞めました。

基本的に私は「心」にすべての真実が隠されていることをお伝えしています。天国地獄も心の世界ですから地獄は間違いなくあります。神は人間に自由を与えたのですから自らの人生の結果、自己責任が伴うというシンプル法則なのです。この「心」のことを外していくら天国や地獄の話を説明しても辻褄つじつまは合わないでしょう。

もし、「地獄はない」という言葉が本当ならば、その結果この世の中にそれが真実だと広がった時に都合の良い者は誰でしょうか? だとしたら、その「神との対話」の神という者は誰でしょうか?

 スピリチュアル的な書籍で、流行っているとか、たくさん読まれているとかの基準では、それが真実正しいとは限りません。それは宣伝や売り方が上手いというのもあります。心をくすぐる様な仕掛けをして購入を誘導している本はたくさんあります。大抵、良いことばかり書かれて影の部分が語られていません。それは影の部分を知られると都合の悪い者は誰かと考えると分かると思います。

 ただ、多くのスピリチュアル的な書籍が、神や高級霊ばかりのサポートで書かれている訳ではないということです。神や高級霊からのサポートで書かかれているものは100冊中1冊もないと聞いています。

最初は作者についていた者がたとえ高級霊であったとしても、途中から悪魔に入れ替わることは日常茶飯事なのです。これらは作者の心次第になってきます。途中で作者の「心」が変化してきます。書いているものが高級霊の側から真実を伝えようとしても、霊的世界では真実を伝えられると困る者や反発したくなる者が近寄ってくるのです。

なぜなら、「地獄はない!」と言い切るのは、反対に地獄があると言った場合にこの世の人間に地獄があることが真実だと広がれば、抑制が働き正しい道へ行く人が多くなるからです。

そうなれば地獄に仲間が少なくなり地獄の領域が狭くなるからで、「地獄はない」という洗脳を与えておくことによって、この世が乱れてしまうのを目論もくろんでいるのです

だから正しい真理を書こうとしていてもいつの間にか悪い者に入れ替わっていることは多いです。しかも高級霊といっても力のレベル差がありますので、その作家と近しい者がついていたのですが、結局、作者の「心」が悪魔によって負けてしまうのです。その結果、良きインスピレーションはふさがれにごった言葉に置きかわります。

この世的には、キリスト教の世界で19世紀半ばに心霊主義(スピリチュアリズム)が出てきましたが、輪廻りんね説など都合が悪いのでいろいろと陰謀説もあったようです。なぜなら既存の教義に影響が出るからです。この世的には都合の悪いものは力関係が働くことはあります。

それと出版社側にも悪魔はついていることもあります。その場合は書籍の購入率が高くなるような書き方に誘導されます。無名の作家の場合は、特に出版社より弱い立場なので大抵、引き寄せの法則やスピリチュアルでお金が儲かるような話などに誘導する内容に書き換えるように促されるのです。だから、ほとんどのスピリチュアル本は地獄や影の部分は書かかれていないのです。まことしやかな事、流行るであろうもの、これまで世の中に通じているものの範囲でしか書かれていないでしょう。

「地獄はない!」という都合の良いことを言うのはすでに書いてある通り「悪魔」です。

筆者のようにズバッと書いたら、見えない世界なのでマークされて即やられてしまいます。だから甘い内容に誘導されるのです。悪魔からしたら、悪魔や悪霊や地獄の存在は隠しておきたいからです。蟻地獄のような感じにして人間を惑わし、最終的に奴隷のように使える彷徨う幽霊を増やしたい訳です。

だから、『天国の扉』やこの「幸せになる心の錬金術」ブログはある意味、悪魔との戦いをしているのと同じことなのです。

それは、筆者が『天国の扉』や霊的真理のブログを書いているときに実際に悪魔が何度か邪魔しにきましたのでよくわかります。「それを書くのは辞めろ!」と言いにきます。今でも時々「そんなもの広げるな!」「取り下げろ!然もなくば、、、」と脅しに来ます。結構、大物悪魔が来ています。

実際、この記事を書いている側から悪魔がやってきました。筆者がこの記事をタイピングしている時に「辞めろ!」と言いに来たのです。ふわぁ〜と目眩めまいがし、マイナス波動を全身で感じたのでわかりましたが、筆者はここまで真実を暴いているので大物悪魔が邪魔しに来ます。心の修行をしていなければ普通は意識が取られるかもしれませんが、まずこの手の悪魔は一般の人には来ないから安心してください。それに悪魔のことを書いている本についてもズバリではないものは、悪魔も邪魔しに来ません。悪魔が相手にしたくなるのは本当の真実を暴露されているからです。

筆者は本を書いて世間に公表するより、27年もの間、自らの心の研鑽に努めて悪魔との対決や関わりを続けてきたのでこのような機会は一生続くと思います。

地獄や影の部分も書けるのは、自らの心を修行によって強くもてるのと高級霊団(相当な霊人数)や力のある宇宙人や様々な人間ではない者に見守られて協力をいただいているから、書いても良いと言う許可をもらったからです。

ですが、このリスクに関しては筆者自身にとっても同じことが言えるので、謙虚さを失った時や欲が出てきて心が曇った時に悪魔に付け入る隙を与えてしまうのでこの道は本当にシビアだと感じています。

ですから、このスピリチュアルに関して言えば、かなりシビアです。霊的真理探求のレベルが高くなればなるほど、内容が深くなればなるほど影の部分からの責めは当たり前になります。

光が強いところには影は濃くなるからです。

本当は「神の法」ですから、それを伝えられる人は神の代理人か預言者でなければならないのです。

 

質問3.成仏した後にまた地獄に行くというのは、、、?

