思っても見ない何かが起こったときの意思決定の段階で、人は楽観的や悲観的のどちらか偏った傾向の考えになりがちなので、両方のバランスを取ることも大事ではある。しかし、それも平凡な考え方に過ぎない。その上さらに「達観」を目指した考えが一番べストな道筋で、結果的に本当の幸せを掴むことができるのだ。それには何が必要か?また「達観」とは何か?コロナウイルスのパンデミックや自然災害など、これからも次々に起こるであろう未曾有の危機のサバイバルな時代における人としてベストな考えは何であるのか。一般的な考えではなく、霊的及び心の錬金術として説いてみる。

楽観的、悲観的な考えから脱出する

「あの人は楽観的な人」「私は悲観的かな」などと言うように人にはどちらか偏った思考の傾向性があリます。それは外的要因で何かが起こり、それに対して意思決定をしなければならない時や始めて何かに挑戦する時など、楽観的か悲観的のどちらかの思考形態が知らず知らずに出てきます。

例えばいつも、ネガティブな言葉がクセになったように口から出てくる人やマイナスな考えに陥る人もいるのではないかと思います。「ダメかもしれない」「できないかもしれない」「私には無理」などです。

対照的に、楽観的な人は明るく健康的には見えるものの、物事を都合良く見すぎているところがあって、考えが浅い感じがします。

「きっと大丈夫」「うまくいくよ」などですが、「なぜ?」って聞くと「何となく、そんな感じがする」っていうように理論的に説明ができないところがあります。

それでは理論的に分析的に説明できる人が良いかというと、それは現実主義者(リアリスト)になってしまい、少しお堅い、あまり冗談が通じない人のような感じがします。

楽観的か悲観的かは、基本的に日常の心の状態から反応するものであり、その思いや考えが人生の中での経験によって習慣や癖のようになり性格的なところにまで影響しているように思います。

しかし、この楽観的や悲観的な思いや考えを変えることは可能です。

それには常に客観的に自分を見つめる目が必要になってきます。

思いや考えや口に出したことを振り返って、こういう思いや考えは良くないと思うことで、訂正することはできます。

悲観的な人はもう少し楽観的に考えるようにするとか、楽観的な人は悲観的というか最悪の状態になった時まで考えてみるとか、今の思考形態を自ら調整してみることは必要です。

中道に入るとも言いますが、楽観的でもないし悲観的でもない考えをもつようにすることです。これには何が一番必要かというと、もっと何事も深く考える習慣や、たくさんの知識をつける習慣をもつことです。

浅い知識しかもっていないせいで、楽観的な人は結論づけるのが早く、また悲観的な人は恐怖心が先に出てくるからです。

悲観的な考えを受け入れていないか?

悲観的な言葉としては「想定外だった」という「言い訳」のような言葉をよく政治家は使っていますが、裏を返せば「事前に何も考慮してなかった、熟慮しなかった」「知識がなかった」と言うことです。

そもそも、人任せ(官僚や行政)にして政治家自身では熟慮していなかったと言うことの意味です。例えば、想定外とは人的災害や自然災害でもよく耳にしますが結局は国のトップに「先見の明がない」「時代を読む目がない」「世界情勢を俯瞰して見れない」というキャパシティの問題なのです。

これは、実際に国のトップとして「達観」した境地までには至っていないことの現れです。

最近のコロナウイルス問題を見ても多くの政治家は思考のベースを悲観的なところに置いています。小池東京知事や安倍首相も然りです。小池都知事は悲観論をモロに使って都民の意識をコントロールして、お金を自由にばら撒いていました。不安を煽ってお金で解決する。いわゆるマイナスにしてプラスマイナスゼロにする方法です。

それでも都民は小池知事が都民のために一生懸命やってくれていると思ってしまい、その手法に騙されているわけです。

よくよく考えて見れば、都民の税金をたんまり使っているのにです。

これは安倍首相も同じです。

しかしながら、バラマキをしたお金は必ずしわ寄せとして税金として後々に回収されるようになります。ですから、現政権が税金というお金を使ったもの勝ちになるわけです。それで選挙も有利に運べると利点が出てきます。この莫大な税金を使う流れは完全に間違っています。

結局、国民がそのようなバラマキを良しとして何も政権に対して言及しないおかげで、その借金がこれまで1000兆円以上になったのです。

そして、その1000兆円以上の借金を本当は政府の借金であるにもかかわらず、国の借金という名目にして国民に悲観論を用いて消費税を上げました。国の借金という悲観論は国民に向けていますが、しかしながら外交的には外務省のホームページを見ればわかりますが、楽観的手法によって使い分けているのです。

悲観論的考えがベースの政治はどうなの?

