人は、死をどのように考えているかによって、人生が大きく違ってきます。

 

一つ目は、人間は偶然に生まれてはかなく死んでいく存在

二つ目は、人間は必然か偶然に生まれて人生を全うし、死後あの世の天国に旅立つ存在

三つ目は、人間は目的があってこの世に生まれて、人生を全うして死後あの世に戻り

→   →何度も「生まれ変わり」のサイクルを経験する存在

 

このように、死のとらえ方、考え方には3通りあります。

 

しかし、真実は一つしかありません。

死の真実を理解していれば、生き方が変わり

人生の幸福度が月とスッポンくらいの圧倒的に違ったものになるでしょう。

 

心は脳の作用の一部か?

現代は科学万能の時代になり、魂、霊という存在が迷信という世界に追いやられています。

それ以上に最近では、「心」を脳の作用の一部のように言っている脳科学者

が増えてきました。

「心」というものを脳という物質にあてはめて、「心」も物質のひとつのように

考えているのは唯物論の最たるものではないでしょうか。

 

「心」を脳の物質のひとつに当てはめた方が考えやすいし、人に証明や信用をされやすいので

普通以上に仕事として成り立つと安易な考えも心の奥にあるのではないかと察しています。

 

唯物論の弊害

唯物論は、この世のすべては物質から成り立っているという考えを基本にもっています。

 

そのような風潮が、戦後の日本の教育界や科学の世界にも蔓延している影響で

「心」の本質というものをないがしろにしています。

 

同じく魂や霊も単なるオカルトの世界で、説明がつかないものは

現代には合わないとカヤの外に置かれているのが現状です。

 

責任を取らない身勝手な人を増やす

一つ目の人間は偶然に生まれてはかなく死んでいく存在は、

人間は、物質の固まりで死んだら無になってしまうという唯物論で、

この世で終結した生き方でもあります。

 

悪いことをしたり人を殺したら、捕まると刑務所などで責任

を取らされるか死刑になったりします。

 

しかし、悪いことをして一生逃げて捕まらない人は

死んだら人間は無になってしまうので得する話になります。

一生捕まらなければ、責任を取らなくて済んだことになり、

身勝手な人をたくさん増やすことになります。

 

だから、唯物論が世界中に広がれば責任を取らない身勝手な人を増やすことになり、

この世をまさに地獄にさせる理論といえます。

 

「あの世」は葬式の時に考える

二つ目の「人間は必然か偶然に生まれて人生を全うし、死後あの世の天国に旅立つ存在」

いわゆる一般的な考えではないでしょうか。

 

普段は考えないけれど、身内のお通夜やお葬式の時にあの世(天国)に帰って欲しい

と願います。

でも、生きている時の行いを観ると、地獄に行くかもしれないが

行かないで欲しいと何となく思っているのではないでしょうか。

 

よくわからないから、お坊さんの法話を聞いたのは良いけれど

ますます解らなくなっているのが現状でしょう。

(あの世を信じていない坊さんが多いからです)

 

漠然と天国に行きたいと願う

ほとんどの人がなぜ、生まれて来たのか理由も解らないまま、死後に地獄よりも

できれば天国にいきたいと願っているのではないでしょうか。

 

悪いことをしたら地獄にいく、良いことをしたら天国にいくことは

わかるかもしれません。

しかし、良いことと悪いことの判断の基準は何でしょうか。

誰がそれを判断するのでしょうか。

 

ただ、死んだら天国には行きたいから、人には迷惑をかけないように

法を犯すのはやめようと言った善人的な考えもあったりします。

 

これ自体は間違ってはいませんが、どちらかというと消極的な考え方だと思います。

 

原因・結果の法則がある

宇宙や人間の住む自然界には法則があります。

その中の「原因・結果の法則」からは、どのような人であろうと逃げることはでません。

それは、良いことをすれば良い結果が起きて、悪いことをすれば悪い結果が起きます。

 

先程の例でいうと、悪いことをした人は逃げてもムダということです。

この世の人生が終わって無になるのであれば、責任は逃れることにもなるでしょうが

真実はそうではありません。

 

あの世があり、天国地獄が存在します。

もっとも、悪いことをしただけの報いは、地獄という世界で責任を取らなければなりません。

それは、原因をつくった本人の結果は、本人が責任を取らなければならない法則だからです。

 

「生まれ変わり」があるのが真実

三つ目の人間は目的があってこの世に生まれて、人生を全うして死後あの世に戻り

再び「生まれ変わり」のサイクルを何度も経験する存在真実なのです

 

悪い人(霊)は、地獄の世界に行き良い人(霊)は天国に行くという一方通行で

そのまま終ってしまうのではありません。

 

地獄に行った人(霊)でも、自分の考えや行いを反省することになれば

天国に行けるチャンスは用意されています。

そして天国へ行ければ、天国での生活があります。

それから、再びこの地上の世界に生まれ変わるようになっています。

 

「生まれ変わり」は神の慈悲

人が何度も生まれ変わりを経験することは、心(魂)の成長のためでもあり

人格を高めていくことでもあります。

そこには神の深い慈悲があるのです。

 

地獄に行った人(霊)が反省をして天国に行き、再び地上に生まれ変わりますが

前回、この世に生まれた時に悪いことをした同じ様な機会に、再び遭遇することになります。

そこで課題としての試しがあるのです。

人によっては再び、悪の道へ入っていき前回と同じことを繰り返す人もいますが

二度と繰り返さない人もいます。

生まれ変わりの経験の中から、良いこと悪いことを学びながら課題をクリアして

心(魂)の傾向性や性質によって個性が創られていきます。

 

課題をもって生まれてきている

すべての人達は、生まれ変わって、

それぞれ違う国や地域、時代に様々な人生経験をしています。

 

人それぞれ、人生のプロセスで自己実現のために努力して、課題をクリアしていきます。

何度も生まれ変わって挑戦してきたものが成功することは

その人(魂)にとって、この上もない「幸福」を味わうことでしょう。

 

現在、成功をして脚光を浴びている人は、生まれ変わりの中で準備をして

今の世の中に必要なものを提供する個性として活躍している場合や

まだ、準備している人もいることでしょう。

しかし、時代があなたを要請する時が、もうすでに来ているかもしれません。

 

このように、「死」のとらえ方で人生の幸福度が月とスッポン」くらい

スケール感が違うというのを理解して

そして信じることであなたの人生は月とスッポンくらい違うことが

解るようになるでしょう。

まとめ

三つの死のとらえ方や考え方を比較してみましたが

人生の価値観や世界観が違うと思います。

現代は、一つ目と二つ目の考え方が主流です。

しかし、真実は三つ目が正しいのです。

信じる信じないに関わらず、いずれにしても

三つ目のとらえ方や考え方の方が、あなたの人生の幸福度を高めることでしょう。