成仏した人が天国の扉を開けられるかどうかは、人生の全てをチェックされた後、反省しなければならないことが多ければ地獄か病院にいく、、、とありましたが、三途の川を渡れた段階で成仏したということであれば、病院でリハビリというコースを辿ったとしても、地獄へは行かないのではないでしょうか?成仏とは取り敢えず地獄に行くのを免れた、と理解していたので、、、

◇◇回答◇◇

これは人(霊)によって違うのです。後悔の念の強い人は自らの意志で地獄に赴くのです。

こんなつもりはなかった。もっと今回の人生ですべきことがあったのになぜできなかったのか、これでは天国の仲間には顔向けできないという自責の念が強い人は自ら地獄に行く者もいるようです。人生の全てがあからさまになってしまうので天国に行ったり、天国に行ける前のリハビリ施設にいくにも顔向けができないという意志がそうさせているようです。

ただ、知らずに地獄に堕ちるのとはニュアンスが違います。

 

質問4.イジメなどやられたらやり返したくなるけれど、、、

怨恨霊について書かれていたところに、聞き流すことができれば、悪口や、嫌なことを発した人のところにそのエネルギーが戻る、とありましたが、仮に聞き流すことができず反応してしまった場合、つまり、言い返したりした場合はエネルギーは相殺され、相手には戻らなくなるのですか?多くの人がいじめや悪口、パワハラ、モラハラに傷付いています。イエスの言葉に「仕返しは私に任せなさい」とあるのですが、反応してしまうというのはダメなのでしょうか?加害者は言い返されたとしてもそれなりの罰は受けるべき、と思うのですが。

◇◇回答◇◇

悪口やイジメをする人の心はネガティブになっているので、同じ様にネガティブな心の次元(土俵)に降りるべきではないということです。

瞬間的に言い返したくなり、ある程度は感情は出てしまいますよね。それは仕方ない面もあります。でもいつまでもそれを根に思うことが問題なのです。引きずってしまうことが問題なのです。

「根にもつ」というのが「恨む」ことに繋がります。

すぐにポジティブな心に戻せるかどうか。例えば、相手は悪口を言ってるけれども、それに対して本人は何故悪口やイジメがいけないのかはわかっていません。

こちらも言い返したくなるけれど、すぐに冷静になって相手に悪口は「これこれ結局あなた自身に返ってきますよ。あなたが同じことをされて嬉しいですか?」って諭してあげられるかです。許しながら、悪いことをやっていることを気づかせることができれば理想です。

そのように直接相手に話ができなくても、目に見えない世界では心の思いは伝わるので、相手にそのような気づきを心の中で発して与えることも可能なのでやってみてください。

心の中で恨みを伝えると同じ土俵に上がってしまうので、反対に深呼吸をして冷静になってから相手に諭すように「悪口やイジメは最後にはあなたに跳ね返りますよ。もし、あなたがされて嬉しいですか?あなたがされて嬉しいことをしようよ!」

このように念じると相手に伝わります。実際にやってみてください。後日、相手が謝ってきたら、伝わったというのがわかりますよ。 

 

質問5.おすすめの瞑想方法は?

今まで、初期仏教の本、引き寄せの法則や江原啓之さんの本など読んできましたが先生の本は今までの本とは違うと感じました。今まで個人的に断捨離なども行ってきましたが、より執着心がなくなり、不安がなくなりました。毎日の心掛けを大切にし、人のために尽くし、心を綺麗に磨いて、天国の扉を開くことが出来るように… そして、そのような生き方を色んな方が実践できるようすすめていきたいと誓っております。今は自己流で、寝る前などに自分の一日の思考や行動を振り返ったり反省し(クヨクヨしたり不安なことは考えない)その日一日の感謝することを思い浮かべながら(人から受けた具体的な優しさ、言葉、気付き、元気で一日過ごせたことなど) 眠るようにしていますが、今流行りの?マインドフルネスだったり頭を空っぽにするような瞑想方法、他にもヨガなどもあるため 一番いい方法を模索しております。

先生のおすすめの瞑想方法などありましたら、教えていただけますか?