結局、悲観論のマイナスからプラスマイナスにもって行ったとしてもその成果を国民は素晴らしいと思ってしまうのは違うと思うのです。

そもそもアベノミクスを掲げても経済成長率の目標をどの辺においているか、デフレスパイルで景気が悪いとしても目標をプラスマイナスゼロではなくて、それ以上のプラスイメージをもっていたかどうかで結果は違ってきます。

本来素晴らしい政治家は、成果としてプラスマイナスゼロに戻すだけではなく、確実にプラスを産むような努力をするものなのです。

要するに本来の目標としては、国民に無駄に多くの税金を払わせるようなことはしないという考えが基本的にあるかどうかです。これが本来の民主主義のあり方で小さい政府を目指し主権は国民にあるという考え方です。

そのためにも、いかに国も民間同様に将来的に付加価値を生むことができる事業をしていくか、効率的な税金の使い方(無駄をもっと省く努力)などをするべきなのです。

現在のように大きい政府を目指した考えであれば、政治家の意思決定が遅ければ遅いほど官僚にしわ寄せがいきますので、無駄な時間や過労働が増えてきます。そうなると生産性も落ち、無駄に税金を注ぎ込むことになります。

ですから、特に政治家自身ももっと全ての意思決定を早くするためにも官僚同様に事前に知識や見識を増やしておくことがさらに必要ではないかと思います。また、それに国は税金収入に頼るのではなく様々な斬新なアイデア(他の国が欲しくなるアイデア)で外貨を稼いで国を富ませることができる政治家が必要です。

それとは違った方法を取った安倍首相は、アベノミクスの経済成長を中国頼りのグローバル化の中でインバウンドに求めるというアイデアに固執していたと思われます。しかし、他国に依存して国を富ませるアイデアだったのかもしれませんが、その場合は他国の都合でハンドルはどうにでもなります。

それが中国発のコロナウイルスの影響で、安倍首相もかわいそうですがガクンと心境がダウンしたのではないかと思われます。悲観的になり過ぎた分、自身の病気も悪化したのでしょう。

これは「心」のネガティブな状況が病気を生んでいる人の特徴そのものが現れています。

長期政権で頑張って来られ、病気でお辞めになる安倍首相を引き合いに出して申し訳ないのですが、「心」の問題に関しては「心の性質」を霊的に知っている筆者の立場からは言わなければなりません。

筆者がいつも言っている通り「心」にあるものが全てに現れてくるので「心」が悲観的になっているならば、自らの心が病に導き、その過程で口に出す言葉や表情さえも悲観的な部分が出てきます。それが多くの国民に伝わり今度は国全体が悲観的な方向に流れていくのです。この悲観的な心が広がるのはある意味、人為的な伝染病であり本当はコロナウイルスよりも強力なのです。

悲観論的考えに感化されるな!

本当は、悲観論的な考えはマイナスからせいぜいプラスマイナスゼロに持っていくような力しかありません

しかし、政治家や例えば、他には医者がよくその方法を使います。「心配させといて安心させる方法」です。

しかし、その心配から安心にもっていけた時に喜びや成長感や達成感が感じられるために多くの人は信用、信頼してしまうのです。

多分、多くの人はこのレベルの低い成果に感化されやすいところがあるのではないでしょうか。

その理由は、多くの人は現代日本の平和で安心な現状維持を望んでいるところを見ればわかります。一度経験している平和で安心なところに戻すことは手に届く範囲であるためにマイナスな心配事があってもそこを目指すことがリアルな現実として達成させやすいからです。

