最近、テレビをつければ日本のスポーツ業界の指導者的立場の人の問題が次から次へと吹き出している。そればかりではなく、日本を牽引しているリーダーである政治家や官僚の汚職なども賑わしているが、いったい、この国のリーダーや指導者はどうなっているのか。この先の日本がとても不安になってしまいます。

ではなぜ、このように現代のリーダーや指導者達は、このような問題を引き起こしてしまうのか。それは、もう今の日本全体の思想や空気に大きな問題があって、すでに限界が来ているということなのです。

このリーダーや指導者のあり方を「心」の問題として、その原因を霊的に説いてみます。そして、リーダーや指導者は本当はどういう「心」であるべきかをお伝え致します。

これは、「心」の霊的問題であるのですべての人に読んで頂きたいと願っています。

指導者はまず自分の「心」を制すべき

それなりの実績で社会や他人に良い影響力を与えた人が、リーダーや指導者的立場になっていくのが世の中のあり方です。

たとえば、スポーツ選手はその競技で世界一になることを目指して、相当な努力を重ねて栄光をつかんでいます。それを観戦した人には感動があり、またその感動の中から次の若い世代が引き継いで、育っていくようになっています。

その若い世代はその道の先輩でもあるリーダーや指導者に指導をもらうわけです。その時に、「指導者たるものの心得」を本当に理解しているかどうかが問われているのです。

指導者は、若い世代にとってはかがみの役になっているからです。

鏡があるから、若い世代はリーダーや指導者を理想として目指し、努力していきます。鏡になっているということは、その鏡を曇らせては若い世代に正しく指導ができなくなってしまいます。

その鏡とは「心」のことです。

指導者の「心」は、立場が上がって行くごとに必ず変化していきます。その変化に、「心」が追いついていかないのです。

若い世代を育てることに熱心になりすぎると、自分の「心」を鍛えることをおろそかにしてしまうのです。そのおろそかにしてしまった「心」が汚れてしまい、若い世代を育てる時にその汚れた部分の弊害へいがいから暴力やパワハラが生まれたり、他をよせつけない自己中心的な考えに陥ったりするのです。

元々スポーツマンであるから肉体(フィジカル面)については天下一品ですが、指導するときの言葉の表現については、相手を納得、理解させる力は足りないのかもしれません。だから、暴力やパワハラで示してしまうのです。

現代スポーツはフィジカルとメンタルの両方を鍛えていくことが、良しとされています。

しかしながら、このスポーツにおけるメンタルというのは選手には必要とされていても、指導者の「心」のところまでは考えられていないのではないでしょうか。

本当は、指導者が自ら「心」を鍛えて、自らの「心」を制するようになることが必要とされているのです。なぜなら、若い世代の鏡になっているからです。

 

慢心が引き起こしていることに気がついていない

スポーツ業界の社会問題の発端は、相撲でした。横綱の暴力問題から始まり、アメフト、ボクシングなど力自慢のスポーツから昨今は体操の指導者まで問題が起きています。

指導者ではなくても上に立つ人にとって大事なものを理解していないところから起きている問題ばかりです。特に「慢心まんしん」「増上慢ぞうじょうまん」「うぬぼれ」「おごり」についての心の欠陥が目立っているように感じます。

「俺は人よりいちばん強い」「俺は人よりうまい」「俺がやった」「俺の言うことを聞いていればいいんだよ」「俺が教えたから、、、」という「心」の中に少しでも驕りがあるだけでも、そのマイナス部分はどこかの拍子に、吹き出てくるものなのです。

それが多くの人達に指示されて持ち上げられる程、自分が最高になって酔った気になってしまうものなのです。そこまでいけば抑えられないので、「心」からくさい臭いが漏れてくるようになります。

それはどの業界でも同じで、人間のもっているさがかもしれませんが、これに勝てないと人間としてその先へ進むことができないのです。

そこで「心」を制する、コントロールすることが出来るかどうかが、リーダー、指導者など上に立つ人にとって外すことのできない大事なところなのです。

 

慢心、増上慢、うぬぼれ、驕りの原点

この慢心、うぬぼれや驕りの心の原点は何かと言うと、「自分を良く見せたい」「自分が正しい」という自己中心的な考えがそうさせているところもあります。「心」が向いている先は他人ではなく「自分」なのです。