◇◇回答◇◇

あなたのように筆者のブログ記事を信じて心に正しく向き合い実践し、尚且つ瞑想など具体的な質問をされる方は心境的に優れている方だと思います。

なぜなら世の中のほとんどの人の視点は「この世」にしかないと思うからです。
ましてや『天国の扉』に書いた内容は作り話で現実離れし過ぎていると思われているかもしれません。
でも、最初はそのように思われても仕方がないと思っています。
まずは知って、そして自らの心にしっかり向き合って欲しいのです。

いずれ、すべての人はその現実離れした世界に死後には一人残らず行ってしまいます。
だから無意識に、知らないうちに行ってしまわないようにしたいからです。
現実的には、何も死後の知識の無い人が増えたためにあの世が混乱を起こしているのです。
それって悲しくないですか?

ですから、生きているうちに少しでも知識をつけてもらえれば、混乱は治りますし、早く知識を得ることで何よりも本人にとって、この世での人生がより深く意味のあるものとして理解され、この世でもあの世でも本当の意味で自己実現をすることに繋がるのです。
思いの大切さを知ることで「心」を自由にコントロールできるようになり幸せを掴むことにもなるからです。

それには、瞑想というのが一番お勧めできます。
ですからあなたが瞑想に視点をもっているのは正解です。

本来、瞑想はこの世の喧騒けんそうから離れて心を別の次元にもっていくことでもあり、それが光り輝く天国という世界に心を合わせていくことに意味があるのです。

あなたが行なっているように感謝から入りそのように実践していることはとても良いと思います。

1日の中での思いや行動を高いところにもう一人の自分がいるような感じをもって、少し厳しめに自分自身を眺めることです。
その中で良くなかったことは反省をして本当はこうすべきだったと入れ替えていくのです。
要するに心の中にいろんな心配事、悩み、不安などが全く出ないような心を作ることが必要です。

さらに心、意識を天国の守護霊のところに自由にもって行けることが必要です。
(ただこれについてはそれぞれの人の現時点での心境レベルと現時点での守護霊の目覚めとの関係があるので詳細は別途にしますが、あなたの場合は、守護霊も目覚めていますので大丈夫ですよ)

天国の守護霊に意識を向けることに必要なのは、自分のことを考える時間を少なくできるかどうかです。
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日を通して、自分のことより人のためをどれくらい考えましたか?どちらの時間が多いですか?

それと反対に、1日の中で何回、他の人から感謝されたか?「ありがとう」と言われたか?
これは大事なことです。

要は何事も「心」が入っているか、「心」を込めて仕事をしているか?人の気持ちになって人をいかに喜ばせるためにいつも考えているか?
これが客観的に現在自分の心の傾向性がわかるからです

このように天国の守護霊と意識が通って、思いが通じていれば、いつでも瞑想状態をキープできていることになります。
瞑想はその時だけ、天国や守護霊と繋がれば良いかというとそうではなく、日々、24時間そのような意識で居られるようにすることが素晴らしいのです。

なぜなら、人間はそもそも「霊」だからです。この世においても心が常にどうかです。
もし、今、大災害が起きて死んでしまった時に今の心がそのままの世界に行くからです。

ですから、瞑想は単なる方法であってはいけません。瞑想は自らの本質が霊であり現時点での生き方を確かめている行為でもあります。
だから瞑想を方法と考えてその結果を意識して奇跡を求めるのではなくて、日々の思いの積み重ねが結果的に、あなたに目に見えるようなカタチ(奇跡という)で現れてくるのです。

瞑想のカタチや方法はあまり気にしなくてもいいです。20分くらいリラックスできる座り方ができればOKです。
筆者の場合は形をあまり気にしたことはないです。ただ、背筋は伸ばした方が良いでしょう。
カタチや方法にこだわっているうちは、天国に意識は届かないでしょう。

なぜなら、唯物的思考に近いからです。現在、巷で流行している瞑想の方法は気持ちを楽にするに良いかもしれません。ストレス解消とか、、、
でもほとんどは私が言っている心の境地には届かないと思います。
流行りの引き寄せにおいては、欲が絡んでいるので危険ですよ。お金のことを言っているのはこの世的な欲の話で引っかかりやすいので気をつけてください。深入りすると天国では無い次元に繋がります。危険です。

天からぼた餅は落ちてきません。良薬は苦しです。努力なくして何事も掴めません。
ですから、これらは私がお勧めしているものとは全く違います。それに頭を意識しての瞑想はやらないようにしてください。
これも違うところに思いが届きます。
心は頭にはないです。『天国の扉』の本の中に「心」について詳しく書いてある通りです

瞑想については、個人個人で意識、心境のレベルが違うために本当は実際にセッションなどで指導しながら行う方が良いと考えています。
筆者が瞑想のツボを書籍など間接的な方法で教えただけでは微妙な感じ方までは伝わらないし、本人がこの感覚がベストな状態かを掴みづらいと思います。
それに実戦では、筆者自身を通して天国のエネルギー、本当のパワーを引いてお分けするつもりです。また、そのエネルギーの力を感じ取ることでこれがそうなんだと理解することができると思っています。
セッションをやる時期がきたらお伝えしますね。それまで、基本的にはあなたの方法でいいと思います。