特に70数年前の敗戦があったにもかかわらず経済復興、発展してきたことでマイナスからの発展を多くの人は経験してきました。

だから、もし何かでマイナスになっても元の平和で安心な世の中になれば安泰だと思ってしまうのです。

特に左派やリベラルな方向に流れている現代では、多くの人が楽をして儲けたり、国が何かと面倒を見てくれることを望んでいるところがあるのではないでしょうか。これは人間にとって最も大事である自助努力の精神が欠けているのです。

ですから、日本国民の多くは政府の悲観的な考えに同調しているせいで悲観的な人が増えているのではないでしょうか。

悲観的な日本の政治とアメリカの政治の違い

本当は、日本はもう戦後の復興、発展はある意味頭打ちになっていて、次に来るプラスの斬新な未来に挑戦しなければならないのです。しかし、現在の国会にはそのような気概をもって日本を切り開こうとする政治家は見当たりません。

しかし、日本の政治家とは対照的に、そのような今の時代にふさわしい斬新な未来を目指している政治家がアメリカのドナルドトランプ大統領です。

トランプ氏は当初、グローバル化の欠点を見抜き、オバマ政権がやっていたグローバル化の流れを断ち切ってアメリカ国内の経済を立て直し、強くするためにやってきた結果、コロナウイルスのパンデミック前までは経済は最好調でした。

このグローバル化を断ち切る考えは、世界がグローバル化に染まっていたところをアメリカファーストの国内回帰にするという完全に反対の流れに変えてしまう考え、改革であったために、世界中からは大きなスカンを食ってしまったのですが、結果としては今になってはイギリスなど他の国も追随してきています。

これはトランプ氏が「達観」した考えをもっていたからで、具体的な理由はもともと不動産王としての成功経験からビジネス手法を取り入れながら駆け引きのうまい外交政策をとってきたからでもあります。また、生産的な仕事を創るベンチャー企業や自助努力をする企業家たちをサポートしていることで多くの雇用を生んでいます。

景気回復を他国に依存する日本は、国が民間事業に対してあれやこれやと規制を作りながら口を挟み、国民に泣いてもらう方向で消費税を上げるようなケチ臭い考えをもっていますが、まるで正反対です、

トランプ氏は、大幅な減税と規制撤廃を使いながら民間企業には自由と主体性を尊重しながら経済活動ができるようにしているのです。

それは、トランプ氏が何より大事にしているのは国民の心がやる気に満ちてアメリカを元気な国にしてくれるに違いないと思っているからです。

国民の個々のもつ可能性を引き出し、主体性を信じているからなのです。

トランプ氏の精神的な力の強さがポシティブに広がって多くの人の心を感化しています。

そのせいで、最近はコロナウイルスで落ち込んだ経済が相当に回復してきています。

このようにトランプ氏は楽観的な人であるからと言えばそうでもないのです。

もちろん悲観的な考えは感じられず、楽観的でもありません。よく誤解されていて、多くの人からクレージーとか思われて相当なプレッシャーにもかかわらず、これだけのことができるというのは、凄過ぎて分からないというのが多分、多くの人の心の中かもしれません。多くのマスコミから相当な批判を受けていますが、「フェイクニュース」とか言って言い返すところも精神的に凄過ぎると思います。

たぶん、日本の政治家ならここまで批判されれば即退陣、辞任するでしょう。

そうならないように、安倍政権の場合は接待攻勢によってマスコミや検察をうまく取り込んで批判をさせない、またはいろいろな案件を口止めさせたのでしょうか。

明るくポジティブな考えをもっている政治家はどちらかは誰でもわかりますよね。でも筆者がトランプ氏と安倍氏の違いをこのように分析しないと多くの人はトランプ氏の悪評判の方を鵜呑みにするのではないでしょうか。

実際には今度の選挙はあれだけ中国や左翼グループが後押しをし、マスコミの批判とリベラルの民主党が激しい選挙戦を行いながらも、実は隠れトランプ派というのは相当いるはずです。

一方のオバマ政権と同じ考えの次期大統領候補のバイデン氏は日本政府とよく似ていて、社会主義政策に寄っています。基本的には左翼やリベラルな人たちというのは悲観論者でもあります。

なぜなら、国が面倒を見る考え方や環境問題にしろ何かや誰かのせいにしたり他に依存するところは、悲観的な心があるからそのような思考形態になるからです。

達観した考えが幸せな未来を開く

一方、なぜトランプ氏は多くの人に嫌われていたり、悪く言われるのでしょうか?