そのうち、廻りのこともすべては自分の立場のためにやるようになってきます。

他人のため、選手のためと言いながら、実際はその立場を利用して私腹しふくの部分を満たそうとしているのです。私腹というのは金銭面だけではありません、自分の思い通りにしたいという自我のことでもあって、自己満足の世界です。

そこにお金がからんでくると何でも思うようにできるという「権力欲」がメラメラとでてくるようになります。はっきり言って霊的にも大変危険なところまできています。

今度は自分の心をコントロールするのではなくて権力を使い、他人をコントロールしていくようになるのです。

これは、案外他人から指摘されなければ気がつかないことかもしれません。

昨今、マスコミはこのように目立った欲がらみの事件に関しては鼻が利くようですが、本人はテレビなどおおやけの場に出て自分の容姿、言葉を客観的に確認しなければ、なぜ悪かったのかが解らないのです。

特に廻りの人達も本人の「心」をその気にさせたことも現実としてあるので、本人は理解に苦しむところもあるように感じます。

これまで公人こうじんとしての立場でどういう「心」を持つべきなのかを考えてこなかった甘さにツケが来ていると考えるべきなのです。

 

公人には、奉仕の精神、愛が必要

リーダー、指導者や上に立つ人は、すでに公人であることを自覚して、自分のためではなく他人や社会のためを一番に考える努力をすべきなのです。

それにはやはり「愛」の思いがなければなりません。若い世代や選手、他人を育てていく立場の人は、その指導される側の気持ちを組んで伸ばせるところ、生かすところを思いやりをもって接するべきです。

このような「心」をもっている指導者は世の中にはたくさんいらっしゃると思いますが、昨今問題になっている指導者達は日本のスポーツ業界のキーマン的立場の人達だからこのままではまずい現状なのです。

その人達は社会や他人への「愛」よりも、自分の立場、自己中心的な考え「自己愛」を慢心によって生み出したことが原因になっているからです。

 

公人である前に人としてどうなのか

スポーツ業界だけではなく、文科省官僚の汚職問題も次から次へと吹き出しています。

この官僚にもまったく同じことが言えます。

官僚は政府の予算決めによって国のお金を管理しますが、文科省は大学への補助金をコントロールする立場でもあります。このような許認可関係の特権をもった人達の「心」に善悪の正義を失っているところがあります。

これもまったく同じ事で、若い世代のお手本、鏡となるべき人達が不祥事ふしょうじを起こしてしまう今の日本はまったくおかしいのです。

しかも教育関係にあって本当に恥ずべきことだと思います。

子供たちは、馬鹿な大人を観て育つことになるので不祥事を起こした人間は、かなり罪が重たいにも関わらず、テレビ報道の火がすぐに消えてしまうのは、お上のなせる技なのでしょうか。

お上とマスコミとの裏を勘ぐりたくなるのは筆者だけではないでしょう。お上の不祥事を打ち消すようにオウム死刑囚の死刑執行をこのタイミングで差し込んできたのかと思ったところもあります。

今は差し替えるように、スポーツ業界の不祥事にスポットがあたっています。

 

お金の価値観の違いが解らず、公私混同している

今回のスポーツ業界問題や官僚問題にしても不祥事を起こしているのは、独自のビジネス、商売をして成り立っている民間の法人、カンパニーではありません。

社団法人、協会など何らかの国からの補助金、助成金が入っている団体です。官僚にしても国家公務員であり国民の税金から給料、賞与をもらっているわけです。

民間の会社とは違い、それだけもらった税金に対する奉仕をする義務があるのではないでしょうか。日本国憲法第15条の中にも公務員について「全体の奉仕者」という言葉があります。

今回の問題の多くは、公の機関に関係する人達の不祥事なのです。

この吹き出している問題のもうひとつの原因は、お金に対する価値観のところが民間と公では意識の違いがあるのではないかと言うことです。

これによって、不祥事を起こしている人間のお金の価値観にはかたよりがあり、誤解しているのではないかと思います。

補助金や助成金が投入されているところは、ほとんどが政治的な面での融通が働いて、存続、維持、発展などが守られるようになっています。その団体がビジネスをするにしても政治的な融通が多いのです。それらを既得権益と呼んだりもします。それと寄付も運営資金になっています。

中には個人的には営利事業を行いながら、公的な協会や団体の役員になっている人もいます。そういう方は特に公私混同しないことが求められるのですが、中々難しいように見受けられます。

スポーツの場合は国民の多くが指示して応援することなので、あまり深入りしないところもあるのかもしれません。

一方、民間の会社(株式、有限など)は天からお金は降ってきません。お金を借りる場合、低金利での保証協会を利用する場合はありますが、ほぼ自己責任の世界です。

ビジネス、商売ですからソフトやハードを売るにしてもお客様や社会がいかに喜んでもらえるかの気持ちが一番になければ、製品は売れません。

存続、維持、発展は保証されていないのです。

自己中心的なビジネスや自己満足をしてもお客様の指示を頂けなければ絶対成り立たないのです。※銀行等金融機関はほとんどが国の管理下です、それに一部、民間でも政治的な融通が働いている利権をもっている商店や会社もあります。

筆者は、会社経営と地方自治関係でのボランティアや政治活動をしたこともあってそのような団体や組織についてのお金の流れや価値観の違いをリアルに体験しています。

このような違いの中で、人間として甘く成りがちなのはどちらかということは理解できます。不祥事を起こす人のたいていは、その立場であることの自覚や責任感の欠如があり、暴力、パワハラ、地位への固執へ繋がっているのです。

官僚の場合もまったく同じで自分の立場を権利と誤解してそれを利用して私腹を肥やすのですから、やっていることは「おぬしも悪よの〜!」の悪代官と同じようなことをやってしまうのです。

無我、無心にできる人が本当のリーダーになるべき

国から助成金や補助金をもらっている協会や団体のリーダーや指導者の意識改革が必要です。自分が選手の頃つくった実績や功績にいつまでも固執こしゅうするべきではありません。

その実績や功績はひとりでつくったのではないからです。

応援するいろいろな方の思いから寄付や国の助成金、補助金が使われた結果なのですから感謝の気持ちを今度は無我、無心に変えて後に続く若い方を育てるべきなのです。

そうではなくて邪念、邪心があるからこうなっているわけで、自分一人の力でやっていると思う心が転落の元になっているのです。

 

努力精進をする純粋な「心」に天上界から指導が届く

ここからは霊的な話になりますが、見えない世界でどのようなことが行われているか

です。

選手時代に一生懸命に努力精進をして純粋な心をもった人にはある一定のレベルを超えたところから見えない世界(天上界)で、協力体制が始まっていきます。

たとえば相撲の場合、横綱になるという目標で皆が努力精進をしています。

それには肉体的、精神的な努力精進がありますが、この中で体格、力、バランスは元より心が純粋であること、素直であること所謂いわゆる「心」がきれいなことが一番指導し易いので、そういう力士が天上界から選ばれやすくなります。

見えない世界(天上界)の「力士」などがインスピレーションなどで協力をし始めます。

このようにどのスポーツ競技も同じですが、スポーツに限らずどのような業界、職業でも同じ仕組みになっています。

そこでの受け皿の人の「心」「努力精進」次第でインスピレーションを正しく受けることになれば、よい機会が与えられて一番良い結果において観客に感動を与えるようになり、プロフェショナルになっていくのです。

見えない世界の力のある指導者がつくかどうかは受け皿の人の「心」とメンタルやフィジカル面での努力精進次第になります。

これはどの業界のリーダーや指導者にも同じようにその道のプロが指導に当たるようになっているのです。

横綱から転落の本当の原因

ところが横綱の暴力問題がありましたが、その横綱が転落した原因は何かというと暴力を起こす前の段階で、「慢心」「うぬぼれ」「驕り」の心があったからなのです。

横綱という最高のステイタスまで登り詰めるには相当な努力精進があったと思います。

また、それをサポートしてくれた関係者や指導者の力もあったからです。

それと大きいのは見えない世界(天上界)から指導していた力士軍団などがいたということです。これらの方々のサポートのおかげで、横綱というステイタスを手にできたのですから頭を低くして感謝の気持ちと廻りの方々、弟子に対しての心配りが必要だったのです。

そうではなくてどこか「心」の中に「俺は一番強い」「俺がいるから相撲界は、、、」このような思いが「心」のどこかにあり、謙虚な心がどこかに行ってしまったのです。

そこで見えない世界ではその「心」に対してどのように変化したかと言いますと

元は純粋だった横綱の「心」が、真っ黒く汚れて黒い雲が空をさえぎった状態になったのです。その黒い雲(心の汚れ)のせいで、(霊)太陽をさえぎることになり、ますます「心」の中が暗くなってきます。そうなると、天上界から指導していた力士軍団の通信は途絶えてインスピレーションは届かなくなります。

そのようになった時、今度は黒い雲に感知した地獄界の者の指導が始まっていくのです。そして、いつもイライラ、短気になり自慢話が多くなり、愛の無い言葉に変わり、暴力的になってきます。

それが、横綱が転落した霊的な原因です。

神様の罰ではなくて、異常気象さえも自業自得

天上界の指導者がいなくなったのではなくて、横綱自身の「心」の受け皿の問題が自らを深刻にしたわけです。いわゆる自業自得です。

このように霊的世界の仕組みがあって、この世に生きている人の「心」次第でどうにでもなるということです。天上界や神様が罰を与えているのではなくて、この世に生きている人の「心」の汚れが天上界や神様の指導をシャットアウトしているに過ぎないのです。

この霊的真理を知っておいてください。

昨今の異常気象や大きな台風、地震などの被害が続いていますが、これの大きな原因はこの世に生きている人達の「心」が間違っているから起きていることでもあります。そういう人達の「心」の悪想念の黒い雲が集合化して霊太陽をさえぎっているところから、異常気象等の天変地異を引き起こす誘因ゆういんになっているのです。

被害に遭われた一部の皆様には、たいへん心が痛みますが、特にこの日本を牽引けんいんしているリーダー政治家や官僚の考え方に間違いがあるということなのです。これは歴史を観ればあきらかでまつりごとのいかんによって天変地異などが起きている事実があります。

多くの方にこの霊的真理を知っていただき、「心」を清くすることの大切さを学ぶべきなのです。

そして西郷隆盛の「敬天愛人けいてんあいじん」のごとく、天を敬い、人を愛するを実践することが大事です。ドラマでもやっていますが西郷隆盛の純粋さとリーダーシップには勉強になるところがあるのではないでしょうか。「心」を制する意味を理解できると思います。

私たちは自分が生きているのではなくて生かされていることを強く感じるべきです。

 

そして人は偶然に生まれたのではなくて、生かされている。そして死ぬのは肉体生命だけで魂、霊(心)は生きています。そしてすべての人は必ず天国に帰らなければならないということを信じてください。

筆者は、毎日迷いの霊と話をしていますが、生きている時に大事なことを信じていないせいで天国に帰れないで、地獄に行ってしまう魂(霊)が多すぎると感じています。本当に筆者の力ではどうしようもありません。

だから、ひとりでも多くの人に霊的真理を知ってもらいたいと切実に願っています。

リーダーや指導者においては、若い世代を育てるというのは、「自分が、、」「自分の思う通りに、、、」ではなくて、「若い世代を預かっているのだ。神様から育てる機会をいただき、預かっているのだ」というように謙虚な気持ちを常にもち続けることが必要だと思うのです。

 

まとめ

リーダーや指導者が問い正されている昨今において、なぜスポーツ業界なのかですが、2年後の東京オリンピックに向けて変革の時だと期待できれば良いチャンスになりますので、一般の人が一番わかりやすい世界でもあるのでしっかりこの機会に理解しましょう。

政治家、官僚については不祥事が慢性的に続いていますので、どこかで激震の揺り動かしが来るかと思います。天変地異は起こっていますが、、、

今、世の中のリーダーや指導者が間違った考えをもっているということは、それを手本にした後輩達もその毒を食らうのですから、伝染していくわけです。

ですから、元を正さなければ悪いものはどんどん広がっていきます。

今回はその元でもあるひとりひとりの「心」のあり方が世の中を支配していることをお伝えしました。

その中でお手本となるべきリーダーや指導者は謙虚に「心」を制することをもっと学ぶべきだと思います。「心」を正すことが世の中を良くすることに必ず繋がるからです。それによって天上界からもご加護を頂けるようになるのですから。

この事を霊的真理から説いてみました。