それは、達観している人はすぐには世の中から受け入れられにくいからです。

達観した考え方をもっている人というのは、歴史上でほとんどが新たな文化や歴史を創ったり、時代を改革、変革したりしています。

しかし、そのほとんどの人がその時代に受け入れられないことが多いですが、その何百年後に受け入れられる時が来たりします。

様々な分野で存在していますが、わかりやすいところで宗教ではキリストやその後のヨーロッパの伝道者など、芸術ではゴッホなどがいます。

しかし、政治家の場合は抽象的なところよりも具体的に国民を幸せに導く必要があるために何百年後に受けいられる考えは難しいところはあるので在籍中に結果を残すことが重要なところではあります。

それに反して前述したように、悲観的な考え方は、マイナスからプラスマイナスゼロにもっていき、心配させといて安心させると言ったネガティブな領域です。

例えば、現在の地球温暖化やコロナウイルスなどわかりやすい不安要素を大きく掲げて悲観的にもっていきます。多くの人は、現状維持を愛し、そのまま平和であって欲しいと願っているので、誰でも理解できる悲観的な考えに安住したがるために、それ以上の想定外及び考えたことのない未来を即受け入れられないのです。要するに現状に執着をもっているので冒険することよりも、現状に戻すために不安要素を無くす方向に行きたがるのです。

ですが、達観した人というのはこの世界を俯瞰した目で見える人のことで、神の考えを体現できる人のことでもあります。ですから、この先の未来はどうなって行くのかが手に取るように理解できる先見の明があり、今そのために何が必要であるのかが分かるのです。

だから、地球温暖化を二酸化炭素のせいにしないし、コロナウイルスは偶然ではなく中国の仕業だと明らかにして行くのです。要は正義に従った考えをもっています。この正義は言葉を変えれば神そのものです。

ですから、神が創られたこの地球は生きているので温暖化時期も寒冷化時期もバイオリズムのように存在しています。たまたま温暖化の波形の大きい時期に差し掛かっている現代に生まれた悲観的な人は、そこしか目がいかないわけで、非常に短絡的な浅い考えに陥っています。いわゆる本当に地球や自然の営みを創造した神を敬い信じていないと考えられます。(それ以上に、本当は環境左翼的な人たちは地球温暖化をうまく利用して裏で金銭的な企みがあるのは知っています、スウェーデンの若い女の子を使って世界中にキャンペーンを行っているのも私利私欲のためにやっているようです)

本来、達観とは英語では「philosophy 哲学的な」「spiritual enlightenment 霊的な悟り」とも言い、仏教的にも悟りの境地を示しているからです。これは人間が求めるべき最高の境地でもあります。

ですから、筆者が言いたいことは地球に住んでいる多くの人がこの達観した境地を望み、もつための努力をして欲しいのです。これは何も大袈裟なことではありません。この世に来る前の天国では皆様も大なり小なりありますが霊的な悟りはもっていたからです。それをこの世で肉体をもっていながら思いだし体験して欲しいのです。

この境地は心が幸せに満ちている状態です。なぜなら、神と常に繋がっていることを実感できているからです。

本当は全ての人はすでに神と繋がっているのは事実ですが「心」の状態が悲観的になっていたり、楽観的すぎても神との繋がりを自らが切ってしまうのです。しかし、達観した境地を維持していると目に見えない世界との交信も可能になってきます。

これが、これから人間が人間として本来の価値を引き出して目指すべき未来になります。

楽観的、悲観的な考えはこの世的な唯物論的な考えに縛られているから起こってしまうのです。

しかし、達観はすでに霊的世界、精神的世界を受け入れている考え方でもあります。この目に見えない、証明のできない、信じるしかない世界の方が人間として魂として本当の世界であることが分かる境地でもあるのです。

実は、この現代、この時代は地球人類において精神的に多くの人がこの境地に入っていかなければならない変革期になっているのです。

※この記事は、9/14のメルマガ記事を公開したものになります